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大きなコガラ、10を9と1に分けて「連続」と「非連続」を非連続にする -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(83_『神話論理3 食卓作法の起源』-34,M479カミナリ鳥たちとその姪)
クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第83回目です。『神話論理3 食卓作法の起源』の第六部「均衡」を読みます。
これまでの記事は下記からまとめて読むことができます。
これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。
はじめに
この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の「神話の論理」を、空海が『吽字義』に記しているような二重の四項関係(八項関係)のマンダラ状のものとして、いや、マンダラ状のパターンを波紋のように浮かび上がらせる脈動たちが共鳴する”コト”と見立てて読んでみる。
レヴィ=ストロース氏は大部の神話論理の冒頭に次のように書いている。
「生のものと火を通したもの、新鮮なものと腐ったもの、湿ったものと焼いたものなどは、民族誌家がある特定の文化の中に身を置いて観察しさえすれば、明確に定義できる経験的区別である。これらの区別が概念の道具となり、さまざまな抽象的観念の抽出に使われ、さらにはその観念をつなぎ合わせて命題にすることができる。それがどのようにしておこなわれるかを示すのが本書の目的である。」
経験的感覚的な区別(分別)を、概念の道具として観念を抽出し(つまり分別同士を重ね合わせて意味分節する)、この観念を繋ぎ合わせる(意味するものと意味されることとの一対一の静的ペアをリニアに連鎖させる)ことが「どのようにしておこなわれるか」。この「どのように」をマンダラ状の意味分節システムの生成消滅の脈動のモデル上でシミュレートすると、概ね以下のような具合になる。
即ち、神話は、語りの終わりで、図1におけるΔ1〜Δ4を分けつつ、過度に分離しすぎない程度に付かず離れずに結んで安定した曼荼羅状のパターンを描き出すことを目指す。
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そのためにまずβ二項が第一象限と第三象限の方へながーく伸びたり、β二項が第二象限と第四象限の方へながーく伸びたり、 中央の一点に集まったり、という具合に振幅を描く動きが語られる。
β項は神話では、火を使うことを知らず鶏のように土を啄んでいる人間であるとか、服を着て弓矢をもって二本足で歩くジャガーとか、ヤマアラシに変身して人間の女性を誘惑する月とか、下半身を上半身と分離して上半身だけで川に飛び込み流れる血の匂いで魚を誘き寄せて捕らえる人間、といった姿をしている。そのようなものたちは、経験的感覚的には「存在しない」が、神話は、何かが存在する/存在しないを分別できるようになる手前の「/」の動きを捉えて、これを安定化させることを目論んでいる。そうであるからして、人間/動物、獲物/狩猟者、といった経験的には真逆に対立するはずの二極が、ひとつに重なり合ってどちらがどちらかわからないような状態をあえて語り出す。オオゲツヒメの神話の吐瀉物を食物として供するといったこともこれである。こういう経験的に対立する両極の間で激しく行ったり来たりするような振幅を描く動きをみせるものや、経験的に対立する二極のどちらでもあってどちらでもないようなあり方をするものを両義的媒介項(図1ではΔに対するβ)という。
お餅、陶土、パイ生地を捏ねる感じで、四つの項たちのうち二つが、第一の軸上で過度に結合したかと思えば、同時にその軸と直交する第二の軸上で過度に分離する。この”分離を引き起こす軸”と”結合を引き起こす軸”は、高速で入れ替わっていく。
そこから転じて、βたちを四方に引っ張り出し、 β四項が付かず離れず等距離に分離された(正方形を描く)ところで、この引っ張り出す動きと中央へ戻ろうとする力がバランスする。ここで拡大と収縮の速度は限りなく減速する。そうしてこのβ項同士の「あいだ」に、四つの領域あるいは対象、「それではないものと区別された、それではないものーではないもの」(Δ)たちが持続的に輪郭を保つように明滅する余地が開く。
*
