★先生、死に方がわかりません。
人は誰でも必ず死にます。
最も語っておきたいことです。もっというと、飼っているペットも動物園の生き物も、山や川や海にいる地球上の生き物はすべて死ぬ定めです。そしてそれらは寿命といって、おおかたどれくらい生きられるかも知られています。
「そんなこと当たり前でしょ」という人もいるでしょう。でも、実はほとんどの人が例えば数分後に自分自身、あるいは大切な人が交通事故や大地震などの不意のアクシデントで、呆気なく亡くなる可能性があることを現実的に想定してないと感じるのです。
私の『死』の気づきは高校1年生16歳のときでした。『死』が、年寄りや病人だけのものではないという気づきです。
『死』は私自身の一部、いや、『死』は私を常に支配していて、『生』は風船のような薄膜で私を包んでいるだけだ。何かのタイミングで『生』に負荷がかかればパンと弾けて、私はたやすく『死』に至ってしまうかもしれない。
『死』の気づきによる驚きと恐怖、その絶望は計り知れませんでした。
だから、「ラーメン食べる(lamentable)“悲しい”受験生」とダジャレで英単語を教えるとか、「比叡山焼き討ち」みたいな殺戮の歴史ばかり教えるとか、そんな教師らと、期末テストで化学式を暗記している友人らなども、みんなバカにみえました。ましてや毎日夫婦喧嘩をしている両親は、バカの極みだと考えていました。16歳の感じたことです。
親や教師が真っ先に子らへ教えるべきは「死に方(※自死の方法ではないです。抗えない死に直面したときの覚悟の方法のことです)」、図らずも死に対峙してしまったときの覚悟の方法、つまり病気で猶予がある人と、不意の激しい交通事故や大地震に遭遇した人とでは死への対策は異なるわけで、どのように「エイヤーサー」と『死』に切り変わればいいかを教えるべきではないのかと思ったのです。
当時の私は『死』が痛くて苦しいものとしか思えませんでした。だから死にたくなかった、100%の人間におとずれることなのに、私たちは大切なことを知らないし、教えてもらってないことに心底困り果てました。
そこで私がしたことは本で調べることです。
自宅にパソコンなどない時代です。無論、インターネットもスマホもありません。
お金もありませんでしたから、主に学校や市の図書館で借り、町の本屋でそれらしいことの載っていそうな本を吟味して買いました。
そのときに形而上学などという難しい言葉を知りましたし、私と同じようなことを考えた人もいたのかと、絶望から一縷(いちる)の希望がみえました。
ところが、どんなに哲学書や心理学書、宗教書を読んでも、実はしっくりした答えは得られませんでした。
それでもあれよあれよと容赦なく、私は高校を卒業させられ、社会に押し出されてしまったのです。
「死に方」という課題は、社会人になったというのに持ち越してしまいました。
周りの人たちも私がそんなことに囚われているとは知らないでしょうし、私は死なないように毎日ハラハラドキドキして過ごしていましたから、半ば適応障害です(本記事では適応障害については踏み込みません)。
私にはお金もなくて、ごはんもあまり食べられていなくて、今とは想像できないほどガリガリの栄養失調だったのですが、そんなときに答えのヒントが降りてきました。
22歳の頃だったでしょうか。胃が空っぽの状態で、職場の飲み会で断れないお酒を注がれ、翌日くらいから胃の辺りがシクシクと痛み初め、ランチでナスのトマトソーススパゲッティを食べた1時間後にトイレで吐き戻し、そこには真っ黒い血まで混ざっていました。
トイレから出るとフラフラと倒れ込み、誰かが大慌てで救急車を呼んでくれました。病院ではすぐに鼻の穴からチューブを入れられ、薬を流され、400mLの輸血も受けました。
そのときの私は血圧が下がり過ぎて意識が朦朧とし、指先も唇も動かせず、唯一できたのがまばたきだけで、看護師からの「聞こえますか?聞こえていたらまばたきを2回してください」との声がけが今でも忘れられません。医療従事者の方はよくわかってらっしゃるのですね。
医師の診断では、荒れた胃に注がれたアルコールの刺激で、胃と食道の境目が裂けてしまったそうです。
私はそのとき死ぬのかと思いました。
でも、死にませんでした。しかも裂けた食道は少しも痛くなかったのです。
ここで、一つ気がついたことがありました。
私がまばたきしかできなかった状態で、ずっと考えていたのは「やり残したことが多過ぎる。おなかいっぱいごはんが食べたかった。ステキな恋愛をして幸せになりたかった。たくさんの謎を知らないままじゃないか、こんなんじゃ死ねない…」そういったことでした。
