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神様からの言葉が礼儀作法に結び付いた時
私は幼いころから『神様』というか『見えない世界』にとても興味を持っていました。
それこそ、『妖精』『妖怪』など自分では覚えていないけど、母親曰く幼稚園生の時は一人でずっと庭で喋っていたと言っていました。
実家は浄土真宗で祖父が毎日朝と晩お経を木魚を叩きながら唱え、その横にいて木魚を叩くのも大好きでした。
『おぼくさま』と言われる朝・晩に仏壇と神棚に炊き立てのご飯を一番に置くのも積極的に手伝っていたのも覚えています。
そんな私ですが、私自身は霊とかそういうのはわからなくて、視える人の本や話しを聞くのがとても興味があります。
今このnoteではakiさんというかたのnoteがとても好きで毎回楽しみにしているのですが、その中の記事にとても納得がしたので紹介させてください。
akiさんはあるとき神様の声を聴けるようになり、いろんな神社に参拝して神様の声を私たちに伝えてくださいます。
その中で私が住む愛知県の熱田神宮の中の一つ、高倉下命のお言葉です。
周りの人にもまれることで
自分がどんな奴が分かるんだ
自分一人がポツンとして
自分が誰なのかもじもじ考えたって
分かるわけがないだろう💢
よいか、どんな時代であれ
一人だけで生きるなんて無理な話だろ?
お金を稼ぐであっても、食べていくのにも
必ず何かと誰かと話していくだろ?
そうじゃろう?
そんなのビクビクしてどうする!
人の心の奥なんて知らなくてもよかろうに
そういうのは見なくたって
その人の行動、その見た目だけで
よーく現れておる
そういう目も持ちなさい!
その人のことがよくわからない、何を考えているかわからない、どう思っているか気になる・・・そんな内を心配する人は多いです、もちろん私もそうです。
けれど礼儀作法の先生もおっしゃっていました。
『その人の心はすべて所作や動作で表れる。試しに部屋に入る流れだけでも見てごらんなさい』
・ドア(ふすま)の開け方
・その時の着ているもの
・部屋の入り方
・その時の一言
・ドア(ふすま)の閉め方
・椅子の座り方
・荷物の置き方
そういう一つに一つにその人の今までの経験や考え、今の気持ちが表れているそうです。
もし、憧れの人に会えるってなったら、流暢にできなくてもやろうとする気持ちやよく見てもらいたいという想いが髪型から服、言葉使いなどすべて表れる。もしできない部分があっても言葉で補うであろうということです。
そのためにもいろんな人に会い、自分と違う価値観・考え・生き方など知り、学ぶことで自分を磨いていくことが大事なのです。
私はだからこそ自分のできる範囲から(PTA・子供会・小学校サポーター・子ども達の友達、その保護者の方など)自ら関りをもって磨いていこうと行動しています。
その人その人の今までの生き方や経験で子供会への考え方一つとっても全然違うんだなと言うことを実感して、意見が違うことがあっても『子ども達に楽しんでもらいたい』という共通認識があるのならお互いが納得できる点を見つけられるよう話したいと思っています。
礼儀作法が気になる方はぜひご参加お待ちしております。
また、熱田神宮にもお参りに行きたいと思います。