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『青い野を歩く』クレア キーガン (著), 岩本 正恵 (訳) 素晴らしい(トレヴァー的)完成度の表題作だけでなく、フォークナー的に破壊的な「森番の娘」、ガルシアマルケス的神話はちゃめちゃな「クイックン・ツリーの夜」まで色々な魅力の詰まった短篇集でした。

『青い野を歩く』 (EXLIBRIS) 単行本 – 2009/12/1
クレア キーガン (著), Claire Keegan (原名), 岩本 正恵 (翻訳)

Amazon内容紹介はないので、本の帯

「粉々になった心を抱き、静かに生きる人々がいる。
荒々しい自然と人間の臭み、神話の融合した小説世界は、
洗練とは逆を向きながら、ぞっとするほどの、
透明な悲哀を抽出する。放心した。素晴らしい小説だ」
小池昌代

哀愁とユーモアに満ちた、「アイリッシュ・バラッド」の味わい。珠玉の8編を収めた傑作短篇集。

ここから僕の感想

先日、昨年11月にこの作者の『ほんのささやかなこと』の感想文を書いた。

 そうしたら読書師匠のしむちょんが「この作者の短篇集をこの前読んで、とてもよかった」というコメントをくれたので、おおそうか、短篇集もあるのか、と探して読んでみたわけである。

 たまたま、同じアイルランドの短篇の名手、ウィリアム・トレヴァーの短篇集『異国の出来事』と並行して読んでいて、頭の中、アイルランドだらけになりながら読んだ。

 本書の「訳者あとがき」を読むと、クレア・キーガンは1968年生まれで、いろんな賞を受賞している中に「ウィリアム・トレヴァー賞」もあった。トレヴァーは1928年生まれだから、40歳違いである。

 最近の作品『ほんのささやかなこと』の方は、ブッカー賞最終候補になり、オーウェル政治小説賞を受賞して、キリアン・マーフィ(オッペンハイマーの)主演で映画化進行中。今のうちに読んでおくと、映画公開の時に「あ、これの原作読んだ」と言えちゃうのでお勧めしておく。

 話を戻して。

 それに対して、この短編集は日本での出版が2009年、本国では2007年の本だから、今からもう18年前、作者は30代の終わりくらい。

 その「30代後半の、物語る女性」というのが何層か変奏された主人公・登場人物になっている小説が、8編中、3篇ある。

 「長く苦しい死」の主人公は39歳の小説家、かなり作者自身のリアルな境遇に近いのじゃあないかしら。これはほんとに軽めの短篇である。

 「森番の娘」の主人公森番のディーガンの妻マーサは、30歳近くで結婚し、10代の子ども3人がいる。ご近所の人たちが楽しみに集まってくるくらい、物語を語るのが上手だ。アイルランドの農村の暮らしと、「物語る女」の融合した小説である。近所の人を招いて、夫との生活、自身の秘密を物語るシーンは圧倒的である。これは、そうとう好き。

 「クイックン・ツリーの夜」の主人公は、40歳手前で、海辺の丘の上の家に一人で引っ越してくる。お話の途中から、人の悩みや苦しみを癒す力を発揮するようになる。これは現代の話なのだが、神話というか、おとぎ話、昔話のような不思議な話である。これがいちばん好きかも。

 これに加えて冒頭の「別れの贈り物」はアイルランドの田舎を抜け出してアメリカに留学する少女の話で、作者の経歴に重なる。これはちょいと苦手。

 ここまで書いても、同じアイルランドの田舎、自然の中の小さな町や村を舞台にしながら、作者と重なる要素を持つ人物を登場させつつ、現実との距離が様々で、短篇小説といってもいろんなアプローチをしていることが見えてくる。

 もちろん、男性を主人公とし、印象的な小説世界を構築したものもいくつもある。

 中でも表題作「青い野を歩く」は、結婚式を執り行う神父が、新婦と昔、結婚を考えるほど深くつきあっていた、その神父の一日、内面の苦悩と行動を描く。これはたしかに短篇小説として中でもいちばん鮮やかで、小さな田舎町の群像劇として員仕様的な結婚式、パーティのシーンと、神父の心理が見事に、美しく組み上げられている。なんというか、ウィリアム・トレヴァーを同時に読んでいた基準からすると、設定の作り方から、描写の腕前から、短篇としての結末まで、いちばん完成度の高い短篇小説である。トレヴァー的というか。表題作にするのは納得できる。

 しかし、「森番の娘」の破壊的なところ、「クイックン・ツリーの夜」の神話民話的なところ、これは非トレヴァー的なエネルギーに満ちていて、それもまたとても魅力的である。フォークナーのような破壊的暴力性やガルシア・マルケスの神話的なところとか、アイルランドで生まれ育ち、アメリカ・ニューオリンズの大学に進み、ウェールズからまたアイルランドの田舎に戻って小説を書いているという、クレア・キーガンの経歴遍歴というのが、こういう作風の幅に、何か関係しているのかもしれない。

 なかなか楽しい読書体験でした。

  

 

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