【大内家の野望 新生】 第16話:武田家討滅戦 〜躑躅ヶ崎館の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
▼第16話:武田家討滅戦 〜躑躅ヶ崎館の戦い
■上州の武田領4城を攻め落としていく
近畿の三好家、中国の毛利家、中部の織田家と次々に強豪を破ってきた大内家は、甲斐の虎・武田信玄の武田家と激突。砥石城(長野県上田市)や小諸城(長野県小諸市)などの東信濃の諸城を攻め立てる。武田家の威光もこれでかなり削げるぞ。
先に上原城(長野県茅野市)を攻略したことで、砥石城を通らずに小諸城へ行けるルートができている。堅牢な砥石城よりも背後の小諸城にどんどん兵を送り込んでいく。
兵だけではなく、謀略もどんどん実行。弘中方明が望月千代女の助けを借りて、小諸城主となっていた諏訪勝頼(後の武田勝頼)を闇討ち。
さてそんな頃、同盟勢力である長尾景虎の長尾家に援軍の申請でもしようかと思っていたら、交渉内容に「従属」の文字が。大内家に従属しないかと勧告できるようになっている。それだけ大内家と長尾家の兵力差が開いたということだろう。
従属を勧告してみたところ、長尾景虎が折れた。これで越後の長尾家は、大内家の従属勢力として傘下に加わることになった。大内家は関東の北条家と同盟関係を結んでいるので、これで北条家は長尾家に攻め込むことはなくなっただろう。東北の伊達家に脅かされない限り、長尾家はこれからも安泰のはずだ。共に栄えよう。
さっそく長尾景虎には砥石城攻めを手伝ってもらう。北条家との戦いが無くなった長尾家は安心して出兵してくれて、難攻不落の砥石城も力を合わせてあっという間に落とすことができた。この調子で、背後の小諸城も落とすぞ。
一方で、武田信玄の本拠地である躑躅ヶ崎城(山梨県甲府市)には次々に大内軍の主力を差し向ける。陶隆房隊、島津義久隊、鈴木重秀隊、山中鹿之介隊など猛者たちが甲斐国へと入っていく。戦上手の武田信玄相手では、手を抜けない。
策謀でもサポート。鍋島直茂が一揆の扇動に成功。武田信玄は城の守備だけではなくて領内の一揆の鎮圧にも兵を回さなければならない。
弘中方明の策謀で城主の諏訪勝頼が手傷を負い、防御力が低下した小諸城。毛利元就隊が一気に攻めて、ついに陥落。これで信濃国はほぼ制圧したぞ。
武田家の勢力は上野国(群馬県)の2城にまで及んでいる。まずは箕輪城(群馬県高崎市)の攻略だ。箕輪城の城主は統率88、知略87、政務85とかなりの手練れの名将・下間頼廉だ。ここは策謀を仕掛けて、闇討ちだ。
闇討ちが成功して下間頼廉が負傷した。その隙を狙って、従属した長尾家と一緒に箕輪城を総攻撃。あっという間に箕輪城は陥落した。
■武田家の本拠地・甲斐国へ
躑躅ヶ崎館を攻めている間に、実は鈴木佐大夫隊がこっそりと駿河国の今川家、相模国の北条家と同盟勢力の領地を通らせてもらって、津久井城(神奈川県相模原市)と急襲。今まで今川家と北条家との婚姻同盟で安全だった津久井城の兵が、慌てて城から出撃する。まさか背後から来るとは思わなかったようだ。
一方で、残る上野国の城・国峯城(群馬県甘楽町)の攻略に取り掛かる。城主はあの赤備の猛将・飯富昌景(後の山県昌景)だ。城攻めには従属勢力の長尾家の力を借りながら、毛利元就が謀略で城主の飯富昌景を闇討ち。負傷してしばらく動けなくなった。
1800ほどの塀で守っていた国峯城も、飯富昌景の負傷によって守備力が落ちて、大内家の前に陥落。これで武田家は上野国の支配地も失ったことになる。あとは甲斐国攻めに集中できるぞ。
「歴史発想源」の「鳥取戦乱篇」で主人公として描いた、後に鹿野藩初代藩主となる亀井茲矩が元服をして、大内家の一員となった。政務が87もある内政型の将だ。義兄にあたる山中鹿之介も大内軍にいるし、一緒に頑張っていこう。
どんどん大内軍の主力が躑躅ヶ崎城に送り込まれ、いくら武田信玄が戦上手といっても、もはや形勢逆転できるほどの兵は残っていない。後方の津久井城なども背後からの鈴木佐大夫隊の侵入のために援軍が回せない。
やった、武田信玄の本拠地・躑躅ヶ崎館を攻め落としたぞ。武田家と交戦を始めた頃はかなり遠いと思っていたが、ようやくここまで進出できたか。
躑躅ヶ崎館を追われた武田信玄は、岩殿城(山梨県大月市)に移ったようだ。武田家の城はあと2城。同盟中の北条家の領地も通らせてもらって、毛利元就隊などが上野国の国峯城からその背後の津久井城も狙う。2城同時に攻撃だ。
岩殿城は断崖絶壁の上に建つ堅固な城だ。信州や中部など大内毛の総力を上げて、岩殿城へと攻め込むことにする。甲斐の虎・武田信玄もこれでとどめとなるだろう。
岩槻城には武田信玄が率いる4000ほどの兵がいるが、津久井城は北条領を通ってきた毛利元就隊、鈴木佐大夫隊らの急襲によって陥落寸前だ。2城の連携プレイももはや不可能。勝負はついたようだ。