ここに私たちにとって意味のある世界、 「Δ1はΔ2である」ということが言える、予め諸Δ項たちが分離され終わって、個物として整然と並べられた言語的に安定的に分別できる「世界」が生成される。何らかの経験な世界は、その世界の要素の起源について語る神話はこのような論理になっている。
私たちの経験的な世界の表層の直下では、βの振動数を調整し、今ここの束の間の「四」の正方形から脱線させることで、別様の四項関係として世界を生成し直す動きも決して止まることなく動き続けている。
数「10」から始まる神話
前回の記事で取り上げた『神話論理3 食卓作法の起源』pp.398-399所収の神話「M476c メノミニー 東の空の女たち」の冒頭は以下のようであった。
一〇人の姉妹が母親とともに空に住んでいた。
姉妹は地上に降りてきて、男たちを誘惑し、その心臓を盗んで食べる習慣があった。
地上にひとりのインディアンの娘とその小さな弟が身寄りもなくふたりきりで住んでいた。娘は弟の世話をし、弟が思春期に達すると、人喰い女たちにさらわれないよう注意ぶかく隔離した。
それでも空の女たちは地上にやって来た。
彼女たちは九人の「囚われの愛人」の男たちを引き連れてきた。
この愛人たちは女たちに虐待されていたので、寒さに震え、飢えで死にかけていた。
[後略]
pp.398-399「M476c メノミニー 東の空の女たち」より
この神話は、「十人」の登場人物たちがひとまとまりになっているところから始まって、その数を減らしながら、最終的に人間の経験的で感覚的な世界を意味分節する基本単位となる四項の関係をつかずはなれずに織りなすよう展開する。
*
10を分けて、減らしていく
今回の記事でも、これとよく似た神話をみてみよう。『神話論理3 食卓作法の起源』から、「M478 メノミニー 一〇のカミナリ」である。上のM476cでは、「天」から「地上」へ降りてくるのは「女性」であり、この女性たちが「地上」の「男性」を一人づつ捕える。これに対してM478では「天」から「地上」に降りてくるのは「男性」であり、この降りてきた男性は「地下」の者に捕らえられる。
登場する「項」は、男性/女性といった二項対立の両極が入れ替わっているが、しかしこの二つの神話は「同じ」話である。すなわち、対立関係の対立関係としての四項関係、人間の経験的で感覚的な世界を意味分節する基本単位となる四項の関係を設立するために、ひとまとまりの10からはじめてこれを切り分けながら、対立関係の対立関係を編んでいくという論理展開は同じである。
カミナリ人間の十人兄弟のうち一人が攫われ、その残された子供達が二人きりで暮らす
一〇人の「カミナリ」兄弟の末弟が、ある日、地下の精霊たちに捕まってしまった。彼にはひとりの妻と、幼い息子ひとりと、それよりは年上の娘がひとりいた。
おじたちは(つまり一〇人のカミナリ人間兄弟の上から九人は)、父親を攫われて残されたふたりの子供に対して、この土地から遠く離れたどこかべつのところに行って、なんとか暮らすようにと言った。
姉娘は二人だけで暮らし、姉が弟を育て、弟はやがて優れた猟師となった。
*
姉は弟に近くの湖に行くことを禁じていた。
が、いつも同じところで狩りをするのに飽きた弟は湖に行ってしまった。
湖で彼は同じ年の男の子と出会い、仲良くなった。
この男の子は、実は一〇人のカミナリ兄弟の末弟(つまり姉弟の父)を捕らえている「二匹の角のあるヘビ」たちの息子であり甥であった。
猟師になった息子は、この友だちになった角のあるヘビの少年のおかげで父親に再会することができた。この親子の出会いがあまりに哀れをさそうものだったので、子供のへビは自分の父親とおじに囚人を解放してやってくれと頼んだ。しかし父親のヘビはそれを拒んだ。
そこで子供のヘビは友達のため、自分の家族を裏切る決心をした。
*
さて、猟師になったカミナリ人間の弟は姉のところに戻り、父が囚われている場所が判明したことを知らせる。姉はただちに弟をおじのカミナリたちのところに行かせた。おじたちは出撃を開始した。
彼らは西からゴロゴロうなりながらやって来た。
カミナリ人間と角のあるヘビたちとのあいだに恐ろしい戦争が起きた。
ヘビたちは敗れ、捕虜にしていたカミナリの末弟=姉弟の父は解放された。
*
ヘビの少年にはふたりの姉妹がいた。
姉妹のうちのひとりは少年の友だち(カミナリ人間の猟師)に好意的であり、もうひとりの方は悪意をもっていた。
そこでヘビ少年は悪意ある姉妹の一方とは別れることにした。
この間、ヘビたちは反撃の準備をしていた。
姉妹のうちの一人と一緒に逃げ出したヘビの少年は、戦いの準備が進んでいることを親友であるカミナリ人間の猟師(弟)に伝えた。
