文学フリマ東京38に出店するまでとしてみて②(記録)

「文学フリマ東京38に出店するまでとしてみて①」の続きです。

①のあらすじ
・友達に誘われて文学サークル「時々文芸部」をつくって文学フリマに出店することになりました。
・原価1,500円の冊子「部報」を500円で販売することにしました。
・「部報」は30冊用意しました。
・文学サークル「時々文芸部」のメンバー5人は文学フリマ東京38に参加するために5月19日10時30分、東京流通センターに集合したのでした。

出店者は11時から入場して準備することができました。一般入場の12時よりひと足先になります。

出店準備に早めに会場入りできるのは1ブース2人までで、5人組の内、私含めた3人は後発組になりました。

第一展示場の2階に休憩スペースがあり、そこで自分たちの「部報」を読みながら時間を潰しました。

一般入場の12時が近づいたので列に並びました。

私は幼い頃から本がそれなりに好きでしたが、それ以上に文学少女と付き合うことに憧れがありました。
本が好きな女の子と付き合って一緒に図書館にデートに行けたらどんなに幸せだろうと想像していました。
ただ、周りにそういう人はおらず、どこに行けば出会えるのかと図書館や本屋に通ったものでした。
それが「ああ、ここにいたのか」というくらいにたくさんの本が好きそうな方が入場のために並んでいるのを見て、なんだかひどく感動しました。

15分ほど並んで入場すると、驚くほどの人の数にめまいがするほどでした。
ピーク時の混雑具合を例えるなら、ワールドカップで日本戦がある日の渋谷のHUB(バー)くらい混んでいました。

「時々文芸部」のブースはエンジ色の布を敷いた上に見本誌、サークルの紹介文、「部報」、表紙絵のポストカード、作品紹介用のタブレットが並んでおり、そこに座る先発組のふたりはすっかり「文学フリマの人」感が出ていて興奮しました。

お隣の方は商業作家の方のようで本屋で売っている本を売っていてとても眩しく、目がくらんでいる間にご挨拶もできずに終わってしまいました。
でも、二度とないご縁だったであろうその機会に、臆病風に吹かれながらでも話しかけてみれば良かった、という小さな後悔があります。
次回はお隣さんにはご挨拶くらいはしたいと思っています。大人として。

私は参加しなかった当日の準備ですが、まずは自分のブースを割り当てられているのでそこに本(販売するもの)を運びます。
それから装飾等の準備。
あとは見本誌のコーナーがあるのでそちらに一冊見本を置きます。
見本誌コーナーは、見本誌用のシールを貼り付けた本を大きなテーブルにざっくり置いていくのですが、やはり手前はすぐに埋まって、「時々文芸部」の「部報」はやや手に取りずらい位置に置くことになりました。

それでも自分たちの本が他の作家さんたちの本の中できちっと背筋を伸ばして立っている姿は、小学校の入学式を立派にやり遂げる我が子を見るような気持ちでした。

①で後述すると書いた「部報」というタイトルについてここで触れます。

正直もっと工夫をするべきだったと私は感じました。
なぜなら他の本は
「なんの本だかタイトルや表紙である程度予測がつく状態」
になっていたからです。
それらと比較して「部報」…?はて…?となるのは当然といえます。表紙も素敵なイラストですが、明確なコンセプトは分からないものでした。

そもそも「時々文芸部」の「部報」に一貫したテーマはありません。
月毎に自分たちでテーマを決めて短歌と詩をつくっている活動のまとめなので当然です。
また、それぞれの小説も思い思いの作品なのでてんでバラバラです。

そのバラエティの豊かさが私たち「時々文芸部」の強みだと考えていましたが、当日会場で見本誌コーナーを眺めながら考えを改めました。

その理由は
①文学フリマに来るお客さんの多くは作家で本を選ばない。
②通行中にブースに視線を向ける時間は約一秒
のふたつです。

「ミステリーだから買う」
「旅行記だから買う」
「好きな作品の批評だから買う」
こういった理由はおおいにあり得ます。

ただ、名も知らない作者に突然興味をもつことはありません。
また、作者がどんなに時間をかけても、思いをのせても、それは読者には関係ありません。

読者に関係あるのは「面白いかどうか」だけです。
そして、そこにたどり着くためにはまず「本を手に取ってもらえるかどうか」です。
そのためには表紙が何よりも大切です。

