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苦悩する家族~兄弟姉妹は他人の始まり(後半)

  "私たちの清らかな愛の結晶、まだ幼い姫は、
 幼いながら気品のある淑やかな娘ですから、
 立派な教育を受けるに値すると思います。
 お願いですから、
 少しはあの子を愛してやって下さい。"
                  シェイクスピア「ヘンリー8世」より
                キャサリン王妃の王への手紙

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先月のGレッスンのお題(リーディングとカルマの考察)で、
ヘンリー8世とアン・ブーリンを取り上げた。

事前に、ちょうどネットTVで「ブーリン家の姉妹」が、
一か月無料視聴できるとあったので、
視聴してね、とお願いをして。(それでも見てない人はいるw)

上手く情報を引き出せない人もいるんだけど、そこはそれ。
完璧にリーディングするよりも事前の下調べや、自分には無関係な赤の他人のことを、客観的に知ろうとする試み、その姿勢が大事なわけで。
(リーディングの精度に囚われるべきではない)

アカシック・リーディングにしても、単なるエレメンタルの読み込みにしても、事の全容及び詳細を捉え、かつまた正確に細部の情報を読み取るためには、視野の広さや基礎的な知識(ありとあらゆる分野の)、そして何よりも自分以外の人間に対する興味と共感性、好奇心が重要なファクターであり、基礎を築く礎となるから。
(精神のオクターブの広さ、洞察力の深さ、心の知能指数の高さ、多次元から考察できる知性など、それらも重要ですけれども)

数学を解くにはまず足し算引き算などの算数が、文学や国語を解するには文字の読み書きが・・・ってなのと同じです。

さて、ヘンリー王の時代は、
日本では室町末期、戦国や織田信長より少し早い時代。

若い頃は賢王の兆しがあったものの、長年連れ添った糟糠の妻を離縁し、王妃を次々ととっかえひっかえ(処刑)してまでも、跡継ぎを設けることに執着し、そのためにローマカソリックから離脱し、国教会まで立て、忠誠を尽くしてきた国の益になる忠臣をも処刑してしまう。彼をこのような独裁者のようにしてしまった原因は何なのか。どのような個人のカルマがあってのこの人生だったのか、彼はイギリス王家にどのような負債を遺したのか。

そして、アン・ブーリンは・・・?
彼女はどうすべきだったのか、何が彼女をそうさせたのか。
ブーリン家のカルマとは?

・・・みたいな・・・そのあたりを掘り下げていくつもりだったのですが、

結果的に、
二人とも同じような闇を抱えていたという事実に突き当たったり。

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ヘンリーは、正当な跡継ぎである兄の控えであり、
あくまで何かあったときの二番手としての自分の立場、
兄と差別されて育てられる過程において心を歪ませてしまった。

アンは、美しい姉・・・両親の期待を一身に背負っている姉と自分との境遇の差、愛情の差に傷つきながら、子供の心を持ったまま大人になった。
両親に愛されたい、期待されたい、注目されたい、そんな承認欲求があったからこその、あの行動だった。

二人ともアダルトチルドレンで、ヘンリーの育ち方は機能不全家族といってもいいかも。お貴族様の中でも、王室はまた特別ですからね<親子関係

ヘンリーの方は、それでも子供の頃は活発で、兄とも対等というか普通に接することが出来て、無邪気に過ごすことが出来ていたけれど、幼年期から少年期に至る時期において、圧倒的な兄との立場の差を植え付けられ、思い知らされ、段々と陰鬱で、斜に構えるような、後ろ向きに物事を見るクセが付いていったようです。コンプレックスをこじらせたというのかな。

(どうせ、オレは予備の子供だからさ・・・みたいな。ここで、蓮舫さんに「二番目じゃダメなんですか?」とでも言ってもらいたいかも)

だから兄が急逝して後を継ぐことになっても、嬉しくないというか、やれやれ的な・・・今頃みんな擦り寄ってきやがって的な・・・そんな感じだったみたいですね。

子供時代は素直ないい子だったのに、同じ両親から生まれた兄弟であるにも関わらず、立場が違うからと、周囲によって差別された結果、ひねくれたイヤなヤツになってしまった感。(途中からはっちゃけたみたいで、頭を打ってからは脳のダメージにより、残虐気質が引き出されてしまったと思われ)

