故郷への慕情はそれだけではない
どうしようもないクソガキだった私を知ってる人に会いに行った。
20年近く会わずにいたら、相手は50歳のおじさんになっていた。
学校をサボりがちだったり、家のことですさんだ私を、ちゃんと大人の立場で心配してくれる。
そんな、素敵な人だった。
沖縄を出てからたまに電話やメールをすることはあったけど、最後に会ったのは今から十何年も前、21歳の帰省の時で。
最後に連絡を取ったのも、LINEで繋がって、相手が沖縄で自分の店を出すよという時。
それも10年近く前になると思う。
それっきり。
会いたいなと思うことは何度もあった。
帰省する度、お店に寄ろうとは思っていたし
実際帰省した時に連絡した事もあった。
けど私は何故かいつも、今まさに帰省中だって時に連絡をして、友達との予定を上手く立てることができず、なかなかお店には寄れなかった。
前もって連絡すれば予定立てれるだろ、っていつも怒られてた気がする。
多分、前もって連絡をして予定を立てることが怖かった。
まだ何も成し遂げてない、『あの頃の私とそんなに変わらない私』で会うのが怖かった。
そんなこと言ったら、また怒られるんだろうけどね。
だけど今回、7年ぶりに沖縄に帰って来て。
初日に叔母さんの家に行ったら、あんなに元気だった叔父さん達が亡くなっていた事を知ったり、それを教えてくれた叔母さん自身も身体が悪くなってたりして。
前もって行こうと思ってなかったはずなのに、
夜、友人が誘ってくれた飲み屋の近くでお店をしているっていうのもあって、これはやっぱり行けって事かもしれない。
会える時に会いに行こう、そう思った。
だけどチキンなので改めて約束を取り付ける勇気はなくて。さくっとお土産を渡して顔を見て。またね、で終わる予定だった。
お店に居たのは、多分5分もないくらい。
入口の小窓から、カウンターに立つその人を見つけた瞬間、あの頃に戻った。
クソガキではなくなったはずだけど、信頼してた人に会うと、どれだけ久しぶりでもこんなにも心がゆるむ。
当日、行くねって連絡はしてたけどすごく驚いた顔をして、そりゃおじさんになってたけどとても良いおじさんの顔になっていた。
何年ぶり?いくつになった?結婚はした?子供はいるの?
帰ってきたのは8年振りだよ、年はあなたとひとまわり違うよ、結婚したよ、子供はいないよ
そんな話をしてから、一拍置いて言われた
…幸せか?って言葉に
色んな色んな気持ちが混ざって、一瞬。
息を呑んで、頷いた。
あの頃。
ほぼ自暴自棄で、
自分の事があまり好きではなくて
だけど誰かに必要とされたくて、現実逃避で遊び歩いてた頃。
ただのアルバイトのクソガキに、まともなもの食べれよって賄いとは別にご飯を作ってくれたり、病気の心配して謎の薬を持って来てくれたり、誕生日を祝ってくれたり、家で一人の私が寂しくないようにあちこち連れて行ってくれたり
してもらった事はこんなに多すぎるのに。
何も返せてないことに、今更きづいた。
なのに目の前のこの人は、何でこんな恩知らずな私の幸せを未だに心配してくれるのだろう。
幸せだよ。何とかそう答えてから
それ以上は無理だった。他のお客さんもいるのに、号泣してしまいそうだった。
嬉しさと、申し訳なさと。
やっぱりちゃんと時間を作れば良かった。
こんなに恩がある人に、こんな片手間みたいな会い方するべきじゃなかった。
友達待たせてるから、また来るね
そう言って、逃げるようにお店を出た。
だからこれは自分への戒め。
次帰る時は、ちゃんと前もって連絡しよう。顔を合わせて、乾杯しよう。
今ある幸せを、嫌がられるほど語ってそして、目を見てありがとうって言おう。
忘れたいことは鮮明に覚えてるのに、忘れたくない事の輪郭は反芻しないとすぐにぼやけてしまうから。
次帰るまで忘れないでいよう。
そんな、8年振りの沖縄の備忘録。