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『フェリシアの旅』ウィリアム トレバー (著), 皆川 孝子 (訳) 単純で純粋な人物を、リアリティある魅力ある人物として描くというのは、難易度が高いと思うのだよな。短篇小説の名手は、長編小説もうまかった。

『フェリシアの旅』 (角川文庫 ト 14-1) 文庫 – 2000/2/1

ウィリアム トレバー (著), William Trevor (原名), 皆川 孝子 (翻訳)

◆Amazon内容紹介は、なし。なので、「あとがき」の冒頭を引用。

「本書は、アトム・エゴヤン監督による1999年制作の映画『フェリシアの旅』の原作である。アイルランドの作家、ウィリアム・トレヴァーによるこの小説は、1994年のホイット・ブレッド賞を受賞し、内外に多くの反響を呼んだ。
 物語の軸となるのは、アイルランドで生まれ育った純粋な少女と、イギリスに住む孤独な中年男の二人である。」

「あとがき p-295」

 でね、僕は最近、ウィリアム・トレヴァーの小説の感想文をいくつか書いているのだが、今や「ウィリアム・トレヴァー・コレクション」という選集が発行されているくらい、日本でも評価が高くなって、「世界最高の短篇小説家」と言われたりしているのだが、

https://note.com/waterplanet/n/n7a43d7dad608

この文庫本が出たときというのは、解説から引用すると

「日本での知名度はまだ低く、現在入手可能な翻訳作品は(中略 3冊が挙げられ)があるのみである。」

あとがき p-298

という状況だったようなのだ。特に「短篇の名手」という評価は書かれていない。

 この作品も、心理サスペンスのようで、純文学として読まれたのか、サスペンスとして読まれたのか、そのあたりが定かではない。映画の原作になるくらいだから、ほどよい長さの長編小説である。

 でね。ウィリアム・トレヴァーという小説家が、なぜ「短篇の名手」と呼ばれるのかが、長編を読むとなんか分かるなあと思った、というようなことを感想として書いていこうと思うのだな。

◆ここから僕の感想

 普通の人だと思っていたのが、実はある種の異常者や犯罪者、だった。とか。

 すごく単純純粋で、ある種、愚かともいえるような人物が、その純粋さゆえに、意外なところに進んでいく、とか。

 とても素敵な洗練された人物だと思っていたのが、実はくたびれ果てた俗物だった、とか。

 こういうことは、短篇小説にすると、すごく鮮やかな印象を残すのだ。

 短篇だと、すべての要素、出来事を細かく書き尽くすのではなく、書かずにすます部分が多い。と、こうした意外さ、不穏さ、そういうものがなんともいえない余韻を残すのだな。

 ウィリアム・トレヴァーの短篇小説は、そのあたりがとてもうまい。犯罪小説なのかと思って読んでいたら、すごく美しい話だったり、素朴な田舎の生活を淡々と描いていたと思ったら、実は殺人事件があったみたいだ、とラストでびっくりしたり。

 これが、長編小説になると、そういう「最後にびっくりさせつつ、真相は読者の想像にまかせる」みたいなことはやりにくくなる。話が進むうちにだんだん「ああそういうことか」と分かってきたりするし、純粋な人物の純粋さが退屈だったりただの愚かさに思えてきたりして、ある長さを読み進めさせる推進力を失ったりする。

 そう、この小説、推進力を途中、失うかなあ、と一瞬、思わせるのである。なんだけどね、終盤、うわうわうわとなります。長編なのに、うわうわとなり、結局、ウィリアム・トレヴァー的「え、あれ、どういうこと、え、」というところに連れて行かれてしまいます。

 異常者を書くのも上手なんだけど、純粋である種・単純な人のことを書くのが上手いんだよなあ。あとがき解説でも「人を疑うことを知らず、現代の若い娘とは思えないほど古風で無邪気なフェリシア」と書いている。そう書きたくなるんだよな。

 でもね、そこまで純粋で無邪気だと、だましたりコントロールしたりしやすそうに思えて、そういう人の純粋さは、その底に、すぐになんというか動かない川底の地層があるので、むしろ最終的にだましたり操ったりできなかったりするのだよな。複雑な人物を複雑に造形し描くことは、それはいろんな小説家が熱心にするけれど、こういう純粋でまっすぐな人物を、リアリティをもって造形し描くというのは、むしろ難易度が高いと思うのだよな。バカにするのでもなく、神格化してしまうのでもなく、ありのままに「純粋で信じやすく、親切にしてくれる人のことはすぐ信じるし、怪しそうな人のことは怪しむし、鬱陶しい人のことはうっとうしいと感じる、ものすごく素直に相手の態度や言葉を受け取る」という人物を主人公として描くのは、これはすごいことなのだよな。

 そういうフェリシアと、日常生活を善人として送りながら、明らかに異常さを内包した中年男性が出会って。

 途中、家出少女となって異国イギリスをさまようフェリシアは、エホバの証人的な宗教集団のところにしばらくお世話になっちゃうのだが、そこの人たちの描写も、なんかおそろしくリアリティがあるんだよな。

 とにかく小説家として、うまいのだよなあ。人物造形、街や店や家の中やの描写。書くところと書かないところ。いやほんとに割とたくさん小説は読んできたと思うのだが、そういう「小説としての文章」の技術としては最上級の作家だと思います。

 サスペンスなのでネタバレしないように書いてきましたが、文庫本の背表紙には、かなりがっつりネタバレなあらすじが書いてあるので、要注意。

 すでに新刊では手に入らず、Amazonで古本で入手しました。あまりに純文学純文学したのじゃあない、でも単なるエンタメ小説でもない、そんなに長すぎない海外の現代文学を読みたい、という人には、なかなか最適なのではないかと思います。


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