広大な世界での狭小な共同体から導出される自己
自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。
(ビル・ゲイツ)
こんばんは。wisteriaです。
「周囲の人は決まってるのに、私はまだ就職先が決まらない。絶望だ。」
就職活動している、ある後輩が言う。
確かに、そう言った後輩の周り(研究室内の同じ学年)には、
チラホラと就職先が決まった人もいるようだ。
その中には、就職先が決まっていない人からしてみれば、
余裕があり、傲慢で、不遜な態度にしか見えないような者もいる。
他者との比較による、自己嫌悪・劣等感・羨望。
一方で、他者との比較による、自己満足・優越感・軽蔑。
他者との関係性が近ければ近いほど、強くなる。
就職活動ではないが、私も同じようなことを何度も経験した。
劣等感を覚える側は、非常に苦しい。
私もそうだった。
これらに対する明確な解を、未だに導き出せない。
比較し合う世界において、必然とも言える現象。
いつから、"ある"と"ない"とで比較するようになったのか。
否、そのパラメータでしか比較できない世界になったのか。
比較する世界が、全く以てダメだとは思わない。
もっとこうありたいから、努力しよう、
といった向上心は、羨望から生まれる気持ちでもある。
比較するから、他者を、多様性を受け入れらない。
比較するから、他者を、多様性を受け入れられる。
この違いは、一体どこにある。
他者という違うものに、基軸をおいた時に生じる感情の違い。
否、多様な他者の中でも、自分に近しい人物に基軸をおくからなのか。
そのサンプル数の少なさ、狭小な共同体に棲んでいることに、気付くか否かなのか。
周囲の人間だけが、多様な他者ではない、ということに気付くか否か。
温かい意味で、あなたとは違う、とは思えるかどうかなのか。
無限大に発散した答えになってしまった。
皆さんは、どう考えるだろうか。
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