カミナリ人間の弟は姉とともに西の方に逃げることができた。
角のあるヘビの少年と姉妹の一人は地上のヘビに変わった。
「M478 メノミニー 一〇のカミナリ」より
冒頭、十人兄弟のカミナリが登場する。
十人が揃って男性・兄弟である。
互いに区別がつかないほどよく似ていながら、それでいて区別なくひとつに溶け合ってしまうわけでもなく、はっきりと10に分かれつつも、しかし一つにつながっている、という状況、分節でもあり未分節でもある、という、分節/無分節の分別が不可得なところから神話の語りは始まる。このいわば飽和した状態を、「10」という、人間の手の指を全部使い切って数える数で象徴しているのだろうか。
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さて、ここからいくつかの、パイ生地を引っ張るような、モチを引っ張るような、引き延ばす、引き離す、分離しようとする動きがはじまる。
10を9と1に、未分節と分節を分節する
まず、「十人兄弟の末弟」が「地下」の精霊=角がある蛇たちに捕まる。
カミナリは天空のものであるが、そのカミナリが、一人だけ、他の兄弟から引き離され、地下に閉じ込められる。
十人兄弟のうちの9人 / 十人兄弟の末弟
|| ||
天 / 地
十人兄弟のカミナリが、九人と一人に分離した先に、天と地の分別が開いた、とも言える。しかしこの分別は10を5と5に分けるようなことではなく、10を9と1に分けている。9と1のアンバランス。これはおそらく9の方が引き続き区別があるような内容な状態、未分節のままであり、一方そこから「一つ」だけ飛び出した項は、未分節から分かれていること=分節したことである、ともいえそうである。つまりこの10を9と1に分けるとは、未分節と分節を分節するという、人類の意味分節にとってもっとも基本的な分節を実行しているといえそうである。
ただし、この分離は過度な分離である。いつでもふらりと帰ってくるくることができるような、行ったり来たりができる付かず離れずの関係ではなく、末弟は地下に連れて行かれたきり帰って来られない。
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*
十分の一は四分の一でもある
そして、この「十人兄弟の末弟」は、兄弟たちとの関係において十分の一であるのと同時に、自分の家族との関係で、妻と娘と息子との四人のうちの一人、四分の一でもある。
この四人家族はもともと四人セットでいたところが、遠く距離を隔てるように分離する。父(十人兄弟の末弟)が地下へ、その他の家族は地上へと分かれる。そして親/子の区別でいえば、子供たちだけが母親や父の兄弟であるおじたちから「遠く離れた」ところへ移動し、二人だけで暮らす。「ふたりの子供に、この土地から遠く離れたど こかべつのところに行って、なんとか暮らすように」とあるように。この分離も、子供たちの父と同様に、過度な分離である。もともとの四がひとつに凝集していたところからの過度な分離。β二項をペアにしたまま、他のβ二項からの距離を”水平方向に”長く引き延ばす。
地上: β(母・おじたち)ーーーーーーーーーーーー→ββ(姉弟)
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↓
地下: β(父:十人兄弟の末弟)
父と他の家族との分離は地上と地下の対立、垂直方向に生じ、姉弟と他の家族との分離は水平方向に生じる。ここに垂直軸と水平軸の二軸がおりなす四角形がおさまる余地がひらく。
神話は最終的には、付かず離れずの四項関係(経験的感覚的に区別されるΔ二項対立の重ね合わせとしてのΔ四項関係=意味分節の最小単位…「寒いのが悪い、暑いのが良い」など)を織りなすことを目指すわけであるが、そのためにはまず、四つのΔ項を四角形に配置するための場を開かなければならない。この場を開くために、経験的感覚的な区別に対して両義的でどちらか不可得な項(β項)たちを、過度に結合していたところから、過度に分離する、といった動きを動かす。
カミナリの一族は、カミナリでありながら、地下に閉じ込められたり、猟師になって湖に出かけたり、まるで人間のようである。カミナリと言いながら人間のようであり、しかし彼らは人間ではなくカミナリである。こういうのを経験的感覚的な区別に対して両義的でどちらか不可得な項(β項)と呼ぶ。
*
正方形になるよう、四つの頂点を引き伸ばす
伸ばしすぎたところは縮め、伸びが足りないところはさらに伸ばす
さて、上記の
