自慢してもよい理趣経
SNSのコミュニティで、ちょと自分のことを話すと、関係ない奴が出てきて自慢だと言ってくるのがたくさんいたが
聞く方に問題があるんですよ。
私は若い頃トヨタの営業しました。
営業では、まず信用してもらわないといけないから
自分がどんな人間か自己紹介していきます。
SNSのコミュニティでも、ちょと自己紹介すると
絡んでもいないかたが、自慢だと言ってくる奴がたくさんいた。
そんなかたは僻みや敵意帰属バイアスなだけなんだよ。
精神修行もいろやりましたね。
真言宗では、仏教ではあるまじき教えの理趣経が、僧侶の勤行で読まれている。
これは、煩悩即菩提や歓喜天や愛染明王に繋がるのだが、修行や理解や身に付けるのは、奥義にはいる。
日本の密教は、インド密教の中期密教までしか入っていないが
チベット密教は、インド密教の最後の後期密教まで伝わり伝承されている。
後々説明していきますが
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真言密教では、「自性清浄」という思想が根本にある。これは天台宗の本覚思想と対比、また同一視されるが、そもそも人間は生まれつき汚れた存在ではないというものである。『理趣経』は、この自性清浄に基づき人間の営みが本来は清浄なものであると述べているのが特徴。
特に最初の部分である大楽(たいらく)の法門においては、「十七清浄句」といわれる17の句偈が説かれている。初句:「妙適清浄の句」の句とは文章の句のことではなく、ごく軽く事というほどの意味である。 また、初句は総論で、四の四倍の十六の各論に総論を一つ足して十七句となっている。
妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
觸淸淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
愛縛淸淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
一切自在主淸淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適悦淸淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
愛淸淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
慢淸淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
莊嚴淸淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
意滋澤淸淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
光明淸淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
身樂淸淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
色淸淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
聲淸淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
香淸淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
味淸淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である