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40代膵臓がんサバイバーです [9]

〜前回のあらすじ〜
一般病棟へ移り、慣れないリハビリや、術後の検査にヘトヘトになりながらも、なんとか2週間経過。術後の頭のぼんやりもだいぶ抜けてきて、自分の頭の働いてなさに、ちょっとショックを受けたり、シャワー予約問題が起きたりと、何だかんだ病院生活へ溶け込んでいく。


クリスマス前には

入院生活も中盤に差し掛かって来ました。
だいぶ病院生活にも慣れては来ましたが、ちょっと動くだけでも大変です。

眠る時はお腹の傷が痛むため、仰向けになれない。寝返りが打てず、いつも右か左を向いて寝ていたので、いつも体の片側のどちらかが痛い。
検査に行っても、相変わらず腹筋が全然使えないので、技師の方に起こしてもらう。検査に同行してくださる先生の、歩く速度に全く追いつかない。
傷口が引っ張られる感じがして、姿勢を正して歩くことができず、腰の曲がった”ひとみ婆さん”のように、いつも折り曲がって歩いていました。

ご飯もほとんど食べれず、点滴はなかなか外れませんでした。
食欲がない時は白いご飯にふりかけをかけて、あとは果物だけを食べていました。

談話ホールのような場所に、一週間のメニューが張り出されているので、リハビリの時に翌日の分までだけ、チェックしていました。
なぜ先までチェックしないのかと言うと、明後日のメニューが食べれなさそうなメニューだと、一日の唯一の楽しみが減るからです。心のリスクヘッジです(笑)麺類は先生の方針で禁止。麺類はよく噛まないで飲み込んでしまうことが多く、詰まると危険だからみたいです。

そんな中、家族は忙しい合間を縫って、毎日病院へ顔を出してくれていました。ちょっとでも話をできると気分転換にもなりますし、ちょっとした買い物(テレビカード、コンビニへ買い物など)をお願いしたりしていました。


自分の前では勤めて元気に振る舞っていますが、自分と同じように辛い思いをしているのは間違いありません。意外と本人より、周りの人たちの方が想像以上に気を揉んでいるものです。そして、そんな家族を見守って、色々と配慮して頂いた周りの方々にも感謝しています。

先生達と、「クリスマス前には退院できるといいね」なんて目標を立てて、それを楽しみに毎日過ごしていました。


ウォシュレットだいじ

消化器系の患者さんは痔になりやすい。と思います。
お尻に軟膏塗るのは、トイレの回数の多い状況からするとしんどいです。
看護師さんのアドバイスでは、ウォシュレットで洗い流して、最後にティッシュで軽く抑える程度がいいよと言うことでした。確かに毎回真面目に拭いてると、お尻がヒリヒリしてきます。そういう意味でも個室のトイレは良かったと思います…ウォシュレット共用はちょっと気になりますよね。


働いてた方がマシ

高熱出して、2−3日寝込んだりする時ありますよね?そういう時って、体が相当しんどいのがわかりますが、もはやその状態の方が今の自分にとっては遥かに元気に感じられます。

自分は別に働き者でもないです。本当に。
が、こんなに毎日ずっとしんどいなら、たとえ愚痴を言いながらでも、週末には飲んで適当に憂さ晴らしして、健康で働けてる方が、ずっとずっとマシだと、心の底から思いました。

病室では本当に色々考えました。
今までのこと、これからのこと、そして少し前に亡くなった母のこと。

そんなことをぼんやり考えていたら、インターネットラジオから偶然、Duran Duranの「Ordinary World」が流れて来ました。
懐かしい曲だな。そういえばどんな歌だっけか…と改めて調べたら

昨日のことにクヨクヨせずに、「普通」の世界(人生)を切り開らかなきゃ
自分にとっては一大事でも、世界にとってはちっぽけな、よくある話
どんな世界も自分の世界、生き延びる術を身につけよう


という歌詞が、今の自分の状況に当てはまって、なんだかどんどん涙が出て来きました。ベッドに横たわりながら、ぐちゃぐちゃの顔で、晴れ渡った空をただ、眺めていました。



当たり前すぎて意識もしていなかった、平凡な普通の生活でさえも、今の自分には大変なことです。
『平凡、普通は、つまらない』なんてよく言いますが、もはや「つまらない」でさえもない。「つまらない」以下です。

しかし、いろんなご縁があり、無事に助けてもらった以上、またその「つまらない」日常へ戻って、いつものように「つまらなく」生きてゆかねば、、、と思うのでした。




つづく



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