『密告者』フアン・ガブリエル・バスケス (著), 服部 綾乃 , 石川 隆介 (訳) 家族や近親者の過去を作品にすることが、知られたくない歴史の闇につながっているとしたら。ジャーナリストや小説家の抱える根源的な欲望を深く自己省察する作品。
『密告者』2017/9/28
フアン・ガブリエル・バスケス (著),
服部 綾乃 (翻訳), 石川 隆介 (翻訳)
Amazon内容紹介
ここから僕の感想
ほとんど読書できなかった四月に読んだ本。
コロンビアの有名政治家を祖父に持つこの小説家フアン・ガブリエル・バスケスの作品、読んだのは三作目なのだが、どれもコロンビアの歴史となんらか深いかかわりを持つ父とか家族について、物書きである主人公が書きながら、隠された未知の事実を知っていく、というような同じような基本構図を持つ。もちろん事実そのものではなく、主人公や家族の設定も様々に変奏されているのだが。
なので、この人への評価としては、そういう「歴史や政治の大きな流れ、出来事と、個人との関係を描く」というように語られることが多いのである。
しかし、この作品の場合、そのように家族や近親者の過去を、小説家だから、ジャーナリストだからと知りたがり書きたがってしまう自分。そういう行為自体の孕む問題、「いいのかよ」という自問。しかしどうしてもそういうことをしてしまう自分、ということのほうがテーマとしては重たいように感じながら読んだ。
初めに読んだ『物が落ちる音』が2011年、『廃墟の形』が2015年の作品で、本作は2004年、成功を収めた初めの小説なんだそうだ。
この人の場合、「私小説的に近親者を追いかけていくと歴史の闇に触れてしまう」という特殊な境遇にあって、「その歴史の闇との関りは、その近親者は隠して生きてきたこと、触れてほしくないこと」だったりするわけである。作家だからジャーナリストだからといって、触れてほしくない過去や大切に心の奥にしまってある思い出を、やたらと知りたがって、よくわからないことは勝手に想像したり推測したりして創作して、そして世間に公表して、褒めてほしい、自分はいい人間だと思われたいという承認欲求を満たすための道具として近親者の秘密の過去や大切な思い出を使うというのが、「小説家になりたい」という自分のやろうとしていることの本質なのではないか。
と思うなら書かなきゃいいじゃん、なのだが、この小説の主人公も、この作者自身も、そういう自問自答をしながらも、もう「知りたい書きたい褒められたい」が全然止められないのである。そのことが止められないということのほうが、この小説のメインテーマであって、その中で浮かび上がってくる、第二次大戦中から現代にいたる、歴史的な悲劇というのは、ほんとにそのテーマを書くための「素材」なんじゃないのかしら。
この人の小説のテーマは、そういう「いけないとわかっていても知りたがり書きたがる」小説家としての自分ということへの自意識が中心にあって、素材として「コロンビアの近代史の闇」がある、ような気がするのだよね。
というわけで、この人の小説がなんで大好きかと言うと、やたらと自分や近親者について、迷惑を省みずどうしても書いてしまう自分、という問題は、私小説の伝統の上に乗っかって文学を志し、そして今はやたらとnoteだのFacebookだのにそういうことを書き散らかしてしまう自分、ということとまっすぐつながるからなのだと思うのだよな。
というわけで、コロンビアだの南米文学だのに興味がない人でも、「小説って、小説家って」ということについてなんとなく興味のある人が読んでも十分に面白いと思うのでありました。
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