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『戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 』岩波新書 1986/12/19 G.ガルシア・マルケス (著), 後藤 政子 (翻訳) いやもう、この監督。サッカーのビダルくらい勇敢だけど向こう見ずで言われたことは守らない。ハラハラし通しの大冒険でした。さすがガルシア・マルケス。読み物として抜群の面白さ。

『戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 』(岩波新書 黄版 359) 新書 – 1986/12/19
G.ガルシア・マルケス (著), 後藤 政子 (翻訳)

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「ヨーロッパ亡命中のチリ反政府派の映画監督ミゲル・リティンは,一九八五年,変装して戒厳令下の祖国に潜入,『チリに関する全記録』の撮影に成功した.スラム街や大統領府内の模様,武装ゲリラ幹部との地下会見,母や旧友との劇的な再会…….死の危険を遂にくぐりぬけるまでの奇跡の六週間が,ノーベル賞作家によって見事に記録された」

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本の帯の裏表もよくできているので引用

表「変装して祖国へ、大統領府の中へ
映画監督ミゲル・リティンの命がけの撮影体験をノーベル賞作家マルケスが描く、スリルと感動に満ちた記録!」
裏「チリの問題をぬきにしても、この本は実に面白い。まるて゜スパイ映画か冒険小説を読んでいるような錯覚にとらえられる。自由奔放な芸術家が人目を忍ぶ潜入者という役割を演じるのはもともと難しことだろうが、その心理描写も見事だ。ラテンアメリカでは発売と同時に版を重ね大ベストセラーとなったそうだが、それも十分肯けよう。「訳者解説」より」

本の帯

ここから僕の感想

 電通先輩四國さんが先日Facebook投稿で紹介してくださったので、さっそく読んでみた。

 それと、前回ラグビールドカップの時に、参加各国の小説を読んでみる、というのをやったのだが、今回初戦で日本が対戦したチリ、の小説ではないが、チリについての本だから読んでみたというのもある。

 ガルシア・マルケスは20世紀最大の小説家ではあるけれど、もともとはジャーナリストで、こうしたルポやドキュメンタリー的な作品もたくさんある。なんというか小説は奇想天外なものが多いのだけれど、こういうものを書いても抜群にうまい。ピカソの絵が後期はわけわからんけどすごい、というのばかりだが、初期のものをみると、普通に抜群にうまい、みたいなのに似ている。

 NHKのワールドカップ放送での対戦国紹介VTRにおけるチリは、なんか素朴な田舎の国、みたいな感じだったのだが、現在のチリは、南米の中でも一人当たりGDPはアルゼンチンやブラジルよりも高く、民主主義度でも、南米諸国中ではウルグアイに次いで高く44位、ちなみに日本が35位、韓国が47位、アメリカが53位で、アルゼンチンは73位、ブラジルは92位である。(2022年世銀のThe Worldwide Governance Indicators(WGI) の 「Voice and Accountability」)

 チリは南米の国の中でも、もともと民主主義の発展は早く、1970年に成立したアジェンデ政権は世界で初めての民主的選挙で選ばれた政権による社会主義政権として注目された。が、この時期、冷戦真っただ中で、キューバに次いで中南米に共産政権ができるのを恐れたアメリカが、中南米全体に反共産主義のCIA工作をする、そのいちばんの標的となり、アメリカに支援された軍事クーデターでピノチェト軍事独裁政権ができるのが1973年。このピノチェト政権がおよそものすごくひどい人権弾圧、反対派をどんどんつかまえては拷問、後に明らかになったことでは、サッカー場に集めて拷問、飛行機に乗せて生きたまんま太平洋にばらまくなんていう虐殺もしていたのであった。何万人もが死んだのだよね。しかしアメリカはこのひどい軍事独裁ピノチェト政権を支持、経済的にはミルトンフリードマンのネオリベ新自由主義、シカゴ大学で学んだ経済学者や官僚が、世界でいちばん徹底した新自由主義政策を進めた。

 この本で描かれているのは1984年のことで、レーガン時代のことだな。世界がネオリベ新自由主義で、日本でも国鉄民営化から電電公社民営化、なんでもかんでも民営化の時代である。遠いチリのことだが、日本の同時代のことと連動しているのである。

 1973年のピノチェトクーデターの時に、捕まれば拷問されて殺されそうな立場だったこの監督、欧州に亡命していたのだが、チリの軍事政権下の状況を撮影して映画にして世界に知らせようと、12年後の1984年に、徹底的に変装して、別人としてふるまう訓練まで受けて、レジスタンスの女闘士エレーナという人が偽の奥さんのふりをして監視保護役でつきっきりで助けてくれてチリに潜入する計画を立てる。イタリア、フランス、オランダの各国の撮影チームが、それぞれ架空の別の取材撮影チームとして入国し、監督自身はウルグアイの広告会社の、化粧品撮影クリエーターという人物に化けて入国し、現地で3つのチームとひそかに合流して、撮影をする。という大冒険をするのである。