そういう意味では「部報」というタイトルは自己完結、厳しくいえば自己満足的な名前だったように思います。

同時に、「文学フリマは自己満足で良いのでは?」という思いもあります。
むしろ最初は「創作の場があるだけで嬉しい」から始まっています。
だから自分たちが気持ち良く創作して、それが形になったところで充分なのではないか?
そう思っていました。

それが「読んでほしい」というより深い欲になっていったから、「どうしたらもっと手に取ってもらえるだろう…?」という視点や思いができたのだと考えます。

きっと会場の熱気にあてられて欲が深くなったのだ、そう感じています。

「時々文芸部」として次回出店する際もサークルとしては「部報」という形で冊子にする可能性が高いです。
ただ、もし個人で何かつくることになったらそのときは「より明確にジャンルを示した」あるいは「より明確にターゲットをしぼった」表紙やタイトルを用意するのもアリかもしれないと感じました。

他に感じたことは

①現地で他の作家さんたちとコミュニケーションをとりたい。
そのために「綿谷衛(綿谷マモル)」名義でXとnoteを始めました。次回文学フリマ東京39までの半年の間に同じような作家さんとつながりをもちたいと考えています。

②もっと良いものをつくりたい。
何よりもモチベーションが上がりました。仮に手に取ってくれた人がいたとして、その人の人生が少しでも潤うような出会いになる文章を書けたら、そんなふうに思います。

このあたりの思いが強くなったことが大きなお土産になりました。

では最後に、「時々文芸部」の「部報」が何部売れたのかです。

30冊用意していった結果、当日売れたのは

17冊 でした。

①にも書いたのですが、当日までの集客は0です。
だから本当にブースに座っていただけでの結果です。

ただ、カラクリがあります。

それはサークルメンバーの友人が購入してくれた、ということです。
だからそこを差し引いた数が本当の数字になります。

では、純粋に当日売れた冊数はというと

6冊 でした。

個人的には充分売れたと思っています。
0のつもりでいたのがそう感じる理由かもしれません。
しかし、もしかしたら6冊という結果は客観的にはかけた時間やお金に見合わない残念な結果なのかもしれません。

それでも私は全力で、「やって良かった」と言うことができます。

それは
「自分の書いた文章を手渡しで買ってもらう瞬間を味わうことができたから」
です。

私が店番をしているときに購入してくださった方は二人いました。
立ち読みしてくださった方が二人。
その四人の方の顔は今でも覚えています。

「これください」と言ってくださった声。
渡してくださった千円札。
「ありがとうございます」と伝えたときのはにかんだ表情。
私の書いた文章が載っている本がバッグに滑り込む瞬間。

こんなに青くさい感情を、感動を味わうことができるのは大人になってしまうとめったにありません。
この感動のためにもう一度この場に来ようと強く思いました。

可能であれば読んでくださった方から感想の一言をいただけたらこんなに嬉しいことはありません。
もしこの文書が奇跡的に目に留まることがあれば本当に一言で構わないのでお言葉をいただけたら幸いです。

また、読んでみたいとちらりとでも思ってくださった方がいればお声かけいただければまだ在庫があるのでお渡しすることができます。

またまた、12月1日の文学フリマ東京39でも「時々文芸部」で出店します。
その際に「部報」も販売しますので、そのときでもお声かけいただけますと幸いです。

長くなりましたので最後にまとめです。
①準備には約1年かかった。
②予算は10万円程度かかった。
③30冊用意して6冊売れた。
④「つくること」と「売ること」には少し距離がある。
⑤手渡しで自分の本を売ることは他に代え難い大きな感動がある。

以上が「文学フリマ東京38に出店するまでとしてみて」の記録です。

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