悔しさや悲しさ、私が痛めていたのは「心」です。心の痛みの方が裂けた食道の痛みを上回っていたのです。
ここからは早いものでした。脳が感じる「痛み」についての研究は、生理学というのだと知りました。
人間は痛みを感じます。身体の痛みも心の痛みも、実は感じているのは脳なのです。しかも、生体には痛みを抑えるシステムがあり、このことを知った瞬間は武者震いのような興奮があったことを覚えています。
身体には、タンスの角に足の小指をぶつけたときのような痛みを脳に伝える「鎮痛系」という経路がある一方で、痛みの情報が脳に上がってこないように抑える「下行性疼痛抑制系(かこうせいとうつうよくせいけい)」という経路があるそうです。人は身体に痛みを感じると、脳幹部から神経線維を伝って脊髄内を下降し、過剰な痛みの伝達を抑えるシステムを備えているのです。
もうちょっと専門的な言葉で補足すると、この神経線維にはセロトニン神経とノルアドレナリン神経があり、セロトニン神経はセロトニンを、ノルアドレナリン神経はノルアドレナリンを放出し、痛みで興奮している神経の後角にある受容体でそれらをキャッチし、痛みに抑制をかけるという仕組みだそうです。
点と線がつながりました。私が病気で入院したときに感じた痛みは、やり残したことへの執着、仏教でいうところの「煩悩」だったわけです。
ここで一つの仮説を立てましょう。
死に際の痛みは身体の傷から生じるのではない。そのとき脳内からは傷から起こる痛みを緩和する物質が放出される。痛みは『心残り』が起因であって、人は心残りがあると、死ぬときに心の痛みを伴って苦しくなるのだ。
結果的に多くの先人たちが教えてくれていたように、「今を生きる」ことが重要なのだという点に落ち着くのです。
過去のことを悔やむことなく、明日のことを憂うることなく、今日会った人と、今たずさわっている仕事や、たった今食べているものをしっかりと楽しんで味わいつくし、やりたいと思っていることをできるだけやっていく。当然やりたいことができていないということもあるでしょうが、そこで創意工夫し、留まるか進むかを考え抜くことも「今を生きている」ことにならないでしょうか。
お坊さまの修行の理由もわかりました。
生きているときの執着を極限まで削ぎ落し、「『今ここ』に身を置く」ということが、『死』と対峙したときに肝となるのです。
しばらく経ってからなのですが、私の仮説を裏づける機会がありました。
自身らで製造した薬品を用い、多くの人たちを死に至らしめた某宗教団体の広報であった人物が、その後団体を改称して代表に納まり、道場近隣の民家の方たちが怖がらないよう、月に一度だったでしょうか、公安が見張る中その団体は一般の方たちを道場内に招き入れ、不安事項や質問事項を一問一答式で行い、相互理解を深めるという会に参加できることになったのです。
私は某氏に訊ねました。
「私は『死に方』がわかりません。自死を指す『死に方』のことではなく、死は誰にでも訪れるものなのに、自分が病気や事故で死に直面したとき、痛みや苦しみが伴うものだと想像すると、恐怖でしかないのです。○○さんは苦しくない『死に方』をご存じですか」と。
その方は「はい、私はその答えを知っています。『三昧(ざんまい)』という、精神が深まり切った状態をコントロールできるようになれば、あなたの恐怖はなくなります。私はその手法を知っていますが、我々の教えは密教なので、残念ながらあなたに今ここでその手法をお教えすることはできません。あなたが望むなら入信していただき、お教えすることができます」とおっしゃいました。
私にはその回答で十分でした。
私はその方とお会いした数週間後に沖縄から船で台湾へ渡り、タイ、インド、ネパール、バングラディシュ…、と命をみつめる一人旅に出ました。その頃の私はもうガリガリではなくなり、しっかりと大地を踏みしめられる人間に成長し、まだ若くてバイタリティがありました。
以下は現在の私の座右の銘です。
Memento mori, carpe diem/メメント・モリ、カルぺ・ディエム(死を覚えよ、今日という日の花を摘め)
すべての人は、遅かれ早かれ必ず死にます。感受性の強い子どもはこの事実を知り、生きる希望を失ってしまうかもしれません。
死の痛みは「心残り」です。若い人にもその痛みが起きないよう、どうか人生を悔いなく送って欲しいです。
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