地上: β(母・おじたち)ーーーーーーーーーーーー→ββ(姉弟)
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↓
地下: β(父:十人兄弟の末弟)
この図式では、まだ伸びているところと伸びていないところがあり、綺麗なΔ四項関係を収められるような場にはなっていない。Δ四項を正方形のつかずはなれずに配置するためには、経験的感覚的な区別に対して両義的でどちらか不可得なβ項たちが最小で四つ付かず離れずに等距離をとって正方形を描く必要がある。このβ四項が描く四角形の四つの辺こそ、四つのΔ項が収まるポジションをつくるのである。
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四つのβ項を正方形に配置するために、βカミナリ人間の姉弟がぴったりくっついたままであるところが気になる。
地上: β(母・おじたち)ーーーーーーーーーーーー→ββ(姉弟)
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↓
地下: β(父:十人兄弟の末弟)
そこで神話は、姉と弟を分離する。狩人になった弟が、姉の忠告を無視して、ひとり「湖」へといってしまう、というくだりがこれである。これにより、β四項の分離が定まったといえよう。
*
あとはこの四つのβの距離を調整すればいい。つまり過度に分離しているところを、繋ぎ直せば良い。そのために遂行されるのがこの神話では「角のあるヘビ」の一族と、カミナリ一族との戦いである。
まず、角のあるヘビの一族から、一人の少年が分離する。
そして少年は一族から分離し、カミナリ人間の猟師の盟友になる。これは地上・天空の世界と地下の世界との間に「湖」をゲートとする付かず離れずの関係が設立されたということになる。
この角のあるヘビの少年の仲介で、カミナリ人間姉弟の弟の方は、父親に再会することができた。カミナリ人間の十人兄弟の末弟であり姉弟の父である人物は、地下世界の角のあるヘビに捕まっていたのである。過度に分離していたところが、また結合したのである。
そしてカミナリ人間の九人の兄たちは末弟を取り戻すため、ヘビの一族を攻める。そしてカミナリ人間がちが角のあるヘビに勝ち、末弟を取り返すことに成功する。戦いというのは激しく対立=真逆に分離しながらも、過度に接触しておお互いを破壊し合うという、分離と結合の分離と結合が激しく振動する状況である。そしてこの戦いの結果、勝ち/負けの分別が一応定まる。
しかし、ヘビたちはすぐに反撃を企てる。
β項たちの分離と結合を分離したり結合したりする振動は止まるところを知らないのである。ただし、この高振動状態において、β項たちのあいだの距離は伸び縮みしやすいように柔軟になる。β項同士の距離を自由自在に、分離したり、結合したり、引き離したり、くっつけたり、適度につかずはなれずに置いたりすることができる。これはΔ四項を四角形をなすように収める場を作る上で好都合である。
経験的で感覚的な意味分節の最小単位の設立
ここからこの神話では、Δ四項たちがβ脈動の高振動状態から抜け出てくる。
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まず、β十人のカミナリ兄弟の末弟の息子は姉とともに、「西の方」に逃げる。二つのβ項がセットになって、β脈動状態を飛び出す。この二つのβ項が過度に結合しすぎるでもなく過度に分離するでもない、付かず離れずに伸び縮みする辺の中間に、Δ項「西の方」の人間の世界が収まる場所ができる。
同じように、β角のあるヘビの少年も、自身の姉妹のうちのひとり、カミナリ人間の少年に好意的な(つまり噛みついて毒で倒してしまうような、過度な結合から過度な分離に急転換するようなことをしない)方とともに、カミナリ人間兄弟たちと角ヘビたちの戦争の場から逃げ出す=分離する。そうして「地上の蛇」という、Δ項、感覚的で経験的なこの世界に現に存在するあれやこれやの蛇になる。
つまり
Δ人間の世界 / Δ非-人間の世界
この分別が際立つのである。ここで、あと二つのΔ項の話が続いても良さそうであるが、ここでぷつりと語りがおわってもかまわない。
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レヴィ=ストロース氏はこの神話の異文にある次のような話を紹介している。こちらはカミナリたちとヘビたちの戦いが続くパターンである。
