ミニマリスト的思考でいきがしやすくなった
(ややくらいです。) 線の部分は飛ばしても構いません。
働きたい、
働かないと人間として全うだと言えない、
ずっとそんな強迫観念があって、たまにいまも時々苦しんでいます。私の場合は、新聞やニュースなどを通じてだったか家庭内で、正職員以外はまっとうな労働者ではない、老後とか、生活が不安定になるし、非正規は落ちぶれた人がなるもの、に近い感じに植え付けられていたので、余計にこの呪縛から逃れられなかった。
(正規雇用がこんなに狭き門になっているのとか、当時はわからなかったです。親もここまでとか知らなかった、かもしれないです。)
他の理由もありますが、「ミニマリストの人は、(人にもよるけど)労働も必要なだけでもいい。」との考えを元に働いている人もいることを知ってだいぶ気が楽になりました。
(労働もミニマム化した人のミニマリストの本は、それなりにたくさん出ているので、それだけ上手く行っている人がいるということだと思います。だから、絶対にフルタイムの正社員にならないとダメとか、実際はそんなことなかったのかもしれないと感じています。)昔は、特殊な技能の人以外は、正職員にならないと全うに生活できない、老後困るとか、さんざん植えつけられた気がします。一度非正規になると、よほど頭の出来やスキルがあるのと、運が良くないと正規にはなれないとか、後ろ指指されるとか、強迫観念のような認識でした。(非正規は、ニュースとかで報じられるとき無職判定されるとか、いわれました。)
筆者は、長いこと自分が思っていたよりも(障害と病気の関係で)働けるところが限定的になっています。そもそも、告知が遅かったせいで自分の性質的にフルで働くのが、ほとんどの職で難しいとかもなかなか実感がなかったので、そのせいで余計にいろいろ遠回りを強いられている部分もあるかもしれないです。
余計にそのせいで、精神的に追い込まれたりもしたのですが、脱線するのでここでこの話はやめます。
ミニマリスト的思考は、一般的な労働が難しい人達が、息をしやすくなると思う。
適正や、先天的、後天的な要素によって、一般的な労働環境に身を置けない、壊滅的に合わなくて体や心を壊す事が、認知されつつあります。
しかし、その人達を組み込んでも問題なく動くように社会の政策や労働環境が正常に機能が組み込まれていない、もしくは機能しておらず、実情は歪であるように感じます。
そのせいで、余計に働けない人もいて、筆者のような概念がある人ほど苦しいと思います。(週40時間労働、正社員。でなくてはいけない。)「働かざる者~」的な思考で筆者は落ち込みます。
実際はパートの人も多いとは、大人になってだんだん知っていたけど、やたらとニュースで正社員と非正規の社会格差の不安があおられたり、ニュースで事件に被害者、加害者に上がったときに、パート、アルバイトは無職扱いだとか(労働者扱いではない)とかで、正社員以外はだめだと親が刷り込んできたのが、まだひびいてます。
(平成からは特に会社の利益を上げるために、非正規雇用の割合をすごく増やした会社が多くて、正社員のなりやすさなどが昭和と平成で違っていたのを筆者の親世代の認識で理解できている人は少なかったのかもしれないです。転職しなかった人は特にそうかもしれないです。)
生活できる程度のお金があるなら無理しなくても大丈夫。
ミニマリスト関連の本を読んでいると、「生活できる程度お金があるならそれ以上無理して働かなくても大丈夫。」というような意識が少しずつ頭にしみてきて、少し焦りが減りました。
幼少期から障害がわかっていた人、とかはともかく、大人になってから、一般的な労働ができないことが判明すると、(学校卒業前後や、入社後につまづくと、新卒採用以外は正社員になるのが難しいせいもあって、正社員は絶望的になったりする)いままで信じこんでいた一般的な労働者の姿に自分がなれないことへの苦しみがあります。
労働の多様化といっても、フリーランスとかでうまく行く人は一握り(金銭的に賃金がたくさんもらえて、安定した生活ができるレベルだとかはなかなかだ)とか、不安はたくさんあります。
本を出せてる人とかは、なにかしら一段落して軌道にのれてうまく行っているような人達でしょうし、焦りが全くないわけではないけど、もう少し世の中の政策が優しくなったら嬉しいなとか、思いながら無理のないように前進していきたいです。
(生活できるだけのお金があるなら無理しなくていいのは、老後の年金も見方によってはそうかもしれない。)