mochidon

白饅頭先生と小山晃弘(狂)さんとreiさんフォロワーです。 誰もお前を愛さない。お前しかお前を愛せない。

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最近の記事

エロゲとお風呂屋と婚活と

「エロゲとお風呂屋(意味深)だけでいいじゃないか」と考えることがある。エロゲで深い精神的繋がりと物理的繋がりを疑似体験し、お風呂屋(意味深)でリアルの物理的繋がりを束の間買う。 その2つがあればある意味リアル女性との繋がりは要らない、とも言える。要らない、と言うより「コスパ」を考えるならば割に合わない、という感覚だろう。 それでいて、婚活という苦労の割に合わないどころか結果さえ誰も保証しない場に復帰しようとしているのはなぜか。 上記の「エロゲとお風呂屋だけでいい」のは、自分

    • 「これの続きを見るまで死ねない」は強い

      「これの続きを見るまで死ねない」がいっぱいあれば、まず明日の朝に死ぬことはなくなる。明日死ななければ明後日も死なない。待っているうちに何かの続きが出る。繰り返しているうちになんか生きてることになる。 例えばこんな感じに↓ 落ちが気になる漫画(ONE PIECEと名探偵コナンはオタク人生の大半を捧げているようなもん) 発売が楽しみなゲーム(サイレントヒルfとか) シリーズファンの小説(グイン・サーガ) シリーズファンの映画(ソウ10の日本公開はまだか) やりかけのゲーム(喫

      • ていうかアレで一瞬でナシ判定されて終わりなら本当にもうわからんからさすがに相談所退会しよ。

        • 「邪魔」に「です」を付けても丁寧な言葉にはならない

          職場の同年代の女性に私がいることで自分の仕事に支障が出るような状況で「邪魔です」(半年ぶり2度め)と言われる。 言うまでもないが、「邪魔」に「です」を付けても丁寧な言葉にはならない。こういうことを言えるのは、圧倒的に自分の方が格が上でかつ相手が絶対に反撃してこないと嘗めている場合だけだ。 かわいそうランキングが圧倒的に違うので、そう思うのも無理はないし、そういう行動をしてもこれまでの人生で咎められたことがないのならそう行動しても無理はない。ただ、私も生きる人間なので、傷つ

          「バイトくん」という蔑称はあるが「バイトちゃん」という蔑称はない

          2019年頃、よせばいいのにヤフコメを見て どこかの経営者のコメントより「バイトくん」という言葉を知り一年ほどぐるぐる悩んでいたことがある。今ようやく「バイトくん」という境遇から脱しようと足掻いているが、数年という長い期間をバイトくんに甘んじていた過去は消えるものではない。 最近職場の永年勤続表彰の一環で社員とアルバイトを別にした顔写真がズラリと載った紙が張り出されていたが、面白いように前者は男性ばかり後者は女性ばかりである。女性は遅くとも30代半ば以降でバイト生活であって

          「バイトくん」という蔑称はあるが「バイトちゃん」という蔑称はない

          『〈論考〉 自己責任論の現在--もがく学生たち--』についての雑感

          数か月前、「自己責任論」で検索していた時にとても面白い論文に遭遇し、つい全部読んでしまった。少し古い論文で、学生の年代とまさに自分が同じなのもあり、感情移入しながらすべて読めた。 大阪経済大学の池野重男准教授が雨宮処凛氏の講演や著作を受けて学生にレポートを提出させ、そのレポートについて考察するという内容だ。雨宮氏の著作『生きさせろ! 難民化する若者たち』『生きのびろ! 生きづらい世界を変える8人のやり方』も数年前に非常に面白く読んでいたので、それを同年代の学生がどう読んで反

          『〈論考〉 自己責任論の現在--もがく学生たち--』についての雑感

          「やらない善よりやる偽善」についての雑感

          ネット発と思われたが以外に古い言葉なのかもしれない「やらない善よりやる偽善」。私はこの言葉自体が嫌いだ。 まずこの言葉の前提としてある「やらない善」。「~より」とあるので、「やらない善」があることが想定されているが、「やらない善」とは何か。簡単に想定できるのはネットや何かで口だけはいいが何も行動しない人。そんなものは何も行動していないのだから善ではない。動いてから言え。 「やる偽善」。これもよく分からない。想定されうるのは某闇営業問題で「社会への禊」のようなよくわからない

          「やらない善よりやる偽善」についての雑感

          想定を超えた悪意(私が弱いだけとも言う)

          コロナ関係で精神が相当にすり減っている。私が想定した以上に人々は「弱い」。弱い人はその弱さゆえに信じがたいほどの残酷性を発揮する。 今からちょうど10年前、漫画『ONE PIECE』が好きだった私=少年は魚人島編を読んで差別問題について考えるようになった。そこにいたのは力を持った弱者と権力者(とされた者)とそこに居合わせた者だけだった。その後に語られる「自分の母を殺した者でも許そう」と言う思想はその本人には申し訳ないが許すことが出来なかったし今も出来ない。 コロナで、「こ

          想定を超えた悪意(私が弱いだけとも言う)

          自己責任論で病まないために(自戒)

          自分で自分の人生の責任を負えると考えるのは、今ガッツリしっかり働けているからだ。これからどんな病気になるかもわからないし、どんな事故で働けなくなるかもわからない。コロナのような全世界的厄災を誰に責任が負えると言うのか。 すべてを「生産性」(=稼得能力)のあるなしで片付けるのも非常に暴論だ。確かに稼得能力の高い人ほど保険金の支払いで逸失利益は高くなるかもしれない。ただ、現時点でどんな仕事をして給料が低かろうと、その人はなろうで多数の読者を魅了している作者であるのかもしれない。

          自己責任論で病まないために(自戒)

          「生きる資格」は自分で決める

          「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」というフィリップ・マーロウ(レイモンド・チャンドラー)の台詞がある。 なるほどいい台詞だ。だがこれを使うのはフィリップ・マーロウのような自他ともに認めるタフガイでなければならないと思う。これはヒロインから「あなたの様に強い人が、どうしてそんなに優しくなれるの?」と問われて言った言葉で、自分から言うようなものではないとも考える。自分から言うとしたら、「私はまじめです」「私は優しいです」と言う人のような空寒

          「生きる資格」は自分で決める