「シェアする仕組み」は、いいことだけか?(誰かに依存すると、自分でできることが少なくなる。)
インターネットと「シェアする時代」
日本でのインターネット利用状況について、総務省が統計を出しています。
総務省の統計情報に基づくと、インターネットを利用する比率は、2010年以降、80%台を推移しています。つまり、ほとんどの日本人が普段からインターネットの世界で時間を過ごす時間を持っていることになります。
学生だった時から、インターネットによるサービスが爆発的に普及し、インターネットで買い物しない月はないほど、自分の生活に密接になってきました。
その中でも、シェアと言う概念は、インターネットと共に普及し、関連するサービスは、既存のビジネスの仕組みを壊し、人々に支持されています。
例えば、タクシーはUberという個人タクシーのサービスが広まっており、レストランから宅配してくれるUberEatsというサービスまでも展開しています。
また、自動車は、買うものが当たりまだったのが、カーシェアリングのサービスが普及し、若者を中心に指示されています。
データの保存は、今までフロッピーディスクやHDなど、手元にあるものに保存することが当たり前でしたが、現在はクラウドサービスとして、サーバーに保存する方法が普及しています。
アップル、アマゾン、グーグル、Facebook、GAFAと呼ばれるグローバル企業のサービスを利用している限り、私たちは普段からクラウドサービスと使っていることになります。
よい言い方をすれば、世の中がより繋がり、個人では物をもたないでも、莫大な情報にいつでもアクセスできる仕組みが構築されています。
「シェアする仕組み」はいい事だけなのか?
しかし、このシェアする仕組みはいいことばかりなのでしょうか?
例えば、本をKindleにすべて保存していたら、インターネットがない状況で、その本にどのようにアクセスすることができるでしょうか?
仕事の資料をすべてクラウドサーバーに保存し、オフラインでアクセスできる資料が何もなかったら、仕事として成り立つのでしょうか?
いますぐ出かけなければいけない、緊急事態の時、家に車がなかったら、カーシェアリングやタクシーを呼ぶ必要があります。
シェアする仕組みに依存するとどんなことが起こるのか?
それは、自分でコントロールできることが減っていきます。
先ほどの例の通り、車があれば、いつでも自分でいきたい場所に行くことができます。カーシェアリングは、もしその時に借りたい車が借りたい場所で使うことができなかったら、それまでです。何もできなくなってしまいます。
今メルカリなどのオークションを見ていると、過去のCDや本が高い値段で売られているケースをよく見ます。これは、インターネットでもう一度購入することができないコンテンツを求めて、人々が買い求める結果です。
私は、ミニマリスト、何も持たない、なるべく外注等、シェアの概念はいいものとして、しばらく生きていました。ところが、最近はいいことばかりでもないのでは?と考えるようになりました。
先日知人が、路上で調子が悪くなったお婆さんを急いで、病院に連れて行ったら、なんとな一命を取り留めたという話を聞きました。
これは、自分の自動車を持っていたからできたことで、シェアした車で普段生活していたら、結構難しかったことなのではないかと思いました。
もちろん、シェアをすることは悪いことではないと、今でも思います。無駄に生産して環境に悪い仕組みを続けることは、いかがなものかと思います。
けれども、それと同時に、自分で持たない、自分でやらない事を続けていくと、そもそも自分の存在意義は?という根本的な問いが浮かび上がってくる気がしてならないのです。
シェアの仕組みに、何かを提供できれば、シェアは相互にメリットがあるものでしょう。
しかし、シェアの仕組みに何も提供できないとしたら、自分の価値とは何でしょうか?
そのことについて、今一度考え、自分が一つでもできる事を増やしたい。そんな事を考えたりする、日曜日の昼下がりでございました。