古典はときめき
わたしにとって、古典は「ときめき」のひとつです。
言ってしまえば、好きなバンドの新譜を初めて聴くときや、宝塚歌劇を観に行くときと、似たようなものです(ほんとうかしら)。
「好きだから」もっと知りたいと思うし、「好きだから」続けていられるのです。
好きなことを学べるのって、幸せなことですよね。
どうして好きなの、とか、よく訊かれますが、正直よくわかりません。
好きなものに理由ってないじゃないですか。
ただ、好きなものは好きなんです。
好きだから学んでいるだけで、そこにもあまり理由はありません。
そんなことを言うと、無責任だとか、考えが甘いとか、そもそも考えていなさすぎるとか、逃げだとか、言う人もいるかもしれませんが、はっきり言ってお門違いです。
むしろ、たくさんたくさん考えて、悩んで、途方に暮れて、時には泣いて、絶望もして、そのうえで「好きなものに理由なんていらないんだ」と思っているからです。
強いて古典の魅力を言葉で説明するのなら、そこには「人間の普遍性」が感じられるところかなあと思います。
愛しい人を想う気持ち、移ろう自然に馳せる想い、……いやはや、そんな綺麗なものだけでなく、悪いことや汚らしいもの、人間の中身って、たいして進歩していないんです。
どれだけ科学技術が進歩して、世の中が便利になっていっても、人間の本質ってあまり変わらないと思うのです。古典に触れると、それを強く実感します。そう思わせてくれます。
もちろん、時代の変化による価値観や常識の違いなんかはありますが、そういうものを踏まえたうえで、一旦受け止めてみる。
すべてがいきているなんてことはないけれど、今のわたしたちに活かせること、共感できることってたくさんあるのです。
古典に触れる手段なんて、なんだっていいのです。
正直、中学校や高校で勉強する古典は、おもしろくないかもしれません。
正直、古典に関する、簡略化された読み物や映像は、あやまりもあるかもしれません。
でも、それがきっかけになればいいなと思う。
わたしは小学生の頃、わけも(読み方も)わからずに、『百人一首』を暗唱していました。伝記や古典に関する子ども向けの漫画もたくさん読みました。
今もその延長にいます。
学問はそんなに簡単でもないし甘ったれたものではないけれど、「好き」な気持ちに変わりはない。
今の自分がやっていることは、昔から自分に取り込んできたものの、間違い探しや、原典を探している、ともいえるかもしれません。
どうして好きなんだろう? どうして楽しいんだろう?
言葉にすると、なんだか伝えきれないような気がしてならないのですが。
一言でいうなら、それはわたしの「ときめき」です。
多分、ずっと。
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