【ドイツ】天気予報をチェックするのをやめた
海外生活でひとつ、やめたことがあります。それは「天気予報をチェックするのをやめた」です。は?天気って、大事でしょう?天気がいい日はそりゃ、いいに越したことはないけど、天気がわかんないと生活できない・・・
こんなふうに思っていますし、わたしも、そのように思っていました。
日本では、天気をチェックするのは当たり前で、あぁ、今日は朝から雨だな、傘も大事だけど、カッパでも着ようか?とか、あ、今日は気温と湿度が高いらしいから、熱中症に気をつけなきゃ!とか、割と天気予報に対して、敏感になっていたように思います。
そう「天気予報はなくてはならぬもの」と思っていたんです。
ところが、こちらに来て、天気予報を意識的にチェックすることはしなくなりました。思いついたときに、「あぁ、天気予報はなんていっているんだっけ?」くらいな感じです。
そんなに当てにはしてない感じです。
今回は、どうして天気予報をチェックするのをやめたのか、を書きたいと思います。
天気予報の精度が良くない気がする
まずはこちら。ドイツの天気予報、一応予報は出るんですけど、これなんとなく「当たってないことの方が多い」気がするんですよね。
予報では晴れと出ていたのに、午後から突然の雨とか、結構ザラにあります。さっきまで晴れていたのに、急に曇りだして、雨。そして、降ったかと思えば、サッと雨が上がって、青空が見えたり。
冬はだいたい曇り空なんで、晴れ間の出ている日が少ない。
そうなんです。天気予報は当たらない感じがするんで、アテにしてもしょうがない感じなんですよね。
予報見てもアテにならないんだったら、積極的にチェックする必要なんてなくなります。
朝雨が降ってたら、傘を持っていく。
晴れ間が見えても、折り畳みは持っていく。
その程度の認識でよく、でもそれって「予報」ではなくて単なる備えです。そんなだから、予報の精度もあまりよくないのか、それとも「変わりやすい天気」に手を焼いてて、精度良く予測できないのかもしれません。
ドイツも天気予報の精度向上に苦心しているのかもしれませんが。
ドイツ人はあまり傘をささない
もう一つ、特徴的だなと思うのは、周りのドイツ人、雨の日でも傘をあまりささないで歩いている人をよく見かけます。
スコールのような土砂降りの雨が降ることもありますが、小雨がしとしと降ることの方が多いように思います。また、それも上で説明したように、長時間振り続けることが少ないから、「多少の雨なら、濡れてもいいや」と思うのかもしれません。
日本なら、雨が降ると、至る所に傘の花が咲ますが、こちらでは、そのまま歩いているか、パーカーを頭にかぶって歩いている人をよく見かけます。
結構濡れてるんじゃないかな?って思うんですが。
そう言えば、「日傘」もあまり見かけません。ということは、ドイツ人はそもそも「傘をさして歩く」というのがそんなに好きではないのかもしれませんね。あくまでも、わたしが街を歩いていて感じることですが。
どうしても強い雨が降ってきたら、それこそ、カフェで休んじゃえ的な感覚もあるような気がしてなりません。
雨が降ろうが、槍が降ろうが、台風が来ようが、危険を顧みず会社に出勤する日本人とは、感覚がずいぶん違うのかもしれません。
「郷に入っては郷に従う」という言葉がありますが、周りのドイツ人たちは長年この地に暮らしていて、「天気のことはよく熟知している」のだとしたら、彼らの行動から学ぶのが良いはずですよね。
天気予報を見なくとも、誰かが教えてくれる
これはわたしだけかもしれませんが、予報を見なくても、誰か彼か「天気の話題を引き合いに出してくれる」ので、情報不足になることは少なかったです。
例えば「明日、気温30℃超えるらしいよ」とか「明日、寒くなって朝から雪が降るらしい」といった話題は、割と「一般会話」として出てきます。
細かい予報はわからなくとも、ザックリとした予報はわかりますから、その程度の情報でもなんとかなっている、会話の流れで得た情報で、どうにかなっているということがあります。
先月、ドイツでも大変な洪水の被害が出ましたが、それも「日本の梅雨のような、大雨が来るらしいぞ」と現地人から話題提供をもらいました。
大まかな情報がわかれば、あとは空と睨めっこして、なんとなく「今日は雨か」とか「今日は晴れてるけど、雲もあるから、用心しよう」とかなるわけです。つまり、自分から積極的に天気予報を調べようとしなくても、おかげさまでなんらかの情報を得ることができているんですね。
これはありがたい。
積極的に動くと、疲れてしまう場合があるので、そういう時は受動的に情報が得られることはとてもありがたいのです。
まとめ
天気予報を積極的にチェックするのをやめました。変わりやすいドイツの天気と、周りの皆様に支えられて「その必要性」を感じなくなりました。
天候に左右されるというのは時々モチベーションも下がりますが、それも含めて、楽しめる心の広さを持てたら、いいのにな、って思いますけどね。
それでは、また。