で、自分が生まれたときから長男である兄の予備で、兄が王であることは生まれた時から決まっており、自分は2番目に生まれたばっかりに王に下る臣下として、差別され育てられた陰鬱な子供時代を過ごした屈辱的な経験から、生まれたときから正当性を疑われない、誰もが認める立派な嫡子(長男たる跡継ぎ)にこだわったみたいです。それも自分の血を継ぐものとして。

庶子の長男なら居たわけだし、正当性のある跡継ぎというなら、娘(メアリ)がいたわけですが。彼の心に空いた穴、トラウマたる幼少期に刷り込まれた価値観は、その事実だけでは埋め合わせることは出来なかったようで。

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一方のアンもまた同じ。
王とその家臣というほどの差別はされなかったと思うけど、両親の期待は明らかにいつだって美しい姉にあり、美しくない自分は両親をがっかりさせる存在で、両親の愛情に飢えていた根暗な少女ってとこ。でも、彼女は負けん気が強くて、何とかして、両親の関心を引きたいとも思っていた。

だから、姉を超えたかった。
姉がヘンリーの愛人になり、庶子を産んだのなら、自分はそれ以上の存在、正妻になり、庶子ではなく嫡子を産んでやる!!姉にはできなかったことを自分がすれば、両親は自分が娘であることを誇りに思って、私の存在を喜んでくれるに違いない。姉よりも自分のことを評価してくれるに違いない。

(それで王妃になることに固執したんだなー)

もし、アンの両親が姉妹二人を分け隔てなく、どちらにも愛情を注いで、それぞれの資質と個性を認める子育てをしていたなら?

当時のテューダー朝、イギリス王室が、世継ぎの嫡男もその後の息子も、
どちらも大事な王子として待遇に差を付けずに育てていたならば?

ヘンリーは最初の王妃と離婚せず、子煩悩な父親になっていたかも知れません。メアリ王女は優しい王妃になり、ブラッディ・メアリーという渾名を冠することもなく・・・

ああ、
すると偉大な処女王エリザベスは、生まれなくなっちゃうんだな。
いやさ、浮気はしてもアンは愛人で満足して、子も庶子ってことでそれ以上は望まなかったかも。

英国教会は生まれず、ローマカソリックのままで、イギリスはプロテスタントの国にはならなかったかも。するとアメリカもカソリックの国になったのかな。スペインと覇権を争うほどの海運国にもならず、大帝国時代を築けなかったかも知れません。

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てなわけで、歴史は随分と変わっていたでしょうね。

たかが子育て…そんな、たかが、幼少期の両親との関係だったりしますが…

幼少期に親を含めた周囲から、自身の存在を肯定され十分に許容されていること、満足のいく豊かな愛情を受けた記憶があるか否かが、後の人生を支配し、狂わせることもあるのですよね。

親との関係性が人格形成に影響を与え、幼少期の育ち方、刷り込み(インストール)によって、価値観や行動規範の基準がしかと築かれて、求める方向性が決まっていくのだな・・・と。

心の飢餓状態は、幼少期の愛情不足によるものが多く、大人になって誰かから愛されたとしても、なかなか埋め合わせることは難しいようです。その飢餓を埋め合わせる代償行為として、不健全な習慣や関係に導かれていくことも少なからずで。

一般家庭のことなら身近なニュースですけれど、こうした史実、歴史上の人物のケースで見てみると、親の責任て重大だな。。。と。人一人育てることの重要さを改めて実感させられます。

世界の平和は家庭から、というのは真実なのだと、しみじみ思いますね。

すべての家庭が平和で、夫婦が対等にお互いを尊重し合って大事にしていて、家族全員が仲良くあれば、

たぶん戦争も男尊女卑も女サゲも差別も格段と減るのでしょう。

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同じ両親を持つ子供と言っても、性格も気質も個別に違うし、初めての子育てと第二子とでは、経験値や心構えも違っていて、その時の両親の人間的成熟度や環境もあいまり、(子供との相性の良し悪しもある) それぞれに接し方や対応が異なるのは理解できる。自分が大人になった今なら。

でも、子供の側にそれを理解しろというのは浅はかなこと。
大人の事情はあくまで大人の事情なのだから。

親はよく、「お兄(姉)ちゃんなんだから、我慢しなさい」と、
長子に忍耐を強いたり、下の子に対しては、
「仕方ないでしょ、お兄(姉)ちゃんのほうが早く生まれたんだから」
とか長男教、長子マンセーな対応をしたり、
もしくは長子末子関係なく、「○○のほうが出来が良いんだから」
みたいに子供たちに優越をつけ、差別化を図りたがる。

