”The Long Goodbye“ の世界 【イラストエッセイ】
♠
これまでの人生で読んだ数多の小説の中で、《文体》においてレイモンド・チャンドラーほど深く突き刺さったものはない。
とりわけ彼の最高傑作『ロング・グッドバイ』に至っては英語版、清水俊二訳、村上春樹訳を取り混ぜて何度繰り返して読んだことだろう。
ストーリーにおいても一行ごとの表現においても、これほど緊張感と驚きに満ちた小説にお目にかかったことがない。
チャンドラーを前にしてはドストエフスキーでさえ真っ青であり、日本の小説に至ってはもはや「子どもの作文」である。
この乾いたニヒリズムと辛辣なアイロニーと極限的なリリシズムに満ちた《長編散文詩》の世界は、僕の感性に深く突き刺さって永久に抜けることのない「棘」のようなものだ。
もっとも、ある作家の文体が読み手の感性に突き刺さるかどうかは完全に個々の好みの問題であり、incident(事件、事故)に近い確率だが。
♠ ♠
例えばフィリップ・マーロウとテリー・レノックスが、行きつけのバー〈ヴィクターズ〉で交わす有名なシーン(これなどは、まだ比較的差し障りのない箇所だ)。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。店の中の空気もまだ涼しくきれいで、すべてが輝いている。
バーテンダーは鏡の前に立ち、最後の身繕いをしている。ネクタイが曲がっていないか、髪に乱れがないか。
バーの背に並んでいる清潔な酒瓶や、まぶしく光るグラスや、そこにある心づもりのようなものが僕は好きだ。
バーテンダーがその日の最初のカクテルを作り、まっさらなコースターに載せる。隣に小さく折り畳んだナプキンを添える。その一杯をゆっくり味わうのが好きだ。
しんとしたバーで味わう最初の静かなカクテル ー 何ものにも代えがたい」
私は賛意を表した。
「アルコールは恋に似ている」と彼は言った。
「最初のキスは魔法のようだ。
二度目で心を通わせる。
そして三度目は決まりごとになる。あとはただ相手の服を脱がせるだ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
このような文体に何か感じるものがある人なら作品を手に取るのもよいかも知れない。
♠ ♠ ♠
ま、今どきこんな粋な会話ができるオッサンたちが現実にいるとは思えないが(笑)、もしかすると1950年代のサンディエゴに程近い海岸沿いの街には、本当にこんな会話を楽しめる大人の男たちが存在していたのかも知れない。
フィクションとはいえ、何の下地もないところに、そのような物語は生じない。『源氏物語』の光源氏がそうであるように。