学び忘備録㉒ なんで13歳までなのか
自分がこどもを出産して毎日過ごしているとき、私はその子の3年後、6年後、10年後が想像できませんでした。
イオンや公園で0歳の娘と歩いているときに3歳の子どもはすごい大きく見えて、6歳の子どもはしっかりしているように見えました。
10歳の子どもなんて、もう子どもだけど気軽には話しかけづらいと思っていました。
いま、長女が11歳ですが、10年前から思うとやっぱり個性が出てきたなと思います。
3歳の時にあんなにハマっていたプリキュア、そしてテレビを観ながら踊っている姿。ショッピングモールでのイベントでディズニーのドレスを着て写真を撮りたいと目を輝かせていたあの時。
公園で「帰らない」となんども滑った滑り台。
今ではそんなことなかったことのように、「公園?じゃぁ車の中でマンガ読んでるわ」「ドレス?恥ずかしくて着れない」なんて言うように。
自分の好きなものも変わっていく。
お金に関しても「これが欲しい」と駄々こねるのではなくて、自分で買うためにお手伝いをしてお金をためていくように。
自分自身の13歳、中学生の時も苦しいけど思い出すとわかります。
親の言うことなんてうるさいだけですわ。
こどもの真似をしたい2歳ごろ
いろんなことを知りたいなぜなぜ期の3歳
自分でやりたがる5,6歳
学校に行きはじめて世間の常識とは、自分の家族と同級生の普通とはを気づきだす10歳
この間に人として自分のお尻が拭けるようになるようトイレトレーニングしたり、ごはんが食べれるように箸の使い方を覚えたり、清潔な生活ができるように歯を磨き、お風呂に入るのを覚えるように、これから「教える必要ないやろ」という人はいないと思います。
その中に人間として生きる基礎として礼儀作法は大事だと思います。
幼稚園や学校では一人でトイレに行けるのが前提、服は自分で着れるのが前提と年齢にもよりますが、ある程度みんなができて当然だよねという前提の下で話していることもありますが、人としてこれはして当然だよね、これはしちゃだめだよねといいう前提もありました。
しかし、今その前提が親から、親の親からほとんどできていないのです。
私も親から教えてもらっていませんでした。
だからこそ社会人になってどんどんどーんとおじゃまぷよみたいに積み重なるように問題が表面的に出てきて「自分自身」までもつぶされてしまうようになったのです。
それはとてももったいないこと。
礼儀作法がみんな当たり前にあるという前提があれば相手を敬い、自分を大切にして良い人間関係からお金ではない心の余裕、人間として考える力が備わると思うのです。
私もまだまだ勉強中ですが、早いうちから身に付けて本当に損はないです。
気づいたらその時から身に付ければ今後の人生のプラスに必ずなります。
娘は小5、やっぱり自分の考え方を持ちつつもまだ、世間が怖い印象、知らない世界という感じがあり私に色々聞いてもくれたり、付いてくれたりもします。中学生になったら勉強、部活、友達関係など自分の世界を広げるために家族とは一緒に住んでいてもなんとなく離れている時間になると思います。
だから13歳までなのです。