ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築、 内部と外部が入り交じる境界面
その場所にひとつの面が存在している。
その面が面としてその場所に広がり、場所に対して垂直に立っていれば、その面は、その面のこちら側とその面のあちら側という二つの場所を生み出す。こちらとあちら。そっちとこっち。向こう側とこちら側。面は境界線として場所を区分する。跨ぎ越し乗り越えることができるささやかな申し訳程度の柵としての面、あるいは、ドアが設けられ通路が開けられた都合の良い境界線としての面、さらには、聳え立ちその先に手の届かない向こう側を拒絶しながらこちら側を守る壁としての面。境界線としてその上の空を覆うことなく解放し、渡り鳥たちの自由を奪うことなく世界を区分するものとしての面。一枚の境界線の面、向こう側、こちら側、それだけでそこに秩序が生まれ言葉が生じ人はそこに自由と不自由を見つける。一枚の面が人に言葉を与える。
そして、面が折れ曲がり、何かを包み込む。線としての面が立体としての面になる。境界線としての面から境界面としての面へ。線から面へ、そして、面から立体へ。
面が翻る。面が何かを抱え込む。面が組み立てられ立体となる。そこに内部と外部が生まれその面は境界面となる。その内部は閉ざされることになる。出口も入口もない。空もない。誰も何ものも侵入することのできない内部。封印された密やかな内部。時間が沈殿し凝固し静止する場所としての内部。その密閉された内部が何かの拍子に開封されることがある。再び動き始める内部の時間。人はその立体の境界面を開け閉め自在なものにする。それが容器、あるいは、入れ物という立体になる。外部と内部と開け閉め自在な境界面からなる容器という立体。それは人によって始めて作り出されたものではなく、宇宙の至る所に溢れている。言わば、宇宙の建築的な基本的ピース。小さなものから大きなものまで、ウイルスから惑星まで。無数の容器というピースが宇宙に散らばっている。その容器の中に解き明かされることを待っている秘密を入れて。
そして、わたしたちもまた容器としてその姿を構成している。「血を入れた生きている歩く容器」としてのわたしたち。私の名前がこのようなものであることにはそうした理由がある。「歩く水のような人の形をしたもの」
そうしたわたしたちは都市の中の建築という容器の中で生きている。惑星の中の、都市の中の、建築の中の、わたしたちという容器。無限に後退する入れ子細工のような容器の中の容器の中の容器。世界という容器と人間という容器を結ぶ建築という容器。そして、その容器を容器として構成する建築の外壁と内壁、その境界面としての姿。
ヘルツォーク&ド・ムーロンの「シグナル・ボックス」について、あるいは、境界面の話
その建築という容器の境界面についての話。
その話をヘルツォーク&ド・ムーロンの「シグナル・ボックス」で行ってみたいと思う。この建築がこの話に最も適していると、私は思う。
ヘルツォーク&ド・ムーロンの「シグナル・ボックス」のついては多くの方々が素晴らしい写真を撮影されている。その中から幾つか紹介したいと思う。このnoteで「Travel/Architecture」を掲載されているHiroshi Kawajiriさんの「建築と街並みの備忘録」にも素敵な写真が載っている。
そして、この「シグナル・ボックス」について簡潔に正確に端正に述べられた美しい文章を引用したいと思う。
「ヨーロッパ建築案内2 (著者・渕上正幸 TOTO出版)」 Signal Box(シグナル・ボックス) Herzog & de Meuron(ヘルツォーク&ド・ムーロン)「都市的ダイアローグを生む現象的建築」(P254)より引用
「この信号所は、外壁全体に幅20cmほどの銅の帯が巻き付けられている。この帯はフラットに巻かれているのではない。壁面の中央付近でねじれてめくれ上がっている。そのため見る位置によっては、外壁中央部分が黒い縞のように見える不思議な効果を発揮する。さらに夜ともなれば、窓から洩れる光がストライプ状に拡散して奇妙な現象を呈する。」
「建物は、バーゼル駅構内の信号やポイントの切り替え操作を行う信号所で、内部には電子機器、ワークステーション、補助スペースが収納されている。そのため、RC造の建物の表面に巻かれた銅板の帯によって建物全体をシールドして、電気的に外部への影響をなくすと同時に、外部からの影響も遮断する“ファラデー箱“となっている。」
「建築によって都市環境との対話を志向する彼らの創作態度からは、「建築は形態でなく現象だ」という声が聞こえてきそうだ。季節の移ろいや、1日の時間の流れに内在する現象を宿した建築とでもいえようか」
ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築のオリジナリティと美しさはその建築の境界面によって発生する
ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築のオリジナリティと美しさはその建築の境界面によって発生する。(ゲーツ・ギャラリー、リコラ・ヨーロッパ社工場・倉庫、ドミナス・ワイナリー等)バーゼルにあるこの「シグナル・ボックス」はそれが最もシンプルに現れたものだ。
まるで建物大の巨大な電子機器のようなその不可思議な相貌。雨風を避けるように建築の内部に置かれるはずの電子機器が、内部と外部が反転してしまい、外部として姿を現す。ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築においてその外周に巡らされた境界面は、容器の内部と外部を区分する境界としてではなく、内部が外部へ湧き出し外部が内部へ浸入する、内部と外部が交わる面の形をした場所として作用し存在する。ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築は容器でありながらもその境界面は閉ざされてはいない。そのことによって容器の内部と外部の間で「ダイアローグ」が生まれ「建築が形態から現象へ」となる。
ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築は容器としての建築の境界面に対して、新しい定義を行ったものである。そして、それによって建築という容器が生まれ変わり、人の在り様もまたその容器の在り様の変化とともに変わってゆくことになる。建築は人のありようを変えるものでもある。
容器が変われば、中身も変わる。
追伸
傑作、ミュンヘンのゲーツ・ギャラリーについてはまた別の時に書きたいと思う。それは人間が生み出した最も美しい立体であり容器であり建築のひとつである。私はその建築写真を見るたびに、それが人の手によって作り出されたものであり人工物であることに畏怖してしまう。人がここまで美しいものを作ることができることに。ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築について語る言葉に終わりはない。