追究 〜つきつめたくて
「実験」が好きです。生活実験も好きですし、サイエンスに関わる実験も好きです。身体を張って(痛いのは嫌ですが)試すのも好きです。ミニマリズム、ミニマリストを続けているのも、ある意味、生活実験の側面が強いと思います。
例えば「冷蔵庫なしで人は生活が成り立つのか」なんて、面白い「実験」だと思いませんか?
こちらの記事でもまとめていますけど、段階を踏んで、徐々に「ここまでいけたよね。じゃぁ次はここまで行ってみよう!」って、どんどん「実験」しながら、進めていくのは面白いと思うんですよね。
そして、最終的に「冷蔵庫、いらなくね?やってみっか!」となるわけです。そして「あぁ、冷蔵庫って、なくても生活できちゃうんだなぁ」って自己確認ができる。そこが醍醐味だと思います。
追求しようとするなら、それ、つきつめたくなりませんか。
どっかの検事さんと同じようにw
つきつめたくなるのは、世の中のためになることじゃなくったっていい。自分が満足する、そして、自分のためになることだったら、それでいいじゃない。
追求、するのは自分だけでもいい。
例えば、「ビールを飲みながら、腹筋をしたら腹筋割れるのか」なんて、一見くだらない、あまり意味のない行為に思えますけど、それを「実験」してみて、結果がどうなるのか?行く末を想像するのも楽しくないですか?
いや、そんな、訳のわからない妄想、何が楽しいのよ?っていうツッコミがあるのは百も承知です。結果はどうあれ、やってみることが大事なんだと思うんですけどね。どうでしょうか。
追求!って聞くと、なんともお堅いイメージがありますけど、こういう「少し外した追求」だと、逆に馬鹿馬鹿しく滑稽に思えますよね。
こういうくだらない「実験」ばかりやってたって、何にもならないかもしれませんが、わたしはそうは思いません。
実験と結果は切っても切れない関係ですから、何かしら結果は残るはずです。
くだらない結果だったとしても、誰からも賞賛されない結果だったとしても、世の中に、「くだらないことをやる馬鹿な人間がいるもんだ」と思ってもらえれば、それでいいんです。
楽しけりゃそれでいい。当人が楽しけりゃ、それでいい。
ミニマリスト、ミニマリズムだって、最初の動機は別のところにあったかもしれませんけど、結局のところは「実験」の域を出ていないと感じています。
モノが多かったわたしが、果たしてモノがない、少ない生活に耐えられるんだろうか?という素朴な疑問に対して「実験」しているんですよね。
別に答えが出なくてもいいし、答えが出たら、より良いです。
つきつめて、追求していったら、結果こうなった。それでいいと思います。
それでは、また。