 なんだけどね。この監督。もうめちゃくちゃなんだわ。話がちょいと横道にそれるが、チリのサッカー選手にビダルっていう名選手がいるのだけれど。バルセロナで、ユヴェントスで、バイエルンミュンヘンで、中心選手として大活躍し、全部のクラブで各国リーグで優勝している。チリの国代表でも、大黒柱として南米選手権二回優勝させているんだけれど、この選手優秀だし勇敢だし素晴らしいのだけれど、ものすごく不要なファールをするの。情熱と激情にまかせて。それにルールを守る気がほとんどないの。情熱的で優秀で、しかし言われたことは守らない。

 この監督、まるでビダルなんだわね。レジスタンスの監視お守役のエレーナさんに言われた「こういうことはやっちゃだめ」っていうことをやりまくるわけ。チリでは夜間外出禁止令があるし、街中には国家警備隊員も私服警察もたくさんいる。

 それなのに、チリについたその日に、「私は突然、タクシーを捨てて群衆にもぐりこみたい衝動を抑えられなくなった。」と、エレーナの制止をふりきって、街中に出ていっちゃうの。そして外出禁止時刻ぎりぎりまで街を一人で歩き回るわけ。深夜に帰ってきてエレーナさんにめちゃくちゃ怒られるの。

 それでも、何日かすると、今度は撮影中に、国家警備隊員に、自分からちょっかい出す。引用するね。

〈私は国家警備隊員のことが気になって仕方が無かった。何度もそのそばを通っては話をする機会をつかもうとした。突然その思いが抑えられなくなり、パトロール隊に近づき、(中略)だがこの時に私はすでに呪縛から解放されており、不安はある種の陶酔状態に変わっていた。そのため、命令を聞かずに、警官というものは平和的な外国人の好奇心に対しては従順であるべきだ、などと教訓をたれた。けれども私の偽のウルグアイなまりはそれを証明するのに耐えうるものではなく、国家警備隊員は私の説教にうんざりして、身分を明らかにするように命じた。おそらくこの旅行中に、これほどの恐怖を感じたことはなかったろう。〉

 いやあ、バカなのか。バカなんだろうな。ビダルのサッカーを見ていても、バカなのか、バカなんだろうな、といつも思う。でも勇気があって魅力的で、そして抜群にサッカーはうまいのである。きっとこの監督もそういう人なんだな。チリではそういう人が愛されるんだろうな。そんなことを思いながら読んだのである。

 監督はその後も、なんども、いろいろ沸き起こる激情や気まぐれを押さえきれず、つぎつぎ自分からピンチを招くのだが、運よく切り抜けて撮影は進んでいくのである。昔の友達に会いに行ったり、最後には、実家のおかあさんにも(本人は偶然だと言い張るのだが)撮影の帰りに外出禁止時間を過ぎてしまい「こっちの脇道に隠れて夜を過ごそう」というのが実家に向かう道だったって、そんなことあるかい。でもあまりに変装しているので、おかあさんは息子だって全く分からないのである。帰国の直前には、前大統領アジェンデが自殺(殺された?)した後破壊され再建された宮殿に取材撮影に入り、至近距離でピノチェトと遭遇する、という場面まであるのである。

 まじめな話に戻ると、国のあっちこっちに撮影に走り回る監督の見たチリ社会の様子を読むと、勇敢なのは監督だけではなく、国民性として、なんだかみんな勇敢なのである。厳しい軍事独裁政権下でも、アジェンデ時代の理想を忘れない高齢世代、アジェンデ時代を知らないけれど未来を信じて抵抗する若い世代、それぞれが民主化を求め、未来を信じて活動を続けているのである。

 チリはその後、1989年にピノチェトが退陣して、民主化を進め、上にも書いた通り、今では南米の中でも民主的な国となり、この時期のネオリベ政策による貧富格差の拡大も、ケインズ的政策を導入したりして、経済的にも南米の中では好調な国になったわけである。

 が、そのねっこには、ピノチェト時代も抵抗を続け、チリの未来を信じた人たちがいたのであるなあ。そういうことが分かる感動的な一節を引用して感想おしまい。

〈すると突然、数人の子供が私の横に座り、こう言ったのだ。「この国の未来を入れて写真を取って下さいね。」私はびっくりした。ジターヌの空き箱にメモしておいたことと同じことを言っている。箱にはこう書いてあった、「チリでは、未来について考えていない人を探すのはほとんど不可能だと言えよう」と。しかも、これは今とは別の社会を(アジェンデ時代のこと 私の註)知らない世代の子供たちだ。それなのにもう、自国の未来について確信をもっている。〉


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