サイレント・マイノリティ
一時期よく聞いていた曲があります。サイレントマジョリティ。ご存知ですか?いや、年甲斐もなく、繰り返し繰り返し聞いていた曲であります。
残念ながら、頑張って歌っている、なんだか坂の誰々さんのことは全く知らないし、名前も覚える気もないので、どんな人がいるのかさっぱりですw (ファンの人すみません😅)
ただ流れてくる歌と歌詞がどうも心に引っかかるもので。それからしばらくの間、ずーっと、ずーっと聞いてましたw
それはいい。
サイレントマジョリティって、聞き慣れない言葉だな?後になって冷静になってその意味を調べてみると、「静かな大衆」とか「物言わぬ多数派」とか「声なき声」とか言われているそうです。
なるほど、確かに世の中、というか、わたしたちの身の回りでも、表向きは「声の大きい人」の影響を受けて生活をしているような気がしますけど、実際は「声を上げていない」多数の人たちの方が多いのだから、結局は「何も言わない多数派」に支配されている。
それはなんとなく、わかる。
強制力がなけりゃ、いくら「やれ」と言われても「やらない」ですよね。どうしてもやらせたければ、強制的にやらせるしかない。
今回のメインは、サイレントマジョリティではなく、サイレント・マイノリティにを考えたいと思います。
横文字が続くんで、ちょっと面倒くさいですが、サイレント・マイノリティって言葉はさらに聞き慣れないですよね。わたしも「そんな言葉、あるの?」って思ったくらいです。
そもそも、マジョリティとマイノリティの違いがそもそもわからない。ここでマジョリティとマイノリティの意味を整理しておきます。
マジョリティ:多数派
マイノリティ:少数派
ではサイレント・マイノリティというのはどういう意味になるかというと「声なき少数派」になりますね。
例えば、わたしもかなりモノを少なくして生活をしているカテゴリーの中で生きていますけど、世の中の人たちを俯瞰してみてみると、ごく少数派に入ると思います。
まだまだ「モノがたくさんある方が豊かである」という思考の方が大衆的というか、支配的というか。一般的でもないし。
本人たちは「たくさん、いる」と思っているけれど、客観視してみたならば、多分少数派であるということです。少数派であることが、悪いことでもないし、特段いいことでもない。
わたしはただ「それがしたい」だけなんですよね。
少数派を積極的に世に広めたいとか、そんな大それたことを考えているわけじゃなく、わたしと、わたしと考えが同じ人と、共通の認識、意識を持って、盛り上がれれば、それでいいじゃないか、って思います。
その少数派のコミュニティの中で、ひっそりと、表に出ず、されど心穏やかに好きなことをやれればいいんです。
おおっぴらに宣伝することは、それが好きな人にお任せします。わたしはわたしの道を歩んでゆけばいいし、声を上げることなく少数派でいようと思います。
まぁ、世間からは相手にされなくなりますけどねw
それでは、また。