これに非常によく似たべつのヴァージョン[…]では、カミナリたちの勝利の後、主人公がヘビ少年の姉妹たちと結婚したことが述べられている。けれども、姉の方はヘビたちと共謀した。彼らは主人公の父親をそうしたのと同様に、主人公を捕まえ、閉じ込める。小さな男の子を産んでいた妹の方は、夫を解放し、連れ帰った。ヘビたちとカミナリたちとのあいだでラクロス(ホッケー)の試合がおこなわれ、とりあえずカミナリたちが勝つ。しかし、ヘビ少年は自分が庇護する者たちに、彼らが相変わらず危険な状態にあり、 姉妹も義兄弟も義姉も甥も、人間になることによってしか安全にならないことを教えた。したがって、ふたつのヴァージョンの場合と同じように、地下のヘビたちの息子は地上のヘビに変身し、ひとりのカミナリ男と、ひとりのカミナリ女、ひとりのヘビ女、異種の者同士の結婚によって生まれた子供からなる混成のグループが人間のかたちをとって地上で、つまり、カミナリたちからもヘビたちからも等しい距離を置いて、居を定めるのである。
カミナリ人間と角ヘビ姉妹の「結婚」(β二項の過度な結合)。
この結婚は、一人のカミナリ人間の男性が、二人の角ヘビの女性、それも姉妹である二人の女性と同時に結婚するという、まさにどちらか不可得な高振動状態のβ脈動結婚である。この結婚では角ヘビの姉/妹が真逆の動きをとる。姉の方はカミナリ人間を捕まえて閉じ込め、妹の方はこれをまた解放する。結合したり分離したり、じつに忙しい。
カミナリたちとヘビたちの戦いが続くパターンも
さらにカミナリ人間軍団と角ヘビ軍団で「ラクロスの試合」をする。これは上で出てきた戦争のもっと洗練された姿である。そしてこの試合は一時的にはカミナリ人間の勝ち、角ヘビの負け、でおちつくが、引き続き「危険な状態」つまりβ項同士の間の距離が過度に伸びたり過度に縮んだりする可能性に満ちており、この状態を「安全」な、安定状態にもたらすためには、姉妹も義兄弟も義姉も甥も、Δ人間になるしかない、ということになる。
そして、カミナリ人間と角ヘビのあいだに生まれた子供たちが、対立する二つのβ項のどちらでもあるという存在が、Δ人間になる。
レヴィ=ストロース氏が書かれている「異種の者同士の結婚によって生まれた子供からなる混成のグループが人間のかたちをとって地上で、つまり、カミナリたちからもヘビたちからも等しい距離を置いて、居を定める」という一文が圧巻である。
天空のカミナリ人間と地下の角ヘビという「異種の者同士」の結婚(=過度な分離を過度な結合に転じたもの)が、カミナリからも、ヘビからも「等しい距離を置いて」、「居を定める」すなわちその収まるポジションを得る。
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大きかったコガラが小さくなる
次の神話もここまでの神話と同じ分離と結合の脈動を通じて、経験的で感覚的な意味分節の最小単位となるΔ項を区切り出す。「M479 メノミニー カミナリ鳥たちとその姪」という神話である。
とても美しい話だと思う。
昔々、小さな眠っている女の子がいた。
その精神は完全に空虚だった。
突然、この子に意識が生じた。
この子はいちども両親をもったことがなく、ただ、自分が生きているということだけをそのとき知ったのである。
女の子は起き上がり、見て、驚き、冒険に出かけた。
川を見ると、それがどちらの方向に流れているかがわかり、川をさかのぼることに決めた。どこかべつのところに、自分以外の生き物がいるにちがいないと考えたのである。
*
ある腐った切り株を足で蹴ると、それはぼろぼろにくずれた。そのことから、女の子は木が切られたのはずっと以前のことであると結論した。べつの切り株は、それよりはしっかりしているように見えた。三つ目の切り株は切られたばかりのようだった。
それから女の子はシカの臓物が落ちているのを三度見、そのつど拾った。二 度目に拾ったときには、一度目に拾った臓物を捨て、三度目に拾ったときは、二度目の臓物を捨てた。三度目に拾った臓物が、一番新しいと判断したからである。狩人やきこりたちは近くにいるにちがいない。
*
小道を行くと、とあるロングハウスの前に出た。
そこで、小さな男の子が娘を小屋に招き入れ、自分の姪にした。
男の子は自分が一〇人兄弟の一番下で、兄たちはやがて狩りから帰ってくると言った。兄たちは、年上の兄から順番にひとりひとり小屋に入って来た。
兄たちも娘を歓迎し、相談した結果、姪として受け入れることに決めた。
兄弟は娘に、自分たちが食事をしているあいだは、頭を毛布の下に隠しているようにと命じた。
娘がこっそりと覗いていると、兄弟はくちばしが赤銅色の大きな鳥に変身した。
