アドラーの未来への目線
アドラー心理学の三角柱に関して昨年の9月ごろに記事をアップした。半年ほど経過しても、アクセスしてくれる人が継続していてくれている記事となっている。ありがたいことである。それだけ、アドラーファンが多いと言うことだ。
心理学の三大巨匠といえば、フロイト、ユング、アドラー。この3人について私論を述べたいと思う。あくまでも私の印象なので、変だなって思ったら読み飛ばしていただければ幸いです。
フロイトはあまりにも性的欲求に、偏りすぎているように感じる。なんでもかんでも性的欲求と、過去のトラウマによる軋轢を語りすぎているように思う。確かに一理あるのだが・・・、一理に過ぎない印象をぬぐえない。その一方で、ユングは東洋の文化にも傾倒し、東洋文化を愛し、その抽象性と神秘性に非常に共感をしている。人の語りのなかに潜んでいる象徴的意味を模索する姿勢は、非常に共感できる。よって、わたしもユング系の心理学が大好きだ。
その一方でアドラーは一線を画している点がある。それは何かというと、未来に目をむけるということだ。フロイトもユングも過去を掘り下げて原因を突き詰めようとする一方で、アドラーは過去のトラウマを否定し、これからどうしたいのか。未来へ目を向けている。このことが大きな違いと感じる。
人は未来に向かっていきたいと願っている。しかし、まっすぐに見つめることが怖いからこそ、過去を振り返り、過去に原因を求め、納得したいのだ。しかしそれはあくまでも事後報告的な意味合いが濃く、単なる理由づけにほかならない場合が非常に多い。
過去は過去として、そのうえで、未来に目を向けるように促す、未来を見つめる勇気を持つことを勧めているのだ。未来が変わってくると、過去に受けた感情のひずみもまた、変化していく。「傷ついた、つらい、苦しい」という感情から、「いい経験をさせてもらった。あの経験を乗り越えたらこそ今の自分がある」という気持ちに、変わっていくことも可能なのだ。
過去の振り返りもいいけど、これからどうするのか、どんな未来が欲しいのか、そこに目を向けていく勇気を持つことも大切ですよね。
とりあえず一年後の自分を想像して、そのための学びに、勤しむとしよう。
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