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★パンセ。人生なんて、死ぬまでの暇つぶし。

タイトルは異なりますが、本文は先週の続きです。

前回書いたお話で、補足しておかないといけないことがあると思いました。

言うまでもなく、今は私が20代の頃とはずいぶん事情が変わりました。インターネットの普及のおかげで、自分の描いた絵や撮った映画、作詞作曲した音楽をSNSで世界に発信できるようになりました。

そこから画家や映画監督やミュージシャンになるチャンスを得ている人も大勢います。noteではwebライターやwebデザイナーになりたい人も多いと見受けられますが、クラウドソーシングを利用して仕事を得ることも可能です。

中卒だとか高卒だとかも関係ないように思います。大学や専門の学校に行かなくたって、ちゃんとコツコツと創作している人が陽に当たるチャンスはいくらでもあります。必要なのは、踏み出す勇気だけと言っていいかもしれないです。

すばらしいですね。活用できる人はどんどん活用するしかないです。

でも、残念なことにあきらめ癖がつくとできなくなるんです。技術もやる気もどんどん落ちてくるんです。これ、もったいないのですが…。

だから、私の場合は、まずnoteで文章を書くことで、自分の体の奥深くに眠る吐き出せなかった思いを表現するところからリハビリを始めました。のちのち油絵を描くことも復帰したいと考えています。

さて、もう少し昔話をします。

新聞奨学生を終えたあとに借りた2K風呂なし木造アパートには、エアコン付きという文化がまだなく、真夏は熱く、真冬は本当に寒かったです。また、当時の都内の銭湯の入浴料は310円で、毎年10円ずつ上がっていました。妹の入浴料も併せたら、もう少しお金を出してユニットバス付きのアパートにすべきだったと後悔しました。

あらためて引越しをしようと妹と相談し、昼は会社へ夜は近所の居酒屋でバイトしてお金を貯め、風呂付きのアパートへ移ることだけが人生の目的になったようでした。

私は自分がやりたいことがわからなくなって、相当悩んだように憶えています。正直に言うと、今でもしてみたいなと思ったことをあきらめてしまうことはよくあります。合理性を考えるからです。

合理的でないというのは、使ったお金(投資額)に比べ得るものが少な過ぎる、あるいは金銭的にも体力的にも消耗の方が大き過ぎるということです。今ではそういうときは、経験的な直感で、私には必要ないんだなと考えるようにしています。

お金のなかった20代、望んでも臨んでも、正社員にはなれませんでした。どうしたらいいのだろう。私には才能もないし、別に何かに興味があるわけでもないし、もう安定した生活さえ手に入れられたらいいのだけど、どうやったらいいのだろうと、来る日も来る日も考えていました。

そんなある日、通勤時の電車の中で、某人材派遣会社の広告で、『派遣のお仕事紹介、(私の記憶では)時給1,640円から』という文字を目にしたのです。まだバブルの名残りがあったのかもしれません。現在の東京の派遣社員の最低時給はもっと低いのではないでしょうか。

驚きました。すぐさま電話をして、登録会などという日に予約を入れました。

ちょっと補足ですが、ここでは派遣社員になることをオススメしているわけではありません。派遣切りなんてこともちょいちょい味わってきましたし、それはとてもつらいことでした。

興味深かったのは、その登録会で私が訊ねられたことは、これまでの職務経験はもちろんなのですが、特技だとか好きなことだとか、それはそれは事細かにヒアリングをしてくれたのです。

・土産物店でソフトクリーム販売
・書店で書籍販売
・ハンバーガーショップでフード販売
・弁当屋で弁当配達
・測量事務所でトレース、デッサンや油絵も得意
・居酒屋で給仕
・総務、経理事務、数字にはとても強い
・文章を書くのも好き

