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感情を超えてゆけ
※この文章は、個人主観を言い切り風に書いています。
死にたい、死にたくない
死にたいと思うのは、生きたくないからじゃない。
生きたいのに、思い通りに生きられないからで、その術を失いかけた時に死にたいと思う。
目の前でうずくまっている人にどうにか生きて欲しいと願うように、自分にもそう願ってあげる必要がある。
生きていればいいことがあるなんて、生ぬるい言葉は要らない。
自由に生きれないことは、辛くて、しんどくて、息が詰まる。
術がないと絶望する局面も、いくらでもある。
割と、誰にでもその繰り返しは起こる。
希望がある限り人は生きていられる生き物だとも言われている。
私は、希望がなくても生きてやろうと思う。
昨日も今日も、誰もが何かに生かされている。
諦観のご褒美
諦めると、その分だけ入ってくる。
これまで叶ってきた出来事の殆どは何かを失った時で、それが大きければ大きいほど、
振り返った時、与えられたモノの大きさに気づく。
自分から能動的に捨てていく、諦めていく事でも同じ現象は起こる。
心から嘆いたり、断念せざるを得ない時は、必ず何かが降ってくる。
負のループがすぐ傍に控えていて、慣性の法則で飲まれやすいけれど、自分から捨てるならその危険は少ない。
また拾ってきてもいいのだから、しがみついてる感情がないか確認をして、一旦葬ったり、諦めたりする価値は全然ある。
アンチポジティブ嗜好
どうせ、という思考は役に立たないけれど、駄目でも結構という心構えは有効だった。
ポジティブ思考の根底には執着がある。
向上心とか、切磋琢磨はここぞという時にすればいいけれど、毎日毎日そんな思考はだるすぎる。
本来、人間は食べて寝るだけで満足する生き物なのだから、面倒臭い思考を増やす必要はない。どっちでもいいわ、とか、あってもなくてもいいっていう思考が最強の無を生んで、
潜在意識の願望をすんなり掬い上げてくれる。
無意識の願望を、わざわざ表面化して祈らなくてもいい。
(妄想は別腹なので、いっぱいした方がいい)
イライラをイラつかせて消去する
怒鳴られたら相手より大きく怒鳴るとか、強盗がきてもガン無視するとか、
人は意表をつかれると固まることがある(油を注ぐこともあるけど)。
イラついてしょうがない時は、自分よりイラついてる人を見ると落ち着く場合が多い。
相手が爆発しそうな時は、先にイラついてみせると、その人はスン、となるかもしれない。
そんな機会がない時に、要らなくなった食器を割ったりするのは、食器が可哀想だからお勧めしない。バッティングセンターやカラオケにいく余裕がないなら、イライラの理由を冷静に見つめるのが手っ取り早い。
イラついてる自分は漏れなくしょうもない自分なので、そいつを目の前に立たせて、そのままの言葉を吐くしかない。
好きという感情の意味
誰かを好きになる瞬間は、勘違いから始まる。
私の理想かもしれない、なぜか気になるのは運命だからかもしれない。
それが本当がどうかはどうでもいい。
勘違いは生きてる間、無限に起こり続ける。
そうでもしなければ、繁栄の可能性が薄まるから。
相手も勘違いしてくれて、それが一生続けば愛に変わっていく(理想通りなら、勿論めでたい)。
恋愛ホルモンは一定期間、出続ける。
蛙化現象はその放出が止まる頃に起こる。
蛙化現象もしくは失恋をしたら、次の勘違いを待つだけ。
恋愛ホルモンの放出期間中に、愛に変える事ができたなら、人間の生態システムが成功したという事になる。
冷めてしまう事があっても、人間だから仕方ない。
自分の愛情が深くて広いなら、冷める事は大抵避けられる。
どうしようもない場合は、よほどの現実に直面したか、あるいは新たな勘違いが生まれた可能性がある。けど、それも人間の生態システムの一環だから、誤作動でもなんでもない。
ワクワクを止めないで(イマジンのメッセージ)
小学校の遠足の楽しみの7割は前日で、お菓子を買う時がピークだった。
当日の残り3割は、楽しみが一個ずつ減っていくのだから、お菓子を食べても、お弁当を開いても、レクリエーションが始まっても、そのカウントダウンが常に頭にあった。
後日、思い出の写真が廊下に張り出されて、購入する番号を控える頃には、自分と好きな子が一緒に写っているのを探すだけで、すでに別の楽しみに切り替わっていた。
