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バーンスタインによるシューベルト/グレイト交響曲&シューマン/マンフレッド序曲

検索していて偶然見つけたDVD盤。バーンスタイン指揮によるシューベルト/交響曲第8(9)番「グレイト」とシューマン/「マンフレッド」序曲がライヴ収録されている。前者のオケはバイエルン放送管弦楽団、後者はウィーン・フィル。どちらもCD音源では聴けない貴重なものだが、特に後半のシューマンには驚いた―この演奏の存在すら知らなかったからである。



レニーは1980年代にWPhとシューマン/交響曲&協奏曲の録音 (+映像) を残しているが、そこには「マンフレッド」序曲は含まれていなかった。だからレニーによるマンフレッドを聞きたければ、1960年代のNYPとのシューマン/交響曲全集に収録された演奏を聴くほかなかったのに、まさかWPhと映像収録していたとは!このDVD盤のメインはシューベルトだろうが、僕はこのシューマンに注目してほぼ即決で購入することとなった。

シューマン/序曲「マンフレッド」Op.115は、僕の最も好むシューマン作品の1つであり、極論するなら、彼の管弦楽曲はこの1曲で充分、と思えるほどだ。フルトヴェングラー盤を筆頭に、仄暗い情熱と焦燥感に満ち満ちた演奏を楽しんできたが、今手元にあるのはホリガー盤による入念かつ拘りを感じさせる演奏のみである。それでも十分なのだが、あえて言えばそこにフルトヴェングラーやバーンスタインのような自己没入的な陶酔感は求めるべきもない。だが、この作品に関してはあたかもシューマンが憑依したかのような熱演が独特の魅力を示してくれるのも紛れもない事実なのである。


バーンスタインが演奏したマンフレッド序曲の音源は当DVD盤を含めて3種類ある―何と最初の録音はレニーの指揮者デビュー(1943年11月) の際に演奏されたことを今回初めて知った。Wikipediaにはこうある―。

1943年夏に(バーンスタインは)アルトゥール・ロジンスキの指名によりニューヨーク・フィルハーモニックの「副指揮者」に就任した。1943年11月14日、病気のため指揮できなくなった大指揮者ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニックを指揮、この日のコンサートはラジオでも放送されていたこともあり一大センセーションを巻き起こす。
この時の曲目は以下の通りである。

  • ロベルト・シューマン『マンフレッド序曲』

  • ミクロス・ローザ『主題、変奏曲と終曲 Op.13a』

  • リヒャルト・シュトラウス『ドン・キホーテ』

  • リヒャルト・ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲

https://www.carnegiehall.org/Explore/Articles/2023/08/30/Leonard-Bernsteins-Carnegie-Hall-Debut


バーンスタインにとっても、この曲が思い出深い作品であることは明白であろう。NYPとは1960年10月に2度目の録音を果たすが、そこで聴かれる解釈が概ね当盤にも反映されている。第1回目の録音での性急さは少し抑えられているものの、ドラマティックなうねりと、ここぞとばかりに煽られる暗い焦燥感はマンフレッドになり切ったシューマンが憑依したかのようだ。当DVD盤は1985年10-11月、ウィーン・ムジークフェラインザールでのライヴ映像。テンポはさらに遅くなり (13分27秒)、スケール感が増している。WPhのサウンドの美しさに比例した深いダイナミクス。実際に映像で楽しめるのは、感激の極みである。生涯3度にわたるレニーのシューマン録音がそれぞれ約20年の間隔が置かれ、どれもが秋 (10-11月) に集中しているのは偶然だろうか―。


1943年のデビューの放送音源より。3分ほどアナウンスが入る。演奏時間は11分ほど。急加速が聞かれるアグレッシヴな演奏。

1960年録音盤。12分46秒。ロマンティックな解釈が深められている。

1985年の当盤映像。アメブロで投稿した際には動画がUPされていなかったが、今はこうして拝聴できる。

「のだめカンタービレ」のアニメ版でも取り上げられていたりする。


曲紹介が前後したが、当DVD盤のメインである「シューベルト/交響曲第8番(9番)ハ長調D944」は通称「ザ・グレート」(große) と呼ばれる、彼の作曲した交響曲の中で最大規模の作品 (トロンボーンが含まれているのは第7番と当曲のみだ)。「第6番ハ長調」との対比でそう呼ばれているのかも知れない―確かに気宇壮大で「偉大」な音楽ではあるが。番号が違うことについても最近は「第8番」に定着しつつあるが、当盤を含め依然として「第9番」と表示しているものも多い。ナンバリングは便宜上のものでしかないだろう。