資格は普通自動車運転免許だけ。そのとき私が伝えたのは、そのくらいだったかと思いますが、仕事を得るとき、こうやって自分の中身を棚卸しするのだと知りました。

「え、トレースやったことあるんですか?」と担当者は目を輝かせて、それならすぐにお仕事ご紹介できますし、もう少し高めの時給もお支払いできますよと言われました。

当時はまだCADで図面を描くという技術は広まっていませんでしたが、ゼネコンや設備会社ではトレーサーは人手不足で、ものすごくニーズがあったのです。派遣された先では、結局2年間の契約で打ち切られましたが、その間に湿り空気線図の描き方を教わり、建物の構造について知り、建築物の設計・施工のいろはを習得しました。

ひとまず、これらの知識や技術はお金になりました。ところがそんな知識や技術を持っていても、その後私が経験した仕事はおびただしい数にのぼります。

理化学機器の営業をやったり、はんだごてで制御盤を製造したり、コールセンターでクレームを受けたり、株式売買の仲介をしたり、化粧品工場でアイシャドウの検品をしたり、アパレル倉庫で商品を箱詰めしたり、通信キャリアで法人飛び込み営業をしたり、医療雑誌の校閲をしたり、高校生のときを思い出して再びハンバーガーショップでも働きました。それでも、これらは私がしたことのある仕事のすべてではありません。まだまだたくさんあります。

人生の大逆転が起こせると期待して、青年海外協力隊にも2回志願しましたが、いずれも面接で撃沈。心底がっかりしました。

ただ、その頃はいつも、自分のやってきたことが他人より見劣りすると考えていたので、卑屈さが面接官には見えていたのかもしれません。

なぜそんなに職歴が増えてしまったか。非正規雇用者は簡単に仕事を打ち切られるんです。ところが私は助けてくれる人がいなかったので、失業中でもどんな仕事でも、「死ぬよりまし」と胸に抱き、日雇いのアルバイトでも興味のない仕事でも、生活をつなぐために心を無にしてやり続けました。したいことよりやれることを優先させたのです。

もう「夢なんて」とヤケクソだったのですが、必ず自分がやってきた仕事はどんな些細なことでも、特技として引き出しにしまっておきました。

そして、ときどき瞑想して自分ができることを詳細に思い起こし、それがお金になりそうになくても、自分が得意なこと、やったことがあること、何もかも書き出していました。できることの棚卸しです。

ここで注意しなくてはならないのは、棚卸しをした内容は、丁寧な言葉、言い回しで表現できるようにすることです。これは、履歴書や職務経歴書に書けるものになります。

やがて、私は自分の中で新たに芽生えてきた夢、したいと思った職業を手に入れ、もう10年間その仕事に就いています。
東日本大震災を東京で体験し、自然エネルギー関連の仕事へキャリアシフトしたのです。

数奇な運命です。

かのパスカルは「生涯において最も大切なことは職業の選択である。しかし、偶然によってそれは決まる」と言ったそうです。

私はこの言葉を地で行ってるなあと思ったものです。本当のことを言うと、夢が叶うとか、やりたい職業に就けるとかは、もうどうでもいいと思うようになりました。かなり長い期間、夢を叶えるという〈呪い〉にかかっていました。

そもそも、何かになる夢ではなくて、一例として田舎へ引越して田畑を耕すことを夢とし、それを実現して幸せを感じている人もたくさんいます。

パスカルはこうも言っています。

人生は、死ぬまでの暇つぶし(気晴らし)である。趣味に打ち込むことも仕事もない状態で、じっと部屋に閉じこもっていれば気分が沈んでいく。人間は何かに熱中していないと生きていけない生き物だ。人間が何かに熱中するのは、やがて訪れる死の恐怖から目をそらし、死を忘れるためなのである。

人間は必ず死にますが、その今際の際(いまわのきわ)まで何が起こるか、どういう気持ちの変化が起きるかわかりません。夢も職業もはかないものなのです。

父親のことはしばらく恨んでいましたが、29歳から32歳の誕生日直前まで、心療内科での〈クライエント中心療法〉で完全にリリースでき、心が乱されることはもうありません。

今日もあと7時間、暇をつぶして終わります。

※パンセ=パスカルの遺した金言集

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