冷蔵庫の中身がスッカラカンに近づくと楽しいと思うか?不安に思うか?
冷蔵庫があるとしますよね。冷蔵庫の中身がスッカラカンになりつつある時って、「おお!すげー!」とか「楽しい〜」と思いますか。それとも、「やばい!」とか「不安〜」と思いますか。
モノが多い生活をしていたときは、どちらかというと、冷蔵庫の中身が減っていくと、なんとなく不安になることが多かったように思います。
食料不足っていう感覚でしょうか。
「食いもんが、ない」この不安というのは図り知れないです。人間、食べないと生きていけないので、死活問題です。
ある意味、食料の象徴である冷蔵庫。
だから、冷蔵庫に食べ物がないというのは、絶望を感じてしまうのは仕方のないことなのかもしれません。冷蔵庫にモノがないというのは、やっぱり不安を感じてしまいますよね。
でもですね。
モノが少ない生活を始めると、不思議とこの感覚、冷蔵庫にモノをいっぱいに詰めておかなくてもいいんじゃね?って思うようになるんです。
むしろ、どこまで減らせる?あといくつでゼロになる?そっちの方に「興味・関心がいく」んです。
遠い昔の話です。
祖父母の家に行ったとき、祖母がいつも冷凍庫から大判のアイスクリームを常備していてくれたので、祖父母の家に行くと「普段食べれない、アイスクリームがたっぷり食べられる」ので、楽しみにしてました。
そのとき冷蔵庫・冷凍庫の中をたまたまみる機会があったのですが、それはもう食べ物がギッシリ詰まっていたのを覚えています。几帳面な祖母は、冷蔵庫・冷凍庫のスペースを余すことなくキッチリ「モノで埋め尽くして」いたんです。
自分の家の冷蔵庫はそこまでキッチリしてませんでした(ただ雑然としているのは、多分、几帳面か、そうでないかの違いかもしれません)。
それはそれで凄いことかもしれませんけど、わたしはどちらかというと、そっちの方には走らず、むしろ「冷蔵庫の中のモノって、どれくらい減らせるんだろうか?」の方に興味が湧きました。
「冷蔵庫の中にモノがないと落ち着かない」というコメントもどこかで聞いたことがあります。
だけど、モノを手放して、冷蔵庫をダウンサイジングしていくと、冷蔵庫の中にどんどん余白が生まれていく。それが楽しくなってきちゃうのは、ちょっとアレなのかもしれませんw
最終的には、冷蔵庫すら手放してしまうという暴挙?に至ったのでしたw
まぁ、
「冷蔵庫の中にモノが少なくても生活できる」
「一番小さい冷蔵庫でも生活できる」
「最終的には、冷蔵庫がなくても生活できる」
この3つを身をもって体験したおかげで、冷蔵庫の必要性をそれほど感じなくなったというか、「冷蔵庫の中からモノが減っていくのが楽しくなってしまった」んですよね。
人体実験というか、生活ゲームというかw
まぁ、変人ですけどね。
冷蔵庫の中にモノがなくとも、生きられるし、生活できるし、食うには困らないし。冷蔵庫を手放す前、電源を外したまま、しばらく生活していたことも。
ただのクーラーボックスと化してました。だって、冷却してないのだから。ただのしまっておく「箱」としての活用。
そこまで来たらあとは、「手放す」だけですよね。
ちょっとマニアックですけど、冷蔵庫の中身を見て、不安に思うか?それとも、むしろ好奇心が沸き立つか?この辺の境界線が、ミニマリストなのか?そうでないのかの境目なのかもしれませんね。
知らんけど。
それでは、また。