東から攻め込んでいた毛利元就隊が津久井城を攻め落とし、西からの先鋒隊であった長宗我部元親が最後の城・岩殿城を攻め落とした。これによって武田家の城はなくなった。大名としての武田家はここに滅んだのである。
最後の城が落ちたことで、武田家の名将たちが一斉に降伏。飯富昌景、馬場信春、武田信繁、高坂昌信、山本勘助、内藤昌豊、秋山信友、諏訪勝頼……。めちゃくちゃ名将揃い。片倉小十郎、丹羽長秀、木下秀長など意外な将もこんなところにいたのかっ。
武田家の有能な将たちと共に、当主・武田信玄も大内軍の一将となって働くことになった。統率100は全国1位、さらに全ての能力合計順位も織田信長に次いで全国2位の名将だ。これからの活躍が楽しみである。
大内家はこれで125城の大勢力となった。武田家がいなくなったことで、日本には大内家・北条家・伊達家・今川家・長尾家の5家しかいなくなった。すでに半数以上を押さえている大内家だが、北条家も伊達家も今川家も、それぞれとてつもない強さを持っている。気合を入れて戦うぞ。
■同盟勢力だった今川義元との激闘が始まる
武田家を滅ぼしたタイミングで、ちょうど今川家との同盟期限が切れた。これで次の対戦相手は決まった。大内家が織田家を押さえた時点で、武田家や北条家と同盟関係にあった今川家は領地拡大ができなくなり、15城で発展が止まっている。最大兵力は約13万。必ず勝てるだろうが、その後に来るであろう全国2位・北条家との戦いのために、なるべく兵力の消耗は無くしたい。
駿河国・遠江国・三河国・尾張国、つまり静岡県と愛知県のほぼ全域を押さえている今川義元。これまで領地拡大ができなかった分、内政に力を入れていたようで、どの城もめちゃくちゃ兵力が多い。そのまま突っ込んでいったのでは兵を無駄に失っていくことになるだろう。攻め方をよく考えなければ。
躑躅ヶ崎館など甲斐国は武田家から奪ったばかりで、まだ兵力が足りない。ここに今川家が兵力の多い駿河国から攻めていったらあっという間に甲斐国を奪われてしまう。ここは、西側の諸城を攻めることによって東の駿河国から西へと援兵を回すように仕向けてみよう。
今川家は北条家と婚姻関係にあるため、今川家を攻めるのに北条家は協力してくれない。大内家単独で行かなければならない。
そんな北条家は、よく見ると福島県あたりで伊達家とめちゃくちゃ戦っていた。関東地方の諸城から援軍をどんどん会津国方面へと送り込んでいるようだ。北条家とは同盟も結んでいるし、いきなり敵対関係になることもあるまい。
まず従属国家の長尾家に、北陸からも攻められる距離にある金山城(岐阜県可児市)を攻めてもらうようにしよう。金山城は今川家が最後に勝ち取った城らしく、まだ内政が進んでなくて兵数も少ないようだ。
長尾軍が金山城へ向かうと知った今川家は、尾張国・三河国の諸城の兵をどんどん金山城へと回し始めた。どの城も数百しか城兵を残していないぞ。
しかし、懸念していた東の駿河国の諸城の兵は全く動いていない。金山城は遠いからそこまで援軍を出そうとも思わないようだ。どの城も1万以上の兵がいて、甲斐国に攻め込まれてしまったら一瞬で終わってしまう。躑躅ヶ崎館などはまだ3000程度しかいないのだから。この脅威をなんとか取り除くことはできないか。
金山城で遠いならば、吉田城(愛知県豊橋市)ならばどうだ。幸いにも吉田城へは、伊勢湾の向こうの鳥羽城(愛知県鳥羽市)から渥美半島を渡るという海路がある。服部半蔵が城主として守る吉田城に、加賀国や近畿など遠方から全軍20万を差し向けてみる。これでどうだ?
吉田城に20万はえらいこっちゃ!となったのか、今川軍の領内の諸城の大半から続々と吉田城に兵が送られ始めた。東の本国・駿府館(静岡市葵区)や蒲原城(静岡市清水区)などからも兵が西へ回される。中間の掛川城(静岡県掛川市)に至っては、城兵0にしてまで兵を送っている。これで甲斐国などはとりあえず脅威は去ったかも。
長尾軍が約2万の兵を率いて金山城へと攻め寄せると、今川家は尾張国の諸城から兵を回して約3万の軍勢で防戦。かなり兵力差はあるが、長尾家にはしばらく耐えていてほしい。尾張国の諸城が手薄になった今から、美濃国や伊勢国など近隣で温存していた大内軍が一気に攻め入る!
(第17話へつづく)
【武将名鑑】(16)武田信玄(たけだ しんげん)
甲斐国の戦国大名。父を追い出して当主の座に就くと、信濃国まで広く進出。越後国の上杉謙信と「川中島の戦い」で五度に渡って激闘を繰り広げた。関東や駿河にまで領地を広げ、西上作戦では「三方ヶ原の戦い」で徳川家康に大勝。その強さから「甲斐の虎」と呼ばれる。
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