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【衝撃】アウシュビッツ=ビルケナウで学んだ絶望

日本にいる時は知識として持ってはいても、実感し得なかったことは多々あります。その時、その場所に行ってみないと、なんともわからない。実感が湧かないということは往々にしてあります。


文化とは、歴史的背景とは、どうしてそうなってしまったのか。


その土地、その場所に行かないとわからないこと、まぁ、行ってもわからないことの方が多いかもしれませんけど、それでも「そこにいくことで、実感できること」はあると思います。


今回は、わたしの人生の中でも衝撃的だった場所、アウシュビッツを書いておきたいと思います。


実は何度か、筆を取ろうと思って、やめて、また取ろうと思って、やめた記事になります。


※苦手な人は、読むのをやめていただいた方が良いかもしれません。画像もいくつか貼ってますので、ご注意して、ご覧ください。


アウシュビッツ収容所


名前くらいは聞いたことあると思いますけど、第二次世界大戦の時にポーランドに作られた、ユダヤ人を中心にした収容所。有名なのがアウシュビッツです。まぁ、わたしも素人に毛が生えた程度の知識しかないので、詳しくはコチラをどうぞ。


歴史的背景については、語りません。


場所はポーランドの南部にある街。ドイツからもアクセスは可能で、自動車やバスなどで訪問することができます。


行って初めて知ったんですが、いわゆる「収容所」というのは1箇所ではなくって、いくつかの場所に分かれています。


わたしが訪れたのは、第二収容所と呼ばれているビルケナウという地名の収容所。第一の方は、残念ながら、チケットと時間の関係で訪問できませんでした。第二収容所であるビルケナウの方は、「無料」なので、簡単にアクセスできました。


ビルケナウ収容所


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はい。こちらが収容所の目に前に広がる線路です。なぜ、収容所に線路があるかというと、いわゆる収監される人を、列車で護送するために、収容所内に線路が敷いてあるということのようです。


構内に所々、立て看板がかかっていて、もちろん英語やドイツ語や、ポーランド語などですが、説明をじっくり読むと、なんとなくそうか書かれていました。


いやね、そんなことをするために、わざわざ、線路を敷いて、ヨーロッパ全土から集めた人を、列車に乗せて、ここまで連れてくる。列車に乗せられた人たちは、当時どう思っていたんだろうと考えたら・・・。胸が痛かった。


入ったら出られない収容所


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施設は朽ち果ててしまって、残っていないところも多く、だたっ広い敷地が広がるだけのところではありますけど、まだまだ、当時の面影を残すモノも残っています。


例えば、有刺鉄線などはまだ残っています。見た目はボロボロになっていますけど、つくりはしっかりしているし、頑丈そうなので、ちょっとやそっとじゃ、これは「超えられないなぁ」という印象を受けます。


ビルケナウと言う土地に、この収容所があるんですが、どうしてこの地に収容所を作ったんだろうって、考えながら、この地をグルグル回っていたんですけど、一つ納得したことがあります。


それは


「逃げようと思っても、逃げられない。周りに頼るとこなど、ない」


そうなんです。


周りを見てて思ったんですが、この土地の周りには、いわゆる身を隠せるような、建物もなければ、木や森もほとんどないんです。


見渡す限り、低い草原ですし、脱走を監視するための監視施設もあります。そんな中、何の装備もない収容所の人間が、脱走を試みたところで、逃げ延びることは至難の技だったんじゃないか、って思ったんです。


これは、施設のどこかに説明があったかもしれませんが。だけど、実際に行ってみて、感じたのは「ここに入ったら、逃げられない、逃げるのは不可能」という、おぞましさを感じました。


そんなところに来てしまったら・・・絶望しか感じないでしょう。


劣悪な環境

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「収容所」と呼ばれているくらいだから、何かしら「建物」があるはずです。そうなんです。当時、収容していた建物が、今もまだいくつか残っています。更地になって、特に整地はされていないんですが、構内は砂利道ですけど普通に歩けます。


この「収容所」にある「建物」がまた、悲惨な状況です。


いきます。


どうして、当時、こんなモノを作ったんだろうか?何がしたくて、こんなところに人を押し込めたんだろうか?考えると、腹立たしいし、泣きそうになるのは、わたしだけでしょうか?


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建物の中を見学できる施設もいくつか残っているので、入ると絶句してしまいます。ただレンガと板で区切られた、区画がいくつもある、だけ。ここに、1人ではなく、何人も押し込まれていたという・・・。悲しい。


施設は、いくつかに分かれていて、男性だけ、女性だけ、子供だけ、と言ったように、別れていたようです。


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ポーランドも、寒さの厳しいところ。


この写真はいわゆる、ストーブだそうですが、体育館よりも大きな収容小屋に、この小さなストーブが、小屋の中央にたった一台あるだけ。


もうね、コレを見ただけで、込み上げるモノを抑えることはできませんでした。そして、怒りを覚えたのは言うまでもありません。


どうして、こんな酷い扱いができるんだろう。

どうして、ここまでしなけりゃならなかったんだろう。


疑問はいくつも湧いてきますが、答えは出ない。ただ、やるせなさと、悲しさと、寂しさ、そして怒りが湧いてきただけでした。


処刑を待つ日々

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写真にはありませんけど、処刑場というのもありました。


確かに言葉はわからない。だけど、この地に来て良かったなと思うのは、人間はどうしてこんな酷いことを、同じ人間にできてしまうんだろう?と言うことを、改めて考えられたことが大きいと思う。


普段、そんなことを考えずに、のほほんと生活している。仕事が大変だとか、給料が少ないとか、もっと酒が飲みたいとか、もっとXXXがしたいとか、まぁ色々ありますけど、アウシュビッツにくると、そんなことは些細なことで、目の前に「死」がもうすぐそこに迫っている。


そんな状況で、もし自分がいたら、どうなっていたんだろう?って考えると「絶望」しかない。そんな気がしました。


ここで命を落とした人はもう、たくさんいるのだけど、その人たちのことを考えたら、情けないし、涙が出てくる気がするのは、わたしだけでしょうか。


まとめ


まとめ、って書いてますけど、まとまるような気がしてません。ただ、戦争というのは人間を狂気に走らせるし、こんな酷いことを、他人にしてしまうことも、よくわかった。


そう言うことが起こったこの地に来れたことは、わたしの人生の中でも、特に衝撃を得たエピソードのうちの一つになった。


だから戦争はしたくないし、起こしてはいけないんだって、改めて思えたのが、良かったなと思います。


もし、行くことが叶うなら、怖いし恐ろしいかもしれないけど、是非行ってみて欲しいところです。アウシュビッツ。


それでは、また。

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