秋がやって来た。
兄弟は寒くなる前に出発することにした。
しかし、冬ごもりのあいだ、誰に娘の面倒を見てもらおうか。
カラスやノスリの申し出をつぎつぎ断り、このころはまだ大きな鳥だったコガラに頼むことにした。 コガラは正直だし、暖かい家も持っており、狩人たちが獲物の皮を剥ぐときに捨てる肉や脂肪の切れはしを集める鳥だからである。
娘は、新しいおじとともに快適に冬を過ごした。
おじのコガラは、危険な訪問者には注意するようにと警告した。
その訪問者と話をしてはいけない。
一言でも答えると、この女さらいはおまえを捕まえ、年とった意地悪な自分の妻に引き渡す。この女は自分の兄弟であるヘビの餌食とするために、おまえを溺れさせようとするだろう。 このヘビは黒くて毛がはえたミズヘビである、と。
けれども、娘は、かわいそうに、この忠告を忘れて、魔女に捕まってしまった。
魔女は彼女に薪にするためのカナダツガの樹皮を取りに行かせた。木から大量の樹皮が落ちて来て、娘が押しつぶされることを期待したのである。けれども娘は自分の魔力でこの試練を乗り越える。
泉に水を汲みに行ったときは、幸運には恵まれず、毛に覆われたヘビに気絶させられ、地下の深いところま で連れて行かれた。
意識がもどると、彼女はあるロングハウスにいて、一組の老夫婦のあいだにすわっていた。 老夫婦は息子である一〇匹の毛の生えたヘビに囲まれていた。ヘビたちは彼女を食べようとしていた。
数日のあいだ、老婆は囚われた娘を守った。
老婆は娘のおじたちが恐かったからである。
娘はやっと、カミナリ鳥たちが呼べば助けに来てくれると約束していたことを思い出した。彼女が聖なる呪文を唱えると、おじたちはそれを聞きつけ、出発した。
おじたちは彼女が閉じ込められている岩山を稲妻で攻撃した。
この恐ろしい戦いで九匹のヘビが死んだ。殺されずにすんだのは彼女に同情していた老夫婦とひとりの息子だけであった。
姪を助け出すと、カミナリ鳥たちはコガラのところへ行った。
コガラはあまり泣いたのでとても小さな島になってしまった。大事な娘をどうしたものだろう。結局、彼らは木の股に彼女を隠すことに決めた。そこにこの世の終わりまでずっといるのである。
彼女が歌うたびに、おじたちはそれを聞きつける。おじたちがやって来て、 雨が降るだろう。というのは娘は小さな絹のように光沢のある、緑色で木の上に棲み雨を告げるアマガエル (Hyla versicolor) に変身していたからである。
そして、じっさい、娘は冬の終わりにおじたちを呼ぶことを考えついた。二月や三月に雷雨が起こるのはそのためである。
娘がそうなることを望んだのである。
「M479 メノミニー カミナリ鳥たちとその姪」より
この神話の始まりはとてもおもしろい。
意識/無意識
父も母も持たないところで、不意に、ひとりの子どもの姿をとった「意識」が出現する。まるで「法界」そのものが振動し高速と低速の差異がある波が生ているところから、不意にはっきりとした差異を同じパターンで繰り返すような固有振動数が定まったかのような。
のぼり/くだり(はじまり/おわり)
この小さな子どもの姿をとった精神は「冒険に出かけ」る。
具体的には、川の流れの「のぼり/くだり」を分別する。川の上流はすなわち「はじまり」であり、川の最下流は川の「おわり」である。川と出会い、この子は「はじまり」と「おわり」、時間軸を一直線に引っ張った時の両端に想定される項を区切り出す。
私/私ではない
そして、川の上流に、自分とは異なる、他の、自分以外の=自分ではない=非・私=私ではない、生き物を探しにいく。
過去/現在
そして少しつづ、自分ではない=私ではない項へと接近していく。
劣化状態が異なる三つの切り株と、劣化状態が異なる三つの臓物という一連の項が遠い過去/近い過去/現在、と時間を線形に並べることを可能にする。
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男/女、同族/非-同族
さて、時間の分別が定まったところで、主人公の女の子は、自分と同じような「小さな男の子」に出会う。人間の男/女という異なるが同じ、同じだが異なる二項関係が出てくる。
ここでおもしろいのは、男の子とその兄たちは、主人公の女の子を「姪」として遇することである。結婚は多くの場合、異なる一族同士の間の関係になる。しかし「姪」となると、この女の子と川上の兄弟たちは同族ということになる。女の子と一〇人の兄弟たちは、同族として、つまり非常に近く、ひとつに結合するのである。
