台所より愛をこめて。(連載:宇野千代さん、お話聞かせてください。)
こんばんは。今日も一日お疲れ様でした。
仕事終わりの読書は、宇野千代さんの本でした。
宇野千代さんの言葉を味わうことが目的のマガジンです。
今日の言葉を紹介前に、興味のある方は、まえがきを読んでみて下さい。
まえがきのようなもの
この企画の背景や想いについては、以下の記事をご参照ください。
バックナンバー
今までに紹介させていただいた記事は、以下の通りです。
興味を持っていただけたら、遊びにいらして下さいね。
台所より愛をこめて
私は今日も相変わらず、料理を作るために、台所に立っています。
私にとっては、料理を作るその過程が、とても愉しいからなのです。
しきたりや形式にとらわれないで、自分流の料理を発明することに、生き甲斐を感じている、とでも言うのでしょうか。一生懸命になって作っていると、必ず、旨いものができるのです。面白いことですが、料理というものは、もう、これで好い、と言うような到達点がありません。やればやるだけ、奥が深いものではないでしょうか。
宇野千代さんは形にとらわれず、料理を追求する過程が楽しいと語る。
この文章を読んだ時に、ああ、人生そのものだなあ、と思った。
生きているのがつまらなくなるとき、それは、死という終着駅に向かうまでの過程を楽しめないことが、大きな原因だと思う。過程を楽しむことによって、楽しむよう、もがきながら試行錯誤することによって、日々が面白くなったりする。
会社に入りたての頃は、人間関係に結構疲れた。いわゆる社内政治があったりしたり、人の陰口とか悪口とかよく聞いた。そんな言葉ばかり聞いていると、結構気持ちが滅入ったりもしたものだった。
でも、年数を重ねるに連れて、どんどんどうでもよくなった。
私は音楽が好きだ。読書が好きだ。料理も実は好きだ。
そんな好きなものに自分の人生の軸足を置くようにしたら、宇野千代さんのように、過程が面白くなった。
あくまで会社はお金を稼ぐ手段であり、それが全てじゃない。
それは、自分がやりたいこと、好きなことをやるための手段である。
そんなふうに、心のそこから思えた時、仕事の悩みが驚くほど小さくなった。もう、それはそれでいいのだって、自分にはっきりと言えるようになった。
自分と話す事は、過程を楽しむ上で結構重要だ。電車に乗るとスマホと話してばかりで、自分の心のこえに耳を傾けない人が多いように感じる。いくらパズルゲームをやっても、Twitterをみても、最後は自分の人生。自分の言葉としっかり向き合わない限り、過程を楽しむ事は難しい。
料理は、どんな食材と使って、どんな風に料理をして、どんなふうに盛り付けて、どんな人と食べて、どんなふうに片付けるか・・・。という壮大な過程を必要とする行動だ。
あ、やっぱり、これは、人生と同じかもしれない。
どんなこと、どんなふうに、どんな人と、どんなふうに進め、どんなふうに終えていくのか。料理と人生はよく似ている。
宇野千代さんの、台所より愛をこめてという章を読んで、そんなことを思った。