#57 発信して気づける言葉への感度
ブログやホームページ、noteで、何かを発信し始めてから2年半ほど経過しました。書いた記事数は合計すると260前後。
このくらいになってやっと、自分の発信することばに対して敏感になってきているな、という実感が湧いてきました。
最初から、ことばには注意していました。しかし、意識しているつもり、止まりでした。
たとえば、前回のnoteでは、脈拍数と心拍数ということばが出てきます。前回のnoteで書く前にも何度か、自分のブログでも使用していましたが、わたしは無意識のうちに両者を同義のものとして扱っていたことに、昨日気づきました。
noteの記事では注釈を入れましたが、脈拍数と心拍数は通常は同じ数値になることがほとんどのため同義として考えても良いようです。なのでnoteのタイトルではあえて心拍数と表記しました。
ですが、これまで書いていたブログでは、この違いをしっかり認識していたわけではなく、単純にごちゃ混ぜにして使用していました。そしてそのようなことに完全に無自覚でした。製品名である、脈拍計測機能付き活動量計という単語を見ていながら、心拍数と書いている自覚のなさ!
それぞれを個別に、「脈拍数とは何か」「心拍数とは何か」と聞かれれば「脈拍は1分間に脈を打つ回数で計測される」「心拍は心臓が動く回数」と、おそらく答えられると思います。
でも、自ら発信するときには、頭の中で勝手に両者は同義のものとして扱っている。こういうことは他にもたくさんありそうです。
ほかにも、本当にいまさらなんですが、
「高い・低い」「強い・弱い」「大きい・小さい」「多い・少ない」
これらの単語を明確に使い分けられるかと聞かれると、ちょっと、いや、相当自信ないですね。
たとえば、
”可能性” は「高い・低い」?「大きい・小さい」?
”モチベーション” は「高い・低い」?「強い・弱い」?
正しいのはどれ?違いはどこにある?
修飾語の位置が前か後ろかによるのか?
こんなふうに、ようやく意識が向くようになってきたこの頃です。
他人が書いたもので「違和感を感じる」や「不安を感じる」という表現を見ると(これは私もたまにやってしまうけど・・)それぞれ「違和感は、おぼえる、だろ」とか「不安は、抱く、でしょ。もしくは不安に思う、とか」とツッコミを入れたい気分になっていましたが、恥ずかしいことに、自分のことは全然気づけものなんだな~と思うこの頃です。
ひとの粗探ししてる場合じゃないですね。
いま見直したら、冒頭3つ目の文章の表現で「実感が出てくる」と書いていたし。道のりは長い~
※もし「この記事なんか良かったな」と思ったら♡やシェアいただけると嬉しいです。♡はログインしていなくても押せるみたいです★
★スタジオWeBA(ウィーバ)運営してるひとのツイッターはこちら
もし気に入っていただけましたら、次回の更新もぜひ楽しみにお待ちいただけたら嬉しいです。