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★赤ん坊から、人間が泣くことの意味を考える。

なぜ人間は泣くのでしょうか。

地球上にはたくさんの生きものがいて、涙を流すということならイヌやネコ、産卵中のウミガメなどが思いつきますが、これらの動物が声をあげても涙を流しても、〈泣く〉とは書かず〈鳴く〉のです。

日本語の辞書を引くと、大抵書かれている〈泣く〉と〈鳴く〉の違いですが、

泣く:人が悲しみ、苦しみ、歓びなどのために声を出し涙を流すこと。その行為。心を傷め悲しむこと。
鳴く:鳥・獣・虫などが声を出すこと。動物が声を上げること。

まあ、そういうことになっていると思います。

動物についてはいずれ触れるとして、ここでは人間が泣くことの意味について考えてみたいと思います。

泣くと言えば、赤ちゃんです。

ここでちょっと話は脱線しますが、最近私は、あと2か月ほどで2歳になる、ある子どもYouTuberにハマっています。といっても本人がYouTuberを名乗っているのではありません。
その男の子の名前はゆぅくん。彼の生後4か月頃から現在の1歳10か月の成長記録がみられるのですが、ゆぅくんは1歳7か月辺りからとにかくよくしゃべる、言語能力の高い男の子へと変化しているのです。それがとても愛らしい。
このゆぅくんを私は毎日楽しみながらみているのですが、1つ思い至ったことがありました。

それが、なぜ赤ちゃんは泣くのか、です。

赤ちゃんというのは、とにかくよく泣きます。お腹が空いて泣く、オムツが濡れて泣く、体がかゆくて泣く、甘えたくて泣く。いろんな気持ちや欲求を泣くことで私たちに伝えようとします。不思議なものでお母さんはそれぞれの〈泣き方〉の違いがだんだんとわかっていくようです。
先述したゆぅくんも言葉を習得してない1歳前後では、たびたびぐずっているところもありましたから、カメラのないところではたくさん泣いていたものと推測されます。

ところが赤ちゃんは大きくなっていくにつれ、だんだん泣かなくなります。これは成長に伴い習得される言葉によって、泣かなくても伝えたいことを具体化できるようになるからです。
だから、おのずと伝えたいことを言葉で具現化できない赤ちゃんや小さな子どもは、やっぱり泣いて気持ちを訴えます。

補足しておくと、人間が言葉を習得して泣かなくなるとしたら、言語の異なる日本人とアメリカ人の大人同士はどうなるの?ということは、ここでは問題になりません。人種や言語が異なったとしても、人間という動物としての行動や感情は全人類がほぼ同じで、経験則という側面からジェスチャーでも理解し合えるからです。
つまり、私たち人間の〈食べる〉、〈寝る〉、〈排せつする〉といった動物としての行動と、悲しい出来事のときには〈悲しい〉とか、嬉しい出来事のときは〈嬉しい〉とか、湧き起こる感情に相違がないことはサイコパスでもない限り、大人になるまでに全人類がほぼ経験済みということをお互い知っているからです。

では、なぜ大人になった人間も泣くのか。

簡単です。そのときその大人は自分の感情や欲求を、言葉でもジェスチャーでも説明できないからです。

最近印象的だったのが、女優の長澤まさみが第44回日本アカデミー賞授賞式で最優秀主演女優賞を獲得したときのスピーチです。彼女は獲得したブロンズ像を手にマイクの前に立った直後、「えっと…」とつぶやいたあとたくさんの涙を流しながら13秒ほども沈黙し、ようやくぽつぽつと絞り出すように語った内容は、映画関係者への労いと観客への感謝の気持ちでした。
でも、きっと、彼女がそこで語ったこと以上にコロナ禍での映画撮影は大変だったのでしょうし、共演者の死があったり、不祥事が起きたりして、さぞかし不安も大きかったことでしょう。
長澤まさみは女優という表現者のプロですが、彼女が〈言葉〉で表現できないほど...、ようやく絞り出した言葉をも凌駕してしまうほど...、いろんな感情が湧いてきてしまったから泣いたのだと思います。

人間は泣くとすっきりします。そういう性質であることはシェイクスピアの時代から知られています。演劇をみて泣くことは、1つの精神療法でもあるのです。

だから私たちはもっと遠慮なく泣いていい。言葉にできなければ、泣いて、泣いて、悲しみも憎しみも苦しみも、そして歓びの涙だって、どんどん流して心の負担を減らせばいい。

「泣くな!」と言うな。

それが、人間の泣くことの意味なのだから。

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