まるで子供達が規格商品であるかのように、規格内と規格外に分け、規格外をおまけのように扱う。与える愛情の分担は公平であってはいけないかのごとく、親の欲心を満たすことが出来るか出来ないかで、どちらか片方に偏重することになる。
欲心を得られなかったものは、それがさもペナルティであるかのように、コンプレックスを植え付けられ、存在価値を否定され、自分が「みにくいアヒルの子」であることを痛烈に思い知らされる。

子供の個性を見て区別をつけるのと、
差別するのとでは明らかに違うし、結果も異なる。

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でも、まぁ、兄弟姉妹の存在というのは、
生まれながらに、「家庭」という居場所、家族という社会、
人間関係の中で、比較対象とする競争相手でもある。

この存在なくして人間関係の掟、シビアな現実は学べない。

両親が自分を養い育み、守ってくれる存在だとするならば、
兄弟姉妹というのは生存競争の相手そのものだからだ。

そうした事実は動物たちの世界を見れば、よく理解できる。
ほとんどの動物たちは一度に複数の子供たちを出産するが、
一律に生まれた赤子たちすべてが、等しく育つわけではない。
母乳の争奪戦に負け、栄養不良で発育不全となり、かつ育児放棄で、
死に至るものもあるのだから。

そして、
生まれたときから競争相手としての兄弟姉妹がいたものと、
兄弟姉妹を持たない一人っ子では、我の通し方とか、
社会性やら人間関係の築き方が違っていたりするのも事実。

幼少期に大人だけとのみ接していたり、気遣いをする他人とだけ接してきた人と、自分と年齢の近い子供達(様々な年代)と接してきたものでは、コミュニケーションの取り方、成熟度に大きな開きがあるから。

親との関係性もその人を鍛錬するシビアな修行場だが、ライバルたる兄弟姉妹との間に生じる問題こそ、その人の人としてのコミュニケーション能力、社会性を最大限に鍛える修行に成り得るのである。

ただし、心のささくれときちんと対峙して、理不尽な状況に対する葛藤を消化し、自分自身の内面の嵐と向き合えればの話。こじらせてしまっては元も子もないのだが。

さて、最近読んだまとめサイトの記事の中で、
知的障害の妹を持つ姉のホンネが書かれているものがあった。

※こちらにその記事へのリンクも掲載していたのですが、そちらの記事は削除されてしまったようです。なのでそちらを読まないことには下記内容が解らないかもということですみません。

彼女のもともとの資質もあろうが、たぶん、この親がもっと彼女を見てあげていたならば、彼女がこのように妹への感情をこじらせ、障害者に対する偏見の心を宿らせることもなかったのでは、と。

普通とは違って生まれてきた妹のことを、こんな風に産んでしまったという自己の責めや良心の呵責、憐れにと、不憫に思う気持ちから大事にはしても、だからと言って、健常者に生まれた姉のことを親としてなおざりにしていいわけではない。自分と同じように考えて、妹を守るように、模範的な行動を強いる理由にしていいわけではない。

この親がもっと、妹は妹、姉は姉として接し、こうした姉妹を持っているという子供社会での彼女の立ち位置を想像して理解しようと努め、傷ついているであろう気持ちに寄り添って、心のケアやサポートをしてあげたなら・・・妹を大事にはしても、妹ほどに構わなくても、邪険にさえしていなければ、普通に褒めたり、関心を持ってあげていたならば・・・

妹のことを愛せる気持ちが、少しは育っていたかも知れないのに。
少なくとも憎いとか、死ねばいいとか、
障害者全体に対する憤りを持つこともなかったろうに。

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私は山岸涼子さんの作品が好きだったりするのだけど、
彼女の作品にも、兄弟姉妹同士の間に存在する
心の葛藤や感情の澱などを扱う話がわりと多かったりする。

それを主体にしたテーマ以外のものにも、兄弟姉妹間のわだかまりや複雑な感情に起因する、心のひだ、闇に触れているものは多い。

ぶっちゃけ「日出処の天子」も、実子なのに怖がって、母親が厩戸に冷たかったのが、彼がダークサイドを抱える原因だったしね。

そんな風に一筋ならではいかない、親子の愛憎、兄弟間の確執を見事なまでに綾なして作品に描くことの出来る貴重な作家さんだと思う。

「常世長鳴鳥」は、喘息持ちで足に障害があることから、
両親や祖母に不憫がられ、寵愛を一身に受けている、
美しい姉に対して、どんどん心を歪ませていく妹の悲劇だ。

「瑠璃の爪」は、兄・姉・自分という3人の中で、母親に一人だけ偏愛され、愛情でがんじがらめにされた妹が、母の死後、一見妹想いの行動と周囲に信じさせる姉の悪意から逃れるためにそれしか方法がなく、姉を殺した…という話。

