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渡部光臣ご住職が「十二年籠山行」満行
今月と来月の仏教エントリは、筆者の所属する天台宗にとっての一大トピックを取り上げる。まず今回は渡部光臣ご住職の「十二年籠山行」満行について、そして次回(6/11更新予定)は、伝教大師最澄1200年大遠忌について紹介していく。
渡部光臣ご住職が「十二年籠山行」を満行
「十二年籠山行」をご存知だろうか。天台宗の総本山・比叡山延暦寺(滋賀県大津市)に脈々と続く修行で、「千日回峰行」と双璧をなす難行である。天台宗の宗祖・最澄(伝教大師)の廟所・浄土院に籠もり、給仕や清掃に励む。その12年間、外界との通信は遮断される。
この難行を、令和3年4月1日、延暦寺一山・本行院ご住職であられる渡部光臣(わたなべこうしん)住職(48)が満行された。渡部ご住職は2002年に仏門入りし、09年4月に籠山行を開始。12年後となる先月、2021年4月1日に満行された。戦後7人目、20年ぶり。
2021/04/01、読売新聞オンライン
比叡山延暦寺の「十二年籠山行」、一山本行院の渡部光臣住職が満行
渡部ご住職との<ご縁>
渡部ご住職とのご縁は、筆者の比叡山での修行時代(2007年)に遡る。何を隠そう、当時全国から集まった小僧たちに指導をつけて下さったのが、この渡部ご住職だったのだ。
その頃の渡部ご住職は、指導員先生の助手という立場で、私たち修行僧の一番身近なところで面倒をみてくださるお役回りだった。上下関係が厳格な世界だが、われわれ修行僧は親しみを込めて「渡部さん」とお呼びした。筆者の僧名は「光信(こうしん)」で、偶然にも渡部ご住職と同音異字だったこともあり、目にかけて頂いた。調べても判らない事はまず渡部さんに訊いたものだ。時に厳しく、時に笑いあったあの修行生活を忘れることはない。
そんな修行の最中、仲間内でこんな話が囁かれるようになった。
「渡部さん、十二年籠山に入るらしいぞ。」
われわれは口々に感嘆した。それから程なくして、渡部ご住職は十二年籠山行の前行である「好相行」に臨まれ、そして十二年籠山行に入っていった。
それから二度、お伺いした事がある
行に入られて3,4年目ぐらいだったろうか、間をおかずに二度、ご挨拶に伺う機会があった。そのとき、姿が見えなくなるまでずっと私の後姿を見送ってくださっていた渡部ご住職の姿は、今でも目に焼きついている。
十二年籠山を行じておられる僧侶は、伝教大師・最澄がおわすが如く「真に侍(はべ)る」ので「侍真僧(じしんそう)」と呼ばれ、全ての天台宗の僧侶から崇敬される。そんな渡部ご住職から直接にご指導を賜っていたことは筆者の誇りとなっている。この12年間、何度「渡部ご住職はお元気であろうか?」と念じただろうか。
ひとくちに12年といえても、途方もない歳月。12年前の自分を省みても、境涯も、立場も、まったく異なっている。小学校を入学した子供が、高校を卒業するまでの年月(一説にはこの十二年籠山行が日本の学校教育6:3:3制度の原型ともいわれる)。それほどの長い年月を経て、この春、渡部ご住職は満行されたのだ。
行は続いていく
しかし「満行したら終わり」ではないのが、この十二年籠山行の凄まじいところ。伝教大師に仕える侍真僧が途絶えることは許されない故、次の侍真僧が見つかるまでは、渡部ご住職が引き続き、浄土院でお仕えになる。つまり今日も明日も、これまで通りの修行の生活を続けていらっしゃるのだ。
浄土院は比叡山中でも特に聖域だが、誰でも参拝可能となっている。時間帯によっては、渡部ご住職のお姿を拝む事ができるかもしれない。筆者も近いうちにご挨拶に伺いたいと思う。
比叡山延暦寺 境内案内 西塔「浄土院」
Text by 中島光信(僧侶・ファシリテーター)