シューマンがフランツ・シューベルトの自宅で自筆楽譜を発見したことが直接のきっかけとなって世に知られることとなった「グレイト」交響曲。作曲家でもあるフェルディナント・シューベルトが弟フランツの遺産の管理をしていたようだが、家族の必要のためか、残されたほとんどの楽譜をディアベッリ出版社に売却してしまう。そんな彼がこの途方もない作品のスコアに気づかないわけがない―とつい勘ぐってしまう。どうも、生前シューベルトは「2度にわたり」ウィーン楽友協会に贈っているのだが、「演奏困難」という理由で取り合ってもらえなかったようだ。そのことをフェルディナントは知っていたので、(金銭的にも) 価値のないものとして放置していたのではなかろうか、と勝手に推測している。それをシューマンが絶賛し、メンデルスゾーンに初演を依頼すべく楽譜の引き渡しをお願いするも、フェルディナントはなかなか許可を出さなかったが―その理由は想像が付く―、懇願の末ようやく入手、演奏されることとなった。

この交響曲は後世に大きな影響を及ぼすこととなった―発見者であるシューマンの「春の交響曲」の冒頭部分、初演者メンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」の冒頭部分、ブラームス/ピアノ協奏曲第2番冒頭、ブルックナー/交響曲第4番冒頭など、枚挙にいとまがない。そしてグレイト交響曲自体、シューベルトのアイドルであったベートーヴェンへのオマージュになっていると思われる。リピートを含めると60分ほどの演奏時間になる大規模な作品となった理由の1つに、ベートーヴェン/第九交響曲の初演に立ち会ったことが関係しているように思うのだ―「グレイト」終楽章に「フロイデ・テーマ」が引用されるのは偶然ではない―。また、序奏を含む第1楽章、短調に転じ「さすらい人」の歩みを思わせるリズミックな緩徐楽章、アンビエントなトリオを含むスケルツォ楽章、開放的なフィナーレなど、「ベートーヴェン/交響曲第7番」をモデルにした印象を僕は抱いている。

歌曲やピアノ曲といった小編成な作品を数多く作曲し、大変人気を博していたシューベルトが心機一転、大規模な作品を手がけるようになる傾向は、ピアノ連弾の「グラン・デュオ」や晩年の「ピアノ・ソナタ第20番」(最もベートーヴェン的なソナタだ)「弦楽五重奏曲」からも伺える。どうしても後期作品の痛ましい音楽の印象に引きずられがちだが、グレイトを聞くとそれはシューベルトの一面に過ぎず、リアルにおいては自身の音楽性の拡大を並々ならぬ意欲で目指していたことを知るのは、希望の光を見た思いすらするのだ―結局抗えなかったとしても。前述の「2度にわたり」という言葉は、シューベルトのこの作品に込めた意気込みや自信のほどを強く感じさせる。

気に入っていたガーディナー/ORER盤より。「第九」を聞くと早くも年の瀬を感じるが、このコンビでの演奏がもはや望めなくなったのは残念である。

レニーのラスト・レコーディングがマーラーではなくベートーヴェンの7番だったとは。不思議に静かな演奏。1990年ライヴ録音。


僕が初めて聞いたグレイトの演奏は、確かムーティ/WPh盤だったような気がする。美しくダイナミックで親しみを感じる演奏だった。古くからの名盤として知られるフルトヴェングラー/BPh盤に接したのは随分後になってからだった。うねりにうねる振幅の激しい演奏で、彼のブルックナー演奏と同傾向にあるもの。これをアーノンクール盤で聞くと、丁寧に楽想のエッセンスを掬い取るような繊細な演奏で驚く。長年愛聴していたのはピリオドによるインマゼール盤。新ベーレンライター批評版のスコアを用いた演奏は新鮮すぎるほど。モダンオケによる演奏で他に印象的だったのは悠揚に流れるチェリビダッケ盤だった。コーダの終結音をディミヌエンドしていたのが興味深い。