この間みてきた神話では、一〇人の女性あるいは男性が、自分たちの住む世界と対立する世界(空に対する地上、地上に対する地下)から、一人の異性を得て円満な結婚をすることによって、経験的感覚的な意味分節の基本単位となる四項関係(人間の世界とそうでない世界との分別のような)を設立したが、今回の神話では「結婚」とは異なる方法で、男/女を、この世界と非この世界を適度に分離しつつ適度に結合するつもりらしい。
続きを読んでみよう。
空間の分別、内/外
まず「小さな男の子」の兄たちも「ひとりひとり」順番に、小屋の「外」から「内」へ入ってくる。内/外という空間の分別と、順番に項(兄たち)を出現させるという時の刻みの分別を共鳴させる。
そして一〇人の兄弟たちと女の子は同居を始めるわけだが、「食事をともにしない」という点で、距離を保つ(分離状態を保つ)。兄弟たちは自分たちが食事をしているところを見ないようにと、女の子に命じるのである。
ここで女の子は兄たちが「カミナリ鳥」の姿に戻って食事をしているのをこっそり見て(分離しながらの結合)しまうのであるが、特に気にするそぶりもなく、逃げ出すでもなく、同居を続ける。
季節の区別。春/夏/秋/冬
そして冬が近づき、兄たち一〇人は「冬ごもり」をするという。女の子は冬ごもりはしない。冬籠りするものとしないもの、という区別が際立つ。
そこで女の子は冬の間「叔父(伯父)」である神話的なコガラのもとに預けられることになる。
そして兄たちは遠く旅だち、女の子から分離していく。
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・・・ここはコガラは人間の姿で描くとよいと思う。
女の子がヘビに捕まる
さて、ここから神話は急展開する。上掲の神話とよく似た展開になる。
女の子はコガラの家からさらわれ、地下世界の「毛のはえたヘビ」たちに捕えられ、食べられそうになる。この毛の生えたヘビは老夫婦と一〇人の息子たちという構成である。
毛の生えたヘビのうち、「老婆」と「息子たちのうちの一人」が、女の子に同情し、なんとか食べずに守ろうとしたというのがおもしろい。
そこへ女の子が呪文を使って呼び出した「同族」であるカミナリ鳥たちが救援に到着し、毛ヘビの老婆と息子の一人、合計二人だけを残し、あとの十匹(老婆の夫と息子のうちの九人)を倒した。
女の子を安住の地へ
こうして女の子は一〇人のカミナリ鳥とともに無事に地上世界に帰ってくる。
女の子がいなくなったことを悲しみ泣き続けたコガラは、大きな姿から、今日見られるような小さな姿になっていた。この小さなコガラはΔコガラ、つまり私たちが経験的感覚的に知っているあのコガラである。神話的な「大きな」コガラ(小さいのに大きい、両義的なβ項。大/小の分別において経験的に配される方とは逆の方に振れている)から、経験的な小さなコガラへ(Δ)。ここに現世が、Δ四項を正方形に配置したような安定した意味分節システムの世界が開き始める。
そして女の子は「アマガエル」に変身する。
まず一〇人のカミナリ鳥たちは、女の子を「木の股に隠す」ことにする。木というのは天/地、地上/地下の中間にある媒介項であり、その空や股というのは内/外の中間にある媒介的領域である。こういう両義的で中間的な位置に女の子を移動するわけであるが、ここで注意してほしいのは、ここはまだΔ四項の分節した現世ではなく、β四項の距離が伸び縮みしてるところである。
すなわち、β脈動する世界における、β二項(β天/β地、β内/β外)の中間であるということは、すなわちΔであるということになる。
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そして女の子は「この世の終わりまでずっと」この木の股にいる。
この世の終わりまでということは、つまりこの世が非-この世とちゃんと区別されているということである。
この世の起源
ここで女の子は「歌を歌う」者になる。
その姿は「娘は小さな絹のように光沢のある、緑色で木の上に棲み雨を告げるアマガエル」になった。そして歌を歌っては「カミナリ鳥」が現世用のΔ項に姿を変えた「カミナリ」を、つまり雨を呼ぶのである。
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雨は、現世において、Δ天からΔ地上へと降りてくる、はっきりと分離したΔ二項(天/地)の間を媒介するものである。この雨は、雨単独でいきなり降ってくるのではなく、地上の木の股に隠れたアマガエルに「呼ばれる」ことで、天から地への移動を開始する。
