タイトルよりも、ずっと深い。
皇族のご子息である竹田さんが書いた”勉強本”。
正直に言うと、巷には勉強法の本が所狭しと溢れている。そんな書棚を見て、”勉強法の本”を読むだけで、かなりの時間を使ってしまうなあと思ったりもした。この本についても、タイトルだけ見れば、”いままでと同じような勉強本”で、新しい価値があるようには思えなかった。
けれど、立ち読みして、以下の文章を読んだときに、買って読むことにした。
人生は自分のものであるようであって、実は自分のものではないのです。このことは、死なないつもりで生きていたら、決して気づくことはないでしょう。人生が自分のものならば、自分のために生きればよいですが、人生が他者のものであるにもかかわらず、自分のために生きたとしたら、そこには必ず矛盾が生じ、その人生は歪んだものになってしまうのです。
この本の中で、竹田さんは”死生観がなければ始まらない”という趣旨の事を何度も繰り返している。
人は必ず死ぬ」という逃れられない事実 では「自分のために生きる」という以外にいったい、どのような成功哲学が成り立つというのでしょう。それは「人は必ず死ぬ」という逃れられない事実を受け容れることから始まります。 はじめから「生き方」ではなく「死に方」を考えるなど、おそらく 数多 の自己啓発書の中でも珍しいかもしれません。しかし私に言わせれば、「よりよく生きる」とは「よりよく死ぬ」ことにほかなりません。人生の最期をどのように迎えたいか、そうした最期を迎えるためには、どのような日々を積み上げればよいか、このような「死生観」を抜きにして、成功哲学を実践することは無意味
つまり、生きる・学習するという事は、どういう生き方を自分が歩んでいきたいという事なのだ。確かにそうだ、今までは知識をネットですぐ調べることなんてできなかったし、知識が価値のような時代もあった。
けれども、現代は違う。コンピューターの前で、人間がやることなすことは、すべて”非効率的”に見えて、あんまり意味のないように思える。
けれども、けれども、実際はちがう。人間は”借り物の人生”をどうやって生きたいかという”死生観・価値観”を持って生きることによって、機械が無駄なことを意味あることにできるし、面白がることもできる。
勉強ができるようになるということは、自分の価値観を確立させ、人に伝えるようになる一連のプロセスを終えることなのかもしれません。