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『戦下の淡き光 』 マイケル・オンダーチェ (著), 田栗美奈子 (訳) 母親が戦争に絡んで突然、謎の失踪しちゃう小説としては、イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』があるが、イギリスって、そういうことが結構あったのかしら。日本にはない戦争小説の形である。
『戦下の淡き光 』2019/9/13
マイケル・オンダーチェ (著), 田栗美奈子 (翻訳)
Amazon内容紹介
「1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した――
母の秘密を追い、政府機関の任務に就くナサニエル。母たちはどこで何をしていたのか。周囲を取り巻く謎の人物と不穏な空気の陰に何があったのか。人生を賭して、彼は探る。あまりにもスリリングであまりにも美しい長編小説。」
ここから僕の感想
サスペンスなので極力注意するが、ややネタバレありです。
著者は、あの名作映画『イングリッシュ・ペイシェント』の原作(邦訳では『イギリス人の患者』)で、ブッカー賞を1992年に受賞。(『イギリス人の患者』は2018年にはブッカー賞五十周年を記念して選ばれた五十年間最優秀作ゴールデン・ブッカー賞にも選ばれているそうなのだが。僕は映画はWOWOWかなんかで、ちらっと観たけれど、まとに、見ていないし、小説は読んでいない。これを機会に読もうとAmazonで探したが、新潮文庫は中古しかなく、とんでもなく高い。ブッカー賞史上最高作が、絶版なのか。高いなあ。買おうかなあ。)
話をこの小説に戻すと。
日本で戦争を描く文学は、善良な庶民や下級の兵士を主人公として、戦争を被害者の立場視点から悲惨な体験として描くものが多い。それは同時に、軍部、加害者としての悪や愚かしさを告発するものになりやすい。またそうでなければ、やむなく戦争を指導した、少数の良心的指導者や軍人を主人公にするか。
しかし、イギリス文学(作者はカナダ人ではあるのだが)では、なんというか、日本文学には無い、複雑な、独特の角度、テーマでの戦争にまつわる純文学が、あるようなのだ。
この小説のテーマや印象は、イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』に、ちょっと似ている。いや、ちょっとどころではないかも。先の大戦前後に少年だった主人公が、イシグロ作品では戦前、この作品では戦後まもなくという違いはあれ、母親が謎の失踪をし、大人になった主人公が、その謎を追う、というのが大筋である。
父親も同時に失踪するのも共通しているうえに、父親に対する主人公の関心は極めて薄く、小説の中でも軽く扱われる。息子が、母親を追い求める小説なのである。これは男の子は皆マザコンだから、などという単純な話ではない。どちらの小説でも、行動的で魅力的な女性の、母親の失踪の方が、実はイギリスの戦争の深い闇と関係している。小説のメインテーマが、母親とイギリスの戦争の闇の関係。という点で二作はかなり似ているのである。
そしてこの小説に関して言えば、母親は、単純に「被害者として、巻き込まれて失踪した」のでは、どうも、ないのである。
この二作を念頭に置きながら、「イギリスならではの独特の角度の戦争の描きかた」ということについて、もうすこし考察してみる。
イギリスは、ナチスドイツと勇敢に戦い、爆撃機やV2ロケットの空襲を受けながらも国民みなが耐え、ノルマンディーからの反撃で勝利を得る。この小説を読むと、ナチスが上陸してイギリス本土で決戦することに備えて、様々な準備をしていたようである。劇的な総力戦での勝利というのが、まずは戦争の一側面であり、日本はそのように先の大戦を語ることはできない。
のだか、イギリスにとっての、先の大戦の体験は、劇的英雄的勝利。というだけでは、もちろんない。
その、対ナチスドイツ戦争において、諜報活動が活発に行われ、国民の中の、様々な人たちが、実は諜報部員としてスカウトされ、諜報活動に携わっていた。007の映画が生まれるのも、諜報活動が、国民の中に深く浸透しているという背景があるようなのだ。イアン・マキューアンの現代を舞台にした『甘美なる作戦』という諜報機関部員の恋愛を描く小説があったりする。
イギリスは、そうした諜報活動も含め、というかそれまでの歴史の大英帝国の世界支配の歴史、役割とのつながりから、戦勝国ではあるけれど、世界のどの国どの地域でも、複雑な対立関係に裏で深く関わっており、多くの世界中の人たちから恨みを買っている、という独特の立ち位置にいる。戦勝国だけれど、後ろ暗いところ、暗部がいろいろとあるのだ。
対ナチスと言う意味では英雄的な戦い、正義の戦いであったと同時に、植民地支配の結果としての戦争という意味では、イギリスの戦前から戦後にかけてやったことは、たいてい後ろ暗い政治工作や諜報活動がセットになっている。政治家や軍人だけでなく、諜報活動を通じて、表立って知られることなく戦争に深く関わった人が、他国と比べても数多くいるのだろう。
ちょいと前に読んだフランス人作家ローラン・ビネが、チェコスロバキアの二人の青年が、ナチスの幹部を暗殺した事件を描いた『HHhH』でも、チェコ人、スロバキア人の青年はイギリスでパルチザンとしての訓練を受け、イギリスの諜報機関の支援を得て、本国に潜入し作戦を実行する。
こういうわけで、イギリス文学では、先の大戦・戦前戦中戦後の「スパイ活動」が、純文学のテーマとして成立する素地があるようなのだ。家族が戦争に関わる秘密を持っている。子供はそれを知らない。知らずに子供は不幸で不遇な少年、青年時代を送る。その秘密を知るためには、青年もまた、そうした諜報機関に近づいていかざるを得ない。
日本だと、エンターテイメント歴史小説、みたいなカテゴリーで書かれたり読まれたりするものが、明らかに、純文学としてのアプローチで書かれる。それはつまり、自分とは何かということを探すために、親について知ろうとする個人の人生の問題が、歴史や国家や戦争というものに深く影響を受ける。そして謎や秘密が多いから、どうしても深い霧の中をさまようような雰囲気の小説になる。のだが、青年の自己確立の物語としての、正統的純文学としての力強さも、同時に持っている。
と言う、日本の文学にはあまりない角度から、戦争が描かれているので、どういう心の構えで読むのか、なかなか読む側の心理感情が、うまくコントロールできない小説でした。いや、もちろんすごく良い小説ではあったのだけれど。
あと、ロンドン市内やテムズ川沿いの、様々な施設、ビルや修道院やホテルやなんやかや、それがどんな場所で、戦前、戦中、どんな風に使われていたか、これもイギリス人ならある程度、常識として知っているらしきこと、そういう基礎知識がないと、いまひとつ飲み込めなかったり、感動し損ねたりするところがあるので、例によってグーグルマップ、アースやWikipediaで小説内舞台になった場所を調べながら読みました。
そういう、暗い重たいテーマの小説なのですが、たびたび、とても美しい印象的な情景、場面が出てきます。人間関係と情景と感情の組み合わせで、人は、なにかを長く記憶するもなのだ。そういう美しい記憶を積み重ねて、母の、そして自分の人生の秘密に迫っていく。
読みごたえのある純文学が好きならば、おすすめです。