当DVD盤でのバーンスタイン指揮によるものは今回初めて聞く。レニーはシューベルト/交響曲3曲を60年代と80年代に2度録音しており、「グレイト」にはNYP盤 (67年) とRCO盤 (87年) がある。当演奏は1987年6月のライヴ映像。この4か月後にRCOとのライヴ録音がなされたことになる。晩年のバーンスタインは遅いテンポで濃厚な表現をするようになるが、ここでのシューベルトはそれほどでもなく、むしろエネルギッシュで推進性に富んだ演奏を繰り広げる。

今回共演しているバイエルン放送soとバーンスタインは特に声楽作品の演奏に素晴らしい成果を残している。演奏会形式のワーグナー/トリスタンとイゾルデ、亡き妻への記念として演奏したモーツァルト/レクイエムなど名演がひしめくが (レニーがバイエルン放送合唱団の歌声に惚れ込んだのがきっかけであるという)、それらに比してオーケストラ作品の録音&演奏は数少ないので、今回の演奏は貴重だといえよう。

アラウのソロでベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番。1976年アムネスティ主催のコンサートでのライヴ。オール・ベートーヴェン・プログラムで、交響曲第5番も演奏された。

ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲。1981年、演奏会形式でのライヴ。DVD&ブルーレイ化され話題になった。

妻フェリチアの没後10周年を記念したコンサートライヴ。60分ほどかかるモーツァルト/レクイエムは重く切実だ。1988年録音。


「グレイト」の演奏の方は往年の指揮者と同様風格のあるもので、テンポ配分や伝統的なアッチェレランドなど、一昔前の解釈だ―自筆譜に沿った新ベーレンライター版が出版される以前は、かつてブラームスが校訂した版が伝統的に使われていたが、時代のニーズに合わせ多くの改変もなされていたと聞く―。それだけに安心して聞けるという面もあるが、レニーの熱気と信頼関係にあるオケの充実ぶりに引き込まれる―木管の華やかさとブラス・セクションの存在感。トランペットと共に楔を打ち込むティンパニの躍動感も素晴らしい (古典派の交響曲ではこれらがセットで扱われていた)。何よりも映像で観れるのが何倍も楽しいし、それゆえに気づけることも多い。

レニーは終始無邪気。それは指揮ぶりやカーテンコールでも確認できる。シューベルトだからだろうか、オーバーアクションは控えめであるが、とてもエネルギッシュ。第1楽章コーダの盛り上がるフレーズでタクトの振りを間違ってしまったのはご愛敬 (本人も数秒間呆然とする)。どんな指揮をしようが「レニーについてゆく」みたいな熱い信頼をオケから感じられるのが嬉しい―どんなジャンルにおいても最終的には「人となり」が大事なのだとつくづく思わされる。一番彼らしいのは第3楽章からアタッカで入るノリノリのフィナーレ。コーダの終結音が(ディミヌエンドではなく)最強音で閉じられると、オーディエンスの熱狂的な拍手に包まれる。恒例の花束が渡されるが、レニーの「何故俺だけ?」みたいな表情が面白い。実際、彼は花束から花を抜き取っては、オケの面々に投げて (!)「彼ら」の功績をたたえているのである。ところで最初に花をキャッチしたのは、紅一点のフルーティスト(正確にはほかにも女性奏者はいるのだが)。よく見るとクレメラータ・ムジカなどで活躍しているイレーナ・グラフェナウアー。彼女はこの時期バイエルン放送soの首席フルート奏者だったのだ。

「グレイト」の演奏としては必ずしも僕の好みではないが、バーンスタインの指揮と音楽を楽しめる有意義なDVD盤であった―。

RCOとのグレイト。演奏時間は50分ほどと変わらないが、オケの違いが明白。しっとりふくよか。

時間のある方はこのインマゼール盤を。唖然とするに違いない。

当盤映像のハイライト―第2楽章とフィナーレ冒頭を。

第2楽章でのオーボエ・ソロ。ドリフターズの加藤〇に見えて仕方がない。このDVDを観るときの密かな楽しみである。

記事の〆は1989年録音のモーツァルト/「アヴェ・ヴェルム・コルプス」で。バイエルン放送so&choによる至福の演奏を―。


✳️ 今日8月25日はレナード・バーンスタイン (1918-90) の誕生日である。


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