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自己評価と自分に対する周りの評価のギャップ

「自分はこういう奴です」「わたしはこういう性格で、こういうのが苦手で、ああいうのが得意」って思っているのですが、ときどき、自分で思っている「自分」と周りが評価してくれている「自分」とが違うこと、ありませんか?


例えば、わたしは「話すのが苦手」「雑談ができない」と自分では思っています。だから「人付き合いが苦手」だとも思っているのです。だけど、周りの人から見ると、そこまで「話すのが苦手」なように見えない、むしろ「もっと色々、話してみたらいいのに」って、思うのだとか、思わないのだとかw


まあ、逆もまた然り。


ある分野の知識や、技能を持っているので、「俺、わたし、これが得意なんだわ」って思っていたとして、周りの目から見てみると、「そうでもないよね」って思われることもあります(この場合は、面と向かってそうは言わないと思いますが)。


こっちの方は、ちょっと残念なんですけどね。


何が言いたいかというと、自己評価って、割とアテにならないということなのではないか?ということです。


自己評価って、結構いい加減で、思い込みだったり、無知だったりで、客観的に「そうである」ということがとらえられない。


100点満点のテストで90点とっても、「10点マイナスだった、ダメな奴だ」と自己評価を下してしまうけれど、周りから見たら「え〜!90点も取ったの?すごいじゃん」って周りからの評価が異なるアレです。


この自分と他人とのギャップに戸惑い、悩んじゃうことありませんか。


今までの経験から考えると、自己評価の採点は割と辛めです。ということは、どっちがより正確に「わたしの評価」を下しているかというと、「わたし」というよりは「周りの人たち」なんじゃないか?って思うんですよね。


他人一人では、偏った見方になっているかもしれないし、正しい見方ができていないかもしれません。でも、それが2人3人と増えていくと、より客観的な視点で見られることになるので、正確性は上がります。


でもそうすると、どんどんギャップが増えていってしまうんですよね。


わたしも含めてそうですけど、「他人の評価を面と向かって、伝える」ということは普段あまりしないと思います。でも、それをしないと、周りの評価と自分の評価の間にいつまでも溝が残ることになりますよね。


ギャップを埋めるためには、「伝えること」が必要ですよね。


だからお互い「相手のことをどう思うか?」伝えてあげると、自己評価と周りの評価を埋める、橋渡しになるかもしれません。


これは憶測かもしれませんけど、社会生活を営んでいくのなら、他人と自分の評価が出来るだけ「一致」していた方が、やりやすいかもしれないな、って思うんですよね。


ズレがあるから、うまく適応できない。ズレがなければ、スムーズに溶け込んで行ける。それもあるかもしれません。


むしろ自分で思っていたことと、周りから違う評価をされたときは、チャンスかもしれないです。「自分はそうじゃない!」と壁を作るんじゃなく「周りからは、そう見えているんだ。じゃぁ、やってみようかな?」って思うくらいが、ちょうどいいのかもしれませんね。


まぁ、ギャップを埋めることが本当にいいことなのか、どうかは、まだまだ、わたしにもわかりません。どうなんだろう。


それでは、また。


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