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Hand in Hand

あけましておめでとうございます。

といいながら、新年早々、昨年の話から

2022年

受容

思い返せば、昨年ほど自分自身のこと(深いところにある、本質やnatureともいわれるような何か)を探して見つめ直した年はありませんでした。過去のエピソードを振り返り、公開されているたくさんの人々のエピソードを読み、さらに本をいくつか読むことで、およそ1年かけて、性的マイノリティについて理解し、自分自身があてはまることを受け入れました。無意識にはうすうす気づいていたと思います。わかっていたことでしたが、考えないことにしていました。ある意味それは、自分を守るためでもあったのですが。

1年をかけて自分の内面を言語化し、理解して、折り合いをつけることができたということになります。LGBTQIA+という言葉がここまで一般に広がることがなければ、このような機会はなかったかもしれません。広く一般的な言葉となるに至るまでに、公的にしろ個人的にしろ奮闘された方々には感謝の念しかありません。後になってから上澄みだけを掠め取っているような後ろめたさを感じます。

カテゴリー

性的マイノリティについて、私の場合、複数のカテゴリーにまたがるおかしな状態、客観的な言い方をすれば「稀な状態」にあるようです。そのためなのか、どのカテゴリーにも該当しない感じがします。しっくりきません。

その最大の原因は、女性と男性のジェンダーが混じりあって強く結びついた状態(androgyne)にあることのようです(女性を先に書くことが多いのは、より強い影響をもたらしているように思えるジェンダーであるためです)。そして厄介なことに、その混じり具合は2つの軸からなる平面上で変化します。横軸が女性/男性、縦軸がアジェンダー/ジェンダーの平面ですね。横軸と縦軸は逆でも構いませんが。この平面については、次の記事がわかりやすいです。

この記事にホワイトボードが出てきますが、この上を、ほとんどの場合はシールが貼られているハート形の領域を、私のジェンダーは緩やかに変化します(ところで、女性側のジェンダーの方がシールの密度が大きいように見えますよね…。非対称の理由が気になります)。朝起きたときに、ほぼ女性に感じることも、ほぼ男性に感じることも、両者が同じぐらいに混ざりあった状態に感じることもあります。このため、LGBTQIA+のカテゴリーを眺めたときに、T?Q?、どちらも私とは違う…と感じることになります。

よくよく調べてみれば、"Two-Spirit"というカテゴリーが最も近いように思うのですが、残念ながらこのカテゴリーは、しかるべき人に正式に認められる必要があるようです(と理解しています。Two-Spiritについては、興味のある方は調べてみてください)。ただ、現実にそのようなジェンダーが認められる文化や社会が存在していることは、2つのジェンダーのみに人を区分する文化や社会(歴史の経緯上、たまたま多数派を占めるようになってしまいましたが)に根本的な欠陥がある証拠の一つと考えています。

多要素問題?

さらに混乱をもたらしているのが、あるときもないときもある身体の違和感と、少しだけ身体にある女性的な特徴(医者によれば軽度のアンドロゲン不能症の疑い。AR遺伝子の変異だけでなく様々な共役因子が関わっている可能性があって調べることは難しいらしい)です。複雑すぎて、本人もよくわかりません。

LGBTQIA+は典型の例示と捉えて、最後にくっついている「+」の何かですと言うか、いずれにも該当しないけれど性的マイノリティの一種ですと言うのが私の場合は一番適当かもしれません。面倒なときは、ごく一部の特徴であるデミロマンティック/デミセクシャルですとだけ言っておけばいいのかもしれないです。

ところで身体の違和感ですが、女性方向にも男性方向にも感じるので、いっそのこと性的な身体の特徴は何もないのが一番いいのでは?と思うときもあります。そういう人は他にいるのでしょうか?一人だけだったら嫌だな。

2023年

お正月休みは、NETFLIXのウェンズデーを見てました。

Wednesday / NETFLIX

「のけ者」を愛するティム・バートンのいつもの世界は相変わらずとても優しくて楽しかったです。しかも、ウェンズデーでは、家父長制+白人至上主義を粉砕する程度がいつもにも増して徹底していました。意外だったのは、「ハンド」という手だけのキャラクターが出てくるのですが、「表情」があって妙に可愛い上に、危機に陥ったときに心底心配してしまったことで、どうみても普通の生きものではないハンドに対してそう感じてしまったことは、どこか不思議な感じがします。そのことについて話をしたときに彼女は、ハンドのことを心配しているウェンズデーに感情移入してるからでしょと言ったのですが(言外に、いつも感情移入しておるだろお前は、との意味あり)、いや、あれはウェンズデーに関係なくハンド自身のことが本当に心配だったんだけどなとボソボソ呟くのでした。

ハンド
何故かとても可愛い

失望

以下、ネタバレがあります。





最終エピソードで全てが明らかになった後のウェンズデーの言葉「私はこれまで人に頼ってこなかった。失望するのがわかっていたから」(細かいところは少し違うかも)には心を抉られる思いがしました。

自分自身がまさにそうであるからで、しかも、このことに間接的にせよリンクしているであろう問題は未だに起こり続けています。

これがこれからの課題だと思います。ウェンズデーのように力強くて器用ではないので、人生をかけて解くことになるかもしれませんが。

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