「モノのない他人の部屋」は見過ぎない。ほどほどにしよう。
「モノを減らしたら、生活が快適になりました」というコメントや書き込みを幾度となく見てきました。わたしもそれっぽい記事を大量に垂れ流しているので、あまり強いことは言えません。
わたしとしては、「快適になった」という事実は動かし難いです。だけど、わたしと同じレベルでモノを持つのがいいことなのかは、人それぞれです。
他人の真似をするのはいいけれど、全く同じにする必要はありません。だから、参考程度にとどめて「自分のライフスタイルのあり方」をじっくり、見て、見直していけばいいです。
さて、同じ方向を向いて、日々取り組んでいる「仲間」の存在はとてもありがたいです。見ていると、喜ばしいし、共感をえるし、なんだか気分もよくなりますよね。
そしてそれを見て「わたしのやっていることは、正しい」って、思いたくなる。
これが悪いとは言いません。きっかけがないと前に進めないのなら、同志、仲間の存在というのはとても心強いです。
でもですね。
共感を得るのも、ほどほどにしておきたいです。
例えば、ミニマリスト界隈では「部屋の様子を見せる」ことがよく行われています。綺麗に整ってて、限りなくモノが少ない状態の部屋の様子を覗かせて頂いて「あぁ、自分もこうしたい」と思うこともあります。
ある程度は参考にしてもいい。
だけど、そればかりを見続けていくと、それが界隈の中で「当たり前」だと思い込む可能性があります。
そういう風にして生活している人もいます。だけど、そうじゃない人でもミニマリストを名乗る人もいる。明確な定義がないのだから、「がらんどうである部屋でなければミニマリストではない」じゃないです。
どちらもそれでいい。だけど「全く一つも部屋にモノがない」状態だけがミニマリストと名乗れるわけじゃない。でもその状態の部屋ばかりを見続けていると、いつしかそれが自分の中で「あたりまえ」になってしまう。
これがちょっと危険。
自分の中のミニマリスト像が大きくなりすぎて、それに押しつぶされてしまう可能性があります。
もう十分「モノが少ない状態」であるのに「いや、まだまだ、この状態じゃ、満足に名乗れない」と思ってしまうことも。
隣の芝生は青く見える。
それはそうなんですけど、自分ちの芝生と他人の芝生は違うのだから、あまりそれを見ててもしょうがないです。
「参考程度に留めておく」のがちょうどいい。
わたし自身、あまり部屋の様子を公開していませんが(数える程はあったかもしれませんが…)それも、周りの人たちに無用な誤解を与えかねないので、やってないです。
巷では、そのような画像や映像で溢れている。あえて、わたしが公開しなくとも「こんなものね」とイメージできる絵は、世の中にすでにある。
エビデンスとして公開するという考え方もあります。だけどそこまでして載せる必要はないんじゃないかと思うんです。
あと、もう一つ注意しておきたいのは、まだまだ「モノが少ない生活」を実践している人は、世の中にはまだ少数派だということです。
同じような絵をたくさんみると、まるで「世の中、これがスタンダード」と錯覚してしまいます。見たいモノしか見てないと、「世の中の大多数」がそうであるかのような感覚になってく。
時々、界隈じゃない人と会話をしていると、ギャップを感じると思います。わたし達はモノが少ないのがあたりまえと捉えてしまう傾向がありますが、実はそうではない。
「実家にはモノが多い」と書くこともある。でもそれも「実家」の状態の方が、世の中の大多数かもしれません。本当は、客観的に俯瞰的に両者が見てあげることが必要なんですよね。
あたりまえと思っている感覚がむしろ世間とはズレていることもあるんだということを、肝に銘じて取り組みたいですね。
いずれにしても、わたしの生活は、わたしが決める。それでいいと思います。
それでは、また。