【論語と算盤】#5 温故知新
最近では、世の中の進歩に従って欧米各国から新しい学説が入ってくる。しかしその新しさは、われわれから見ればやはり古いものだ。すでに東洋で数千年前にいっていることと同一のものを、ただ言葉のいい回しを上手に替えているにすぎないと思われるものも多い。欧米諸国の、日々進歩する新しいものを研究するのも必要であるが、東洋古来の古いもののなかにも、捨てがたいものがあることを忘れてはならない。
渋沢栄一. 現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.169-173). Kindle 版.
徳川家康公の話がこの節の前段にあるわけですが、徳川家康公の偉業を称えると同時に家康公の言葉を引用し家康公の偉業と論語との関係性が深いことを述べられています。
私も改善経験がなければこの言葉にあまり興味を示さなかっただろうし共感する部分がなかったかもしれません。それは、論語の中に含まれる文脈には、組織を変えるための人間性であったり人間関係が述べられているからかもしれません。
「欧米各国から新しい学説が入ってくる。しかしその新しさは、われわれから見ればやはり古いものだ。」と言われていますが、何を指して言っているのでしょう。
ここが面白い!!
少し歴史を紐解いていきましょう。
渋沢栄一さんが生きたのは、1840年〜1931年です。当時、海外から入ってきた有名な倫理的、道徳的な書物といえば、1759年に出版されたアダム・スミスの「道徳感情論」や1859年に出版されたサミュエル・スマイルズの「自助論」です。
特に自助論については、日本語訳されて「西国立志編」として日本の教科書にも採用されていたようで、これを渋沢さんが見て言われた言葉なのかなと想像しているのです。
Wikipediaには、「1872年に学制が公布されると、『西国立志編』は教科書として使用されるようになった。しかし1880年に当時の文部省が、君民一体、共和政治を志向する点で翻訳書を不適当とする。そして1883年に文部省が教科書を許可制にしたため、『西国立志編』は教科書として使用できなくなった。」とあります。
この本は、明治に100万部を売る大ベストセラーになっていたようで、トヨタ自動車の創設者である「豊田佐吉さんの生家」の展示室にも置いてあり、論語とは違った視点で海外でも同じような考え方があるということで広がっていたのかもしれません。
とは言え、渋沢さんが偉いのは、この状況に一石を投じたわけです。本質的に違うのはないかと言うことです。
渋沢さんには、日本人としてのアイデンティティがあるので、鵜呑みにして喜んでいる場合ではない。日本には論語という素晴らしいものがあるのにそれを読まずにどうして海外のものに目をやるのだということが言いたいのではないかと映るのです。
私も自助論を読んでから渋沢さんの「論語と算盤」の「欧米各国から新しい学説が入ってくる。しかしその新しさは、われわれから見ればやはり古いものだ。」を読んだときには、本当にその通りだと感銘を受けたことを思い出します。
私も海外の古代哲学書などもそうですが、特に中世のものを読んでも論語と比べると深さを感じないので渋沢さんのご指摘そのものなんです。
この頃の日本は技術だけではなく哲学や心理学もかなり流入してきたように思うのでそのあたりを調べてみると。。。
「近代心理学は、1879年にヴントがライプチヒ大学に心理学実験室を開設したときに成立 したとされる。日本では、西洋における近代心理学の成立にあまり遅れることなく心理学が根づいた。現在ではアメリカに次ぐ心理学者を数えるに至っており、心理学を専攻できる大学や大学院の数も増えている。」引用:「明治・大正期の日本における 西洋の心理学の受容と展開、菅野 幸恵」とあるように日本の思想・哲学は急速に欧米化してきたというのも考えられます。
そこで登場するのが、「温故知新」(ふるきをたずねあたらしきしる)というものなのですが、「洋魂洋才」になりつつある日本に対して「和魂商才」という警鐘を鳴らされていたのだと思います。
ここで一言誤解されないように付け加えておくと、私は心理学に対して偏見を持っているわけではありません。重要な学問であると考えています。しかし、それを人材育成に利用しようとしている人たちがいるところに問題があると考えているだけなのです。
心理学は基本的には分析することが中心です。人を育てるノウハウについては非常に浅い割にそれを企業研修の中に入れてしまうために限界が現れてきてしまっているのです。
不思議なのは、これでだけ心理学が増えているにも関わらず、日本の精神性は悪くなる一方です。
逆に欧米は心理学を中心にしたものから脱却を始めているのです。
アイデンティティをなくし国力が衰退していることを考えると日本の魂(アイデンティティ)という牙を抜かれ、欧米の価値観をすべて受け入れるほどクールにもなれずという中途半端な状態になるだろうということを渋沢さんは予測され危機感を持たれていたのかもしれません。
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