あの夜を乗り越えて
どうしたことか、いまだにこのnoteというものに慣れなくって、ついつい“良い文章”を書かなければ、と思ってしまうらしい。
すぐ更新が滞るのはそのせい。
最近、実は全然書かなくなった日記を久々につけてリハビリしてみては、やっぱり着飾らない文章が、私は一番好きだなあと思った夜。
ずっと前から、タイトルだけ決めていたものを、今の私の言葉で紡いでいきますね。
それは高校1〜2年生の頃のこと。
振り返ると、私はいつも、自分の過去を、人との出会いの他に、趣味に関する出会いで振り返るものですが、あの頃は、お笑い、アイドル、邦ロック、と色々なものに手をつけていました。
Twitterのアカウントが一番多かったのもこの時期かな(知らん)。
当時は趣味ごとにアカウントを持っていました。うまく回せなくてすぐやめちゃったけど。
中学3年生の頃に、リストカット、顎関節症、耳管開放症を経験した私は、高校1年生の春、起立性調節障害であることが発覚しました。
まあ、これについては長くなるので、今は置いておくんですが、病名が発覚して以来、わりと長いこと悩まされたものです。
当時、「大人になったらよくなるよ」と言われたものの、二十歳を超えてからもその症状が酷く出てしまった時には、もう何を恨めばよいかわからないくらい、苦しんだりしました。
中学の頃から行きたくて行きたくて合格した高校だったけれど、正直、合わないなあと感じることばかりで。
足掻いても理解できない、結果の出ない勉学、中学の頃と全然違う部活の練習内容、理不尽に怒られる緊急全校集会、頑張りたくてもついてこない心と体。
今でも正直、思わないではない。
あの頃もっと頑張れていたら、と。
でも、そこに対する後悔の念はまったくなくて、ふと、振り返るときに、なんとなく思う程度のもの。
思ったところで、過去は変わらないのだし、それに、今の私は、過去の私の選択一つひとつに、何にも後悔していないから。
日々の生活にいっぱいいっぱいだったはずだけれど、お笑いのライブやイベントに行ったり、アイドルのライブや公演に行ったり、今まで聴いたことのないジャンルの音楽を開拓したり。
趣味の「好き」を、新しく見つけていったことは、すごく覚えてる。
あの頃出会った人たちの中でも、続いている人もいれば、そうでない人もいて。
もちろん、出会ってきた人やもの、浅くても、深くても、そのすべてが私の人生を作ってきたのは事実。
その中でも、高校2年の夏、朧気ながら、今でも忘れられない出会いをした。
高校入学前から、あんなにやりたくて入った部活を1年の内に辞めた2年生の私は、わりと勉強を頑張ろうとしていたのですね。
中3の一年間、ずっと「入ってもギリギリだよ」と言われ続けてきただけあって、成績は常に最下層。赤点も何度も取りました。
大学受験も見据えながら、少しでも順位を上げていきたい、と、おそらくは自分のキャパ以上に頑張り続けていた、高2の1学期。
今からちょうど十年前の話です。
部活もなく、やはり勉強尽くしになった夏休み、今思えば、その頃からだいぶ精神的にきていたな、と。
涙脆い私が、いつもなら泣くようなことで泣けなくなっていたり、少し先にはなるけれど、秋にはぼけーっと月を見上げていることも増えていった。
頑張りたい、けど何もかもがどうでもよくなってしまいそうな自分もいれば、自分への期待を捨てられずにいる自分もいる。
矛盾だらけの、ごちゃごちゃした感情を、まだ知らない音楽に重ねたくて、自分のあっちこっちな気持ちと、歌詞、という二文字を、Google検索にかけた。
そこで出てきた曲が、フジファブリックの「星降る夜になったら」だった。
ちなみに、私がフジファブリックを「好き」になったのは、このときではない。
ものすごくハマることもなかったけれど、その当時の自分の感情を反映してくれているような気がして、たまに聴く曲のひとつにはなった。
ハマらなかったのは、それ以上、他の曲を聴く余裕、新しいものを受け入れる余裕がなかったからだと思う。
現に、フジファブリックを好きになったのは、その時抱えていた一番大きな出来事にきりがついたから。
ただ、今から十年前、高2の夏、それは私が「フジファブリック」というバンドをきちんと認識したときだった。
正直なところ、高1〜2年の記憶自体、けっこう曖昧である。
それは先にも書いた通り、持病の発覚もあったと思う。
一生分くらいの恋愛をした後だったからだと思う。
たくさんの趣味に手を出していたからだと思う。
辛くて、苦しくて、思い通りにいかなかったり、周りに納得できなかったり、ネガティブな思いもたくさんしてきたはずだ。
けれどなぜか、暖かい春の陽だまりのような、夏の夕日に光る海面のような、あたたかさときらめきをもった記憶になっている。
美化しているんだ、たぶん。
なんて都合のよい人間だ。正当化と言われても仕方がない。
だけど、良いことも悪いことも、私の人生において必要だったと、後悔していないのは本当で。
その考えが、過去を美化させているのかもしれかいな、とも。
そうだとしても。
少なくとも私は、あの頃にフジファブリックと出会ったことを忘れない。
ハマらなかった心の余裕のなさは、結局、その秋に、うつ病という新たな病となってはっきり現れるのである。
それについてはまた書いておきたいと思うのだけど、あの日々を、あの夜を乗り越えたから、私はまた、フジファブリックと出会って、好きになった。
人生における重要な出会いはいくつもあるけれど、人生を変えるほどの大きな出会いは、意外と数えるほどしかないと思っている。
フジファブリックは、間違いなく、私の人生を変えた出会いのひとつだ。
数ヶ月後に、うつ病になるだなんて思っていなかった、十年前の夏。
またフジファブリックと出会って好きになるなんて思っていなかった、十年前の夏。
人生何があるかわからない。
生きる意味なんか見つけられなくても、生きていることに意味を見出せるようになることもあるのだ。
ま、生きる意味を見出せなくても、悪いとは思わないけれど。
「変わるのかな」と思っていても、何度挫けても、本当に変われることもあるし、移ろうものだと思われても、変わらないものもある。
一人では気がつけないこともある。私だって、自分の寂しさに気がついたのは、ずいぶんと大人になってからのことだ。
わからないまま、知らない感情があるまま、大人になることは簡単だ。
自分でも気が付かない何かを。救いを。
押し付けるのではなく、あたたかく差し伸べられる人に、私はなりたい。
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