「グリーンフーズ」は、
子役スターとして一家を養うほどの人気ものだった兄が、実は才能のある妹に嫉妬していて、落ちぶれた後、妹を利用・搾取して生きる術を得ていたものの、実は悪意をもって、妹の幸せを邪魔していた・・・という話。

「木花佐久夜毘売」は、優秀な姉の影に隠れて、自分の存在を否定され、
自らの存在価値を見いだせないでいた妹が、姉の引き立て役、家族のおまけである自分を脱却し、居場所を見つけようとする話・・・かな。

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本当に兄弟姉妹って複雑だ。

同じ親の元、同じ環境に生まれたからと言って、
必ずしも気が合うわけではなく、愛せる対象になると限らない。

数人いる兄弟姉妹の中で、気の合うものもいるし、
そうでないものもいるし、兄弟姉妹という関係性がなかったら、
絶対に関わらないだろうというような人だったりもする。

その逆に他人だったら、もっとうまく関われたかも知れない、
友好的で協調性のある、親しい関係になれたかも知れない、
そんな者同士もいる。

兄弟姉妹として生まれたから、親だから、子供だから、
血が繋がっているからこそ、親しい関係を形成できた、
他人だったら絶対に混じらわないような相手だったけれども、
そのような関係性に生まれたから、
嫌でも関わらなければならず、生活を共にし、
意見を交わし、関わっていく中で理解しあえた・・・

そういう家族もあるだろう。

夫婦だったら、離婚して他人に戻ることは簡単だけど、
親子だから、身内だから、簡単に切れない縁があるから、
覚悟してとことん付き合っていかなければいけない、
そんな相手だったから・・・というのも。

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さて、あなたは今の家族から何を学んだろうか?

今の親、子供、そして兄弟姉妹たちから・・・
血縁者であり身内である親戚たちから、
どんな試練を分け与えてもらって、鍛えてもらったろうか?
生まれ育った環境や問題から
この簡単には逃れられない家族という関係性から、
どれほどの精神的鍛錬や霊的成長を図れたろうか?

どうしてこの家族の元に生まれたのだろう。
考えたことはあるだろうか?

この家族を選んで生まれた目的はもう果たせただろうか。
きちんと学ぶことを学べて、こじらせることなく学びを理解し、
そこで培ったスキルや身に付けた価値観を、
正しい未来への選択に繋げて行くことが出来ているだろうか。

そして、
この家族とはまた来世で関係性を持ちたいと思うだろうか?
再び別の人生で親しい関係として、愛ある関係を築けると思うだろうか?

次こそはもっと上手く、良好な関係を築けるだろうか。

この人生で失敗したことを教訓にして。

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いずれにしても、孝行したいときに親はなし・・・ではないが、相手が死ぬ前に理解して、昇華しておいた方がいいことには違いない。

また、あなたの親だった人は今生の親ばかりではない。
過去の人生の数だけ、あなたには両親がいて、
兄弟姉妹も祖父母も身内も先祖もたくさんいた。

その中には酷い親もたくさんいたかも知れないが、
同じ数だけ、愛と温もりと優しさを与えてくれた
両親も兄弟姉妹も身内も存在していることを忘れないでほしい。

いつかまた、そんな関係性の人たちと出会えることもある。
今の両親、身内だけがすべてではない。

今の両親や兄弟姉妹が、愛ある素晴らしい人だったとしても、
あなたは過去と未来において、様々な両親、身内に悩まされたり、過酷な環境を人生の修行場としてギフトされる可能性がある。

今の親が愛のない、理不尽な毒親だったとしても、
この両親だけがあなたの両親なのではない。
あなたを大切に慈しみ、あふれるほどの愛を手向けた、
素晴らしい両親は過去においてもいたはずだし、
未来に出会える可能性もある。

あなたにはたくさんの両親がいる(た)し、たくさんの兄弟姉妹がいる(た)。

だから悲観することはないし、
今の血縁関係がどんなものであっても、
それが総てではないことを忘れないでほしい。

親兄弟がどんな人であっても、あなたはあなたで、個別の存在。
親の個性とあなた自身とはまったく別のもので、
精神や霊的な資質などは一切遺伝しない。
その親から受け継ぐものはあなた自身が選べるのだから。

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