雨と木の股に隠れた、姿は見えないけれどその歌でその存在がわかる、「見えないけれどもいる」「(見た感じでは)いないけれどもいる」アマガエルもまた、見える/見えない、いる/いないといった分別に対しては中間的な感じのする項である。
この世の経験的感覚的な分別にとっては中間的な「アマガエル」と「雨」が、アマガエルが呼ぶ声を媒介にして、一つに結合する。そうすることで、天/地の分離を結合へと転換させるのである。
これらの神話について、レヴィ=ストロース氏は次のように書く。
「したがって、独身の兄弟たちの神話体系は、それぞれが対応し一致する四つの四元構造をもつものとして現われる。それらを論理的に並べることによって、それらがそれぞれ、血縁関係、生物学的自然に関連した行動、文化に関連した行動、そして人間を宇宙に結びつける関係を有機的に関連づけていると言うことができる。」
関係を有機的に関連づける。
つまりもともとそれ自体として端的に与えられている項をどこからか持ってきて、適当に並べて「関係づけました」としたものとしての関係ではなく、関係の項を関係の項として区切り出しつつ結びつけておく、分離と結合を分離するでもなくけつごうするでもない動き=述語としての「関係」である。
四項関係を関係づける関係、とでも言っておこう。
さらに、レヴィ=ストロース氏はこれらの神話に登場する「一〇個組」に注目して、次のようにも書いている。
「したがって、非常に大きな神話のまとまりが問題になるのだが、このまとまりの中で一〇個組を使っている各神話はそれらに固有の手続きによって、ほかとは区別される。当初、小さな間隔が支配していたところに大きな間隔の支配を樹立する、というのが通常であるのに、これらの神話は登場人物を一〇個組に増やすことによって、連続の条件をつくり出すことに熱心なように思われる。あまりに多くなりすぎた不連続の単位がもはやおたがいの間に弁別可能な差異を許さなくなると、おたがいくっつき合い、連続の力が、可算の力に打ち勝つようになる。この作用が一〇という数から始まるのである。これ以降、神話は、一〇個組を二で割り、そうすることによってより弱い力の集合にして、この連続を破壊することに熱心になる。」
「一〇個組」が登場しない神話の場合、「当初、小さな間隔が支配していたところに大きな間隔の支配を樹立する」というパターンで語りが展開していく。つまり、不可分に密着して集まって、小さな間隔を隔てるだけで一緒に暮らしていた父と母と双子の息子といったところから、息子たちが旅立ち、父母から分離し、また双子の兄と弟が西と東、真逆に対立する方向に分かれて向かう、といった形である。
これに対して、「一〇個組」の神話は、「登場人物を一〇個組に増やすことによって、連続の条件をつくり出す」という。連続、つまり非連続ではない、区別があるようなないような未分節のことを経験的感覚的に語るために「一〇人兄弟」「一〇人姉妹」といったことを用いるのである。
いやいや、10といえば、ひとつひとつ数えられるものに分かれているではないか、と言いたくなるところであるが、レヴィ=ストロース氏の次の言葉に注目しておきたい。すなわち「あまりに多くなりすぎた不連続の単位がもはやおたがいの間に弁別可能な差異を許さなくなる」のである。10人兄弟の一人一人が「不連続の単位」であるが、「お互いの間の弁別的な差異」がよくわからなくなっている。つまり誰が誰だか、名前や、何番目の息子であるのか、といった情報がはっきりしなくなる(その中で「末弟」はわかりやすい)。「おたがいくっつき合い、連続の力が、可算の力に打ち勝つようになる」のである。連続、つまり非連続ではないということの力が、可算、すなわち一つ一つを分けた上で、1+1+1+・・・とやっていく力に勝るのである。
そしてこの10からはじめて、「一〇個組を二で割り」、つまり1と9に分けて、この1(末弟、一番小さな子)にあちらで結合したかとおもえばこちらで分離するといった動きを演じさせる。10から切り取られた1は、1に対して相対的に「より弱い力の集合」である。この連続から切り離された部分(それでいてこれはまだ連続と連続している)を彼方に振ったり、こちらに振ったりして、「連続を破壊する」のである。そしてこの振幅の両極に経験的で感覚的な日常世界の意味分節の最小単位となる四項関係が浮かび上がってくる。
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つづく
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