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共感されないことを書こう

「共感」が大切だと言われます。

たとえば、良好なコミュニケーションをとるために、共感的姿勢を意識しましょう、と言われたり。

SNSにも共感を原動力にして動いている部分があります。

たとえば、Twitterのリツイートやいいね、note のスキなども共感に基づくものが多いのではないかと思います。

それもあってか、SNS や note のノウハウを説く書籍や記事では、共感を得られる投稿を推奨するようなアドバイスを見掛けることもあります。

確かに、共感される内容を投稿することで、リツイートやいいね、スキなどを獲得する可能性は上がるかもしれません。

しかし、私は「共感」重視の考え方には慎重な姿勢をとっています。

今回の記事では、「共感されないことを発信すること」について書いていきます。

共感は難しい

そもそも「共感」は難しいことです。

なぜならば、人はみんな違った存在だから。

人それぞれの人生があり、それまでに歩んできた人生がその人の思想を形成しているのであれば、思想が完全に一致するのはあり得ないことです。

つまり、「共感」とは部分的なものです。

全面的な共感ではなく、部分的な共感。

「共感できないところもあるけれど、共感できるところもある」くらいがむしろ健全だと思います。

もともと違うものを「一緒だ!」と思い込むのは危険。

全面的な共感は、「洗脳」と紙一重です。

進化学者のチャールズ・ダーウィンは、生物の分類に関して「元々分けられないものを分けようとするからダメなのだ」という言葉を残しています。

思想に関しても同様に。

似ている特徴はあるかもしれないけれど、完全に同じものはありません。

表面的な共感もある

「共感」と「同調」が混同されることについても危うさを感じます。

あるいは「共感」の皮を被った「忖度」かもしれません。

私は世渡りが苦手です。

たとえ、「目上の人」であっても、共感できない場合は共感的姿勢を示しません。

納得できないときには納得できない態度を取ります。

嫌いなセリフは「〜だろ。そう思わない?」

思わないときは思いません。

「そうですね」と言わせるような問いかけはご遠慮願います。

私は空気を読むのが嫌いです。

AKY を意識しています。

Aete Kūki Yomanai

あえて空気読まない。

同意を求める空気を察しても、本心から同意できなければ簡単には同意しません。

会議でよくある「賛成の方は拍手をお願いします」という採決方法。

意味がわからない。それで採決が取れるというのか。

拍手の音量を計測しているわけでもあるまい。

仮に音量を基準に賛否を判断しようとしても、大きく手を叩けば票数がコントロールできてしまう。せめて挙手にしてくれ。

共感とはもっと尊いものだと思っています。

本来違うものが「わかりあえること」「わかり合おうとすること」

表面的な共感は、「共感」ではない。

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