E判定が医学科合格に至るまで②
こんにちは、女医YUKOです
最近東京カレンダーのミケーラ倭子さんにハマっています
とても綺麗なお顔で変顔をしたり、「うまうま!」がツボです笑
今日は、医学部合格までの道のりの続き
模試ではE判定しか出たことがなく、もちろん強行突破した現役時代の医学部受験も完敗‥
実は大手予備校(河〇塾)の医学部クラスの入塾テストには落ちたので(!!)、駿台に通うことになりました
ちなみに駿台の医学部クラスは2クラスあり、私は入塾時点ではもちろん下のクラス、しかも成績は最下位から2番目でした‥😢
全体的にネガティブですが、根はポジティブな私!
「今が底辺ならそこから這い上がるだけじゃん」と謎に前向きでした
朝は父の出勤時間に合わせて家を出て、8時~20時まで毎日12時間勉強
もちろん土日も塾の自習室で勉強の日々でした
塾の授業も受けつつ、個別のチューターにも教えてもらいつつ、とにかく勉強漬けでしたが、当時の私のモチベーションは何だったのか‥(゜-゜)
(ひとつめは多分一度でも医学部を本気で目指した人はわかると思いますが)
・医学部に受かってやるという執念
・自分の伸びるパターンを知った
・ゼロから知識を吸収する楽しみ あたりだったんでしょうね、きっと
苦手すぎて暗記科目と化していた化学は、恩師との出会いで得意科目になりました(原理や理屈を理解すると早いタイプだったので、その先生の教え方が合っていたのでしょう)
そして、現役時代はセンター試験で98/200点しか取れなかった国語(やばすぎ)、松本先生というロックな美人講師の教え方が目からうろこで、これまでフィーリングで説いていた現代文が、記号を使い分けてロジカルに読めるようになり、要点を抑えた読解法を習得しました
そこにもともと得意だった英語と数学(といっても医学部受験で強みになるほどの得意さや点数ではない)、生物、地理 が私の受験科目でした
持ち前の粘着器質でメキメキ吸収していった私(笑)
あの頃、”スポンジが水を吸収する如くとは自分のことだ!”と実感しました
後期のクラス分けのテストでは、ギリギリ上のクラスに滑り込むことができ、模試でも大学によってはB~C判定を叩き出せるように
本当に受験はメンタルとの闘いでもあるので、問題を解くときは感情を無にするために「私はただの解答を書くロボットだ」と唱えていたのを思い出しました(思い出すほどやばい奴‥🤯笑)
(今思うと冬の頃には咳や痰が止まらず、食事量も半分以下、生理痛も人生のピークで、本当に身体に相当なストレスがかかっていたなと思います)
そして爆発的に学力を伸ばした私!ついに一浪目の受験!
滑り止め: 私大医学部(2か所)、早稲田理工学部、同志社生命医科学部
前期: 旧帝大理学部
後期: 私大医学部(のちに母校となる)の二次試験
結果、同志社と旧帝大理学部以外は全落ち
夢の医学部合格には至りませんでした‥
でも、人間って不思議ですよね
あれだけ医学部合格に執着していた私ですが、”完全燃焼した。これが私の最大限の頑張りの結果だ”と心から思えたので、結果を受け入れることができました
当然悔しさはありましたが、何浪しても受かる保証のない世界に身を置くより(それで苦しんでいる人たちを予備校でたくさん見ました‥)、切り替えて旧帝大理学部へ進学しようと決めました
‥当然、私の意志を尊重し、万全の環境を与えてくれてサポートに徹してくれた両親への感謝はしてもしきれず
母は一緒に一喜一憂し、涙してくれたこともあったので、私も将来そんな風に子供に寄り添える母親になりたいと思っています
(いま思えば、さっぱり苦手だった化学が好きになり受験での得点源になっただけでなく、のちに”化学者になりたい”と思わせるほどの変化を与えてくれた、予備校の先生は魔法使いのようですね‥!)
さて、「完」となりそうな私の受験物語ですが、
もちろんこのあと医大へ進学し医師になっているわけですから、まだ一波乱あります!
次回は仮面浪人についてお話していきますので、お楽しみに♡