”これでいいのだ。”といえるまで(赤塚不二夫のドキュメンタリーを観て)
こんにちは。デイリージラフです。
今日も東京は天気が良く、散歩日和な日となっています。
そんな中、今日は散歩に出かけず、赤塚不二夫さんの『マンガをはみだした男』を観ていました。
なぜ赤塚さんの人生について知りたいと思ったのか?
それは、たまたまタモリさんの動画の中で、赤塚さんのお葬式の中で読まれた弔事に、心を打たれたからです。
タモリさんが読んだ弔事の中で、特に印象的だった箇所をご紹介します。
あなたの考えは全ての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになりまた時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
ドキュメンタリーは赤塚さんが生まれ育った、満州時代の話から始まります。戦争体験がアーティストに影響を与えていることは多いですが、赤塚さんも例外ではありません。
戦争に負けた日、父親はシベリアに送還され、母親と歩いて港まで何日も歩く日々。いきること、いのちについて、実体験から語る人の言葉は強いと思いました。
赤塚さんは、やさしいひとだった。まじめなひとだった。
社交的で楽観的なメディアのイメージとは違い、親しい人たちがみなそのように、このドキュメンタリーでは話していました。
「これでいいのだ!」
小さいころ、両親に見せてもらった『天才バカボン』。
げらげら笑っていたけれど、いまはその意味が少しずつ分かってきました。
大人になると、うれしいことで笑う事よりも、悲しいことで涙する事のほうが増えてきます。
それは、大人になり家族を持ったり、社会的に独立していく中で、何かを失うことのほうが多くなってくるからかもしれません。
「これでいいのだ!」
赤塚さんがこの言葉を描くまでに、人生の中で、苦悶した日々があったこと。この映画を観ながら何度も考えさせられました。
光が強い人は、その分大きな影を持つことになります。
人々を照らす光であった、赤塚作品。
その背景には、やさしく、まじめな赤塚さんの生き方が、あったのでしょう。