note「共感」は疲弊するが「思いやりは…」について
noteのピックアップで知った篠田真貴子さんの記事をおすすめします。一番最後にリンクを貼り付けてます😊
「なるほど!」「確かに!」と、おおいに納得した内容でした。興味がありそうな教育関係の仕事をする友だちにもシェアしたほど。
ここから本題に入ります。時間のない方は、本題はとばして、一番下のリンクから、おすすめ記事に入ってください😌
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教育関係・介護・医療関係者、接客業務など、人と関わる仕事は、人間関係が中心のため、感情を伴う業務は、疲弊しやすいのではないでしょうか。
いや、その分野に限らず、生きるということはすなわち『人間関係』をどうやってサバイバルしていくか…
とも言えるのではないでしょうか?
『保育は「共感」がだいじだよ』とか、
「大人が子どもの気持ちに共感すると、気持ちを受け止めてもらえた、と子どもは安心感をもち、落ち着く」
とか、保育指針や幼稚園教育要領、教科書保育計画や月案などでもよく出てくる表現です。
たしかに、それはそう、理想の形。ただ、実際はどうですか?
「共感」を、しようとしても難しい時と場合があると、わたしは思います。
例えば
何かが思い通りにならなくてかんしゃくを起こして泣きじゃくる3歳児。
👦「先生のばかー😭!」
👩「そうだね、馬鹿だね😊」
…と、すぐ「子どもの気持ち」に寄り添い、共感できるかというと、なかなか難しいのではないでしょうか?
…ちなみに、わたしは子どもから
「先生のばか😭!」こういわれると、正直なところ…ムッとします。「ばか」と言いたいくらい感情が高ぶっているんだね…と想像はできますが😅。
なぜなら、上記の場面に至るまでの経緯を見ていて、その渦中に
「〇〇したかったんだね」「うまくいかなくてイライラするよね」「こうしてみたら?」
などの援助をしつつ、しかし、辛抱のいることもあり…がんばってイライラを抑えて「やさしくおだやかに」対応をしているからです。
「共感」を持って「援助」していても、時に、「共感」しにくい、できないこともある、
…ということを、
援助する立場の人は、肝に銘じておいたほうがいい。
「援助する人」と「援助される人」は、別の人格をもち、それぞれが「尊重」されていい。全くちがう存在なのだから、「共感」できないときもあっていい。
だけど、
『共感』はできなくても『思いやり』は相手にしめすことができるという記事。
わたしは、この記事を読んでいて、気持ちがとてもラクになりました。
『思いやり』ならば示せる。
「たいへんでしたね…」
「おつかれさまでした」
と、伝えることはできる。そこに『共感』はいらないから。『寄り添い』とも近いのですが、『寄り添う』方が、『思いやり』より、心理的に距離が近い気がします。
つまり、
『心理的に距離が遠い人』や『心理的に距離が遠い人』『共感しにくい人』にも、
使いやすい、ということです。
今まで、
「ちょっと…やだけど、共感を使わなくちゃ」
でも「共感するとなんだか疲れてしまう」と無理して、『共感』という感情を引き出して、仕事でも使ってきたのですが…
やはり、『無理やり感情を引き出す』ことは、よくないですね😰
そういうわけで、この記事をおすすめします。
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇
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