遠足のお菓子を買うシーンは、今思い出してもワクワクする。
イマジンという曲には平和を想像するという意味が込められている。
今の世界も、やがては日本も、今よりリアルな状況の中で、想像し続ける必要性が高まっている。
一方で、個人的には妄想し続けなさいという意味だとも解釈している。
自分勝手な妄想は色々あるかもしれない。
でも、健全な妄想であるなら、たとえ想像だけでもした方がいい。
今ある自分の願望の中で、ワクワクする事を思い描くと、そのワクワクは増殖されていく。
ワクワクがピークに達すると、現実で叶うかどうかは、実はどうでも良いという事に気づく。
もし現実でそれが叶ったら奇跡ではあるけれど、あくまでおまけという位置付けになる。
人生の7割をワクワクで過ごせるなら、その人は十分幸せだと言える。
これを虚しいと感じる内は、残念ながら不幸な人生だ。
常に気分よくいるという事は、脳内バランスが整い、ストレスを減らし、人や自分に感謝しやすくなる。
世界がこんななのに、呑気な事を考えてる場合じゃないと思うかもしれないけれど、逆に言えば、こんな時こそ呑気な事を考える場合でもある。
耐えれば報われる時代は終わったので、苦悩に耐え続けてもその質量が減る事はないし、変化の為には何かを忘れる瞬間が必要で、そこから進化を見出していく。
例え人生が灰色でも、世界がどんなに不穏でも、ワクワクと感謝を繰り返す自分を選択する。そんな人が増えれば、世界は変わると想像している。
わたしのマインドフルネス
感情を越える(感情に操られない)為には、感情を観察する事が必要になる。
感情のプールに入っている内は、一過性の思考回路に繋がれているという事に気づけない。
感情は、防衛本能、トラウマ、願望依存、生理的な欲求など、色々な要素が絡まったり、強めあったりして、そのプールの色を目まぐるしく変え続ける。
眠っている時も。
誰でもどこでも、すぐに実行できる、感情を切り離す方法としてマインドフルネスがある。
深呼吸を繰り返し、少しずつ頭の中の雑音や雑念を取り払い、心の中を鎮めていく。
楽な姿勢で、呼吸の数を数える事に集中したり、何か感情や言葉が浮かんできたら、
その状態についても、ありのままに観察していく。
何かから解放されたなら、それもありのままに感じてみる。
モヤモヤの原因は体からきていることが多い。
悩みそのものが現実での出来事であっても、なぜその状況になったか、その時の自分の心はどうであったかを考えると、大抵は疲労だとか、体調不良だとか、欲求不満だとか、栄養不足だったりとか。自分で思い込んでいる原因の奥に、もっと単純な理由があったりする。
それに気づかないまま、自分で決めた悩みのタイトルをそのまま信じて、そちらをどんどん現実化しまうパターンもある。
人は短絡的で、それを真実なのではと思い込んだり、やたらと意味付けをしてしまう。
誰かに嫌なことを言われたかもしれない。
相手が本当に嫌な人で、仕方のない事かもしれない。
でもこの先の人生、そんな人を避けたり、言い負かしたり、消したりする事もできない。
その人が消えても、また別の嫌な人が現れる。
あるいは、常に自分が悪いのだと思うのかもしれない。
自分や人のせいにして、人生の刻みを進めてしまう前に、自分の状態と心を観察する事で、
悩みが変化したり、消えたり、放っておけたりする。
また、相手にも同様の理由がありはしないかと想像してみる。
カレーを食べたいと思ったのは、カレー屋の前を通ったからだし、パン屋であれこれ買ってきて、いざ食べようとすると別のがよかったと思う。
些細なことも、無意識の感情に左右されて行動している。
感情を観察できるようになると、脳みそに黙れと言い聞かせることもできるし、体が本当に欲しているものがわかるようになる。
遊ぶのか、眠るのか、食べるのか、何もしないのか。
誰かに会いたいのなら、それはなぜか。
それをやりたくないのは、なぜなのか。
それが欲しいのは、なぜなのか。
浮かんできた答えに、さらに質問を重ねてみる。
その答えが何色であっても、素直に正直に。
理由がわかれば、無駄に悩んだり、自己嫌悪にならず、その日どう過ごすかも決められる。
自分を労り充実させるのは、自分の声を知り従う事であって、時間貧乏になって趣味や予定を増やす事でもなければ、人との繋がりを過度に求めたりする事でもない。
買い物も飲食も、身に纏う服も、本来の自分で選択できているか、寝る前に1日を振り返る事で、明日は今日より良くなっていく。