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就職せずに生きるということ
note2本目。前回の週一と宣言した目標は1度は守れたということに。よかった。笑
大学を卒業と同時に陸前高田にやってきたので、僕は就職をちゃんとしたことがありません。大学を2年間休学をしていた時から含めれば、契約社員を1回だけしたことがありますが、あとはバイトとか、有給インターンだけ。
ついこの前話していて考えがまとまったことがひとつあって。
会社に入る、ということはちょっとネガティブなニュアンスを含めて、「歯車になる」と言うことがありますよね。アンチ就活派(笑)だった僕もそんな風に考える節がありました。もちろん就職すること自体を否定するつもりはなく、でも自分は会社という組織で成果を求められても適応できないだろうなあ、とぼんやり考えていました。
2年も休学していたのは「働く」ということを働いてみなきゃ選べない、と思ったからでした。大学の学務課に就活やインターンを急かされるのが、あの頃の自分は嫌でたまらなかった。そんな折に出会ったアジトラ(現タイガーモブ株式会社)の代表の菊池さんから
「No time for hesitation、迷っている暇なんかないよ!」
という言葉をもらって、漠然と夢見ていた海外で働くということを経験してみたい、と思って、休学することを決めました。
2年間、たくさんの出会いがありました。
岩手県陸前高田市広田町。NPO法人SET。
(右上。なんつー顔)
Walt Disney World - Epcotの日本パビリオン。
(集合写真の最中輪に入れずひとりレジを取り続ける図。)
Digital Ship Campany Limited.。(タイモブ経由)
(日本語上手ですね、と日本の方から毎週のように声をかけ続けれたベトナム時代)
帰ってきてから、地域系メディア "LOCAL LETTER"を運営する株式会社WHERE、そして改めて広田町のSETでインターンをした結果、進路は「広田町へ職なし移住」をすることに。
海外で働きたい、と思っていたのは「空気を読んで、みんなと同じように動くことが苦手な僕はきっと日本で適応できない」と思っていたからだということ、そしてそんな自分を受け入れてくれる場所を探したかったからだということに気づきました。
でもそんな日本の広田には、いつも「帰ってこ〜」と言ってくれるばあちゃんが。
アツい仲間たちが。
遠く遠く海なんか隔てた場所に行かなくても、望んでいた場所が、
あった。
移住を決めた当時、たくさんたくさん並べ連ねた理由やら想いやらはたくさんあったけれど、今思えばきっと、これが全てでした。
それでも、やっぱり一度も就職をしないで生きていくということは、難しいことであると感じることもあります。
仕事の受け方。工程の組み方。マネジメントの仕方。
特に、マネジメントの仕方。(本当に困っているので、2度目。笑)
たくさんツールを使って、ちょっとずつ、ちょっとずつ改善をしてきている、できている……と思う。思いたい。笑
就職しない。フリーランスになる。「歯車にならない」ということは、つまり自分でその歯車の周りも組み立てなくてはならないということ。
どんな用途の、どんな形の、どんな動き方をする……
歯車を嵌め込む、その大元の機械と自分でゼロから考えて作るということなんだ、ということをつくづく感じさせられる機会が多い、です。迷惑をかけて、力がないことを痛感して涙する夜が多い3ヶ月でした。笑
そんなところから、明日、初めて自分の仕事のマネジメントの相談を外部の方としてみます。何がどうなるかはまだ想像できませんが、でも楽しみ。
悩むこと、苦しむことは確かに多いかもしれない。もうデザインなんてしたくない、と弱音を漏らしたこともあります。笑
でも、心の底から、本当の意味で、ここに来たことを後悔したことは、
一度もない。それは、本当。
そしてそして、来週末はお世話になっているばあちゃんの誕生日なのです。
日頃の感謝も込めて、お祝いしてきます。喜んでくれたらいいな。
(もちろん感染対策は、ぬかりなく)
2021/02/14 17:37