死ぬのにピッタリなタイミング。
死ぬのにピッタリなタイミングとは、一体いつだろうか?
人は辛い状況におかれた時、死にたいだとか、自殺したいだとか、生まれ変わりたい、来世では幸せになりたいとか、1度は思ったことあるのかもしれない。
だが、ほとんどの人間は怖くて、「死」というものが恐ろしく、その勇気がない。
鉄の塊に飛び込んだり、高いところから落ちようとすると恐怖を感じ、体がすくんで実行できない。
だから多くの人間はその怖さから、「仕方ない、生きてみよう」という思考になる。
しかし、その「いっときの恐怖」がいきなりパッと消えたらどうだろうか?
かなり辛い環境下におかれ、もう今日で終わってしまえ、もう辛い思いはしたくない、裏切られたくないという感情の方が勝ち、鉄の塊に飛び込むことや飛び降りることが恐怖でも何でもなく感じることがある。「虚無」という言葉がまさに合っているが、たまたまそういう感情を持ったとき、駅のホームにいたらどうだろう。通過電車が通る駅にいたのなら尚更。もうあと数秒、数分たってしまえばこの命が終わるのだ。いきなり、楽に思えてくる。
このパッとした瞬間に、気づいたら足が動いている。迫り来る鉄に何の恐怖もない。頭が回らない。
そうして人間の自殺というものがうまれる。
いずれ、私も死を選ぶ時はこのように何も考えられなくなって飛び込んでしまうだろう。
今、私は絶好のチャンスにいる。死ぬのにピッタリなタイミングである。
恋人に振られただけのように見えるが、脳内にあるのは「死」のみ。
他の人に止められても、その止めてくる人達が鬱陶しい。君たちもどうせ、裏切るんだから。
この文章は別に、知り合いに読まれようが職場の人に読まれようがなんだっていい。
この文章を読んでしがみついて止めてくる人がいたとしても、私は鬱陶しく思えてきてしまうかもしれない。
私は人に愛されているという事実はあるのに、すぐに死んでしまうような人間だ。情けなく感じる。
食事は喉を通らない、常に鬱状態。
今がベストタイミング。失恋しただけで自殺するなんてアホらしいと思うなら、勝手に笑っててくれ。
これは死ぬ死ぬ詐欺だが、私は今本当に自殺を考えているし、いつだって電車をとめることはできるんだ。
これが「自殺予告」だとして犯罪になるのなら、警察に言ってくれても構わないが。もう疲れちゃった。
自殺を止めた人に表彰状を送るような日本なんだから、私を止めた人には栄誉が送られるだろう。
自殺反対派、迷惑派で祝杯でも上げるといい。楽しくやってくれ。
私はいつでも死ねる。
今が本当にピッタリなタイミングだ。
次、note更新はいつになるかな。書く気力があればまた書こうと思う。さようなら。