夢をつかむ! 022_20240922
大好きな本の紹介
ヨシタケシンスケ著『メメンとモリ』
ヨシタケシンスケさんが好きだ。
絵がかわいい。内容が深い。
私がヨシタケシンスケさんを知ったのは、図らずも大好きな又吉直樹さんとの共著『その本は』だった。その時初めて知ったわけだが、実は『りんごかもしれない』などの絵本は前から知っていて、つながっていなかった。
今回紹介するこの本は内容を知ることもなく、ヨシタケシンスケさんの本だから間違いないだろうと思って購入した。
読んで衝撃が走った。
すぐに私の大好きな生徒に見せてあげた。その生徒もニコニコしながら読んでいた。
内容はかなり深いものではあるが、きっと彼は私に心の機微を見せないようにして読んでいたに違いない。私はもっと深いところで彼の心にぶっささり、私からのメッセージを受け取ってくれたことだろうと信じている。
最初、私は気がつかなかった。
なんで主人公のお母さんが「メメン」で子どもが「モリ」なんだろう?と。どういう発想でこのネーミングになったのか?と。
何度も何度も口にしているうちに、聞き覚えのある言葉に変わった。なんだ!そうか!「メメントモリ」のことだったのか!
実際、私が生徒にこの本を見せたとき、彼はすぐさま「メメントモリ!!」と反応した。
私が「メメントモリって知っているの?」と聞くと「ゲーム」と言った。
あとで調べたら「魔女」と呼ばれる少女たちの過酷な運命の物語を描いたRPGとのこと。
すぐさま飛びついたわけではないので、ただ知っているという程度なのかもしれない。
「メメントモリ」は「死を意識する」という意味らしい。
私はキリスト教的な教えはあまり詳しくないのだが、仏教でいうところも諸行無常にも通ずるものがあるのだろうか。この本の内容はとにかく私には突き刺さった。
私はつねに「時間」を意識している。
子ども支援をしている時、私は子どもに甘々で、他の大人が注意することも基本的には放置をし、できるだけその子の意志を尊重してやろうと見守るスタンスをとっている。
しかし誰よりも厳しく指導する面が私にはある。それは時間についてだ。
いくら発達障害のある生徒であっても「時間」に関しては容赦ない。
「時間」の概念を伝えることが私の彼らに対する誠意と愛情だと信じているからだ。
時間は誰にでも平等に与えられている。
そして過ぎた時間は戻ってこない。
今という時間は二度と戻ってこない。
彼らが好きなことだけするのは勝手だが、私は常に彼らに「今という時間は二度と戻ってはきません」と伝える。
「あなたが何をしようが、あなたの責任です。他の人の1時間とあなたの1時間は同じです。今あなたが過ごした時間に私は責任を持てません。なぜなら二度と戻ってこないから。だから「今」あなたが本当にしたいこと、しなければならないことを一生懸命しましょう。」と伝える。
こういうとさっきまで教室を逃げ出して遊ぼうとうきうきしていた彼が真剣な顔つきになり「せんせー、ぼく勉強したいです」と言って戻ってくる。
彼は私の口癖である「諦めない」という言葉を何度も繰り返し、これがお気に入りと言って、私の隣にちょこんと座り、自分が今何も考えずに捨ててしまおうとした時間と一生懸命向き合って「今を生きよう」とするのだ。
おっと・・・内容から大きくズレてしまった・・・
この本の内容は、もっと深くてあったかい。
お皿を割ったって、また作ればいいじゃない。
どんな生き方だって、自分が大事だと思うものやことを大事にすれば、きっと楽しいものになる。
好きなように考えて好きなように生きればいい。
汚れた雪だるまだってとっても素敵。
つまらない映画だってもしかしたら面白いかも。
ちょっと視点を変えたり、考え方を変えるだけで、みんな幸せに楽しく生きられる。
どうせみんな死んじゃうんだから。生きているうちは楽しくいきようってね。
<1年前の”種まき日記”>
今年もあと3ヵ月だな。
「お金が尽きれば夢も尽きる。これが真実だ」か。
明日はお金の話でも書いてみるかな。
<2年前の”つれづれ日記”>
子どもが好きだという話。今日も半日子どもたちと遊んだ。
本当は畑に一緒に行く予定だったが、雨で別の施設に行って遊んだ。
もう4年ぐらいお付き合いしてもらっているが、中学1年になったお姉ちゃんは私のことを慕ってくれている。嬉しい限り。一番下の女の子は来年から小学生。まだまだ遊んでくれそうでワクワクだ。