文学フリマ東京38に出店するまでとしてみて①(記録)

令和6年5月19日、文学フリマ東京38に出店しました。

きっかけは令和5年6月12日にきた友人からのLINEでした。
「先月友達(私ではない別の友人)と文学フリマに行って興味をもったのでサークルをつくって出店しないか?」
という内容のものでした。

私たちは大学の文学部の同期で頻繁に(それこそほとんど毎日)一緒に飯を食い、煙草を吸い、合コンへ行き、テレビゲームをし、たまに大学の講義に顔を出していました。
社会人になってからも親しくしてはいましたがそれぞれ忙しくなり、たまの食事や電話だけの関係になっていました。
そこにきて「一緒に文学サークルを立ち上げて、本を作って、それを売らないか?」という提案はあまりにも魅力的で、私は二つ返事でオーケーしました。

友人(とその友人)をホストにして、合計5人で文学サークルを結成しました。
サークルの結成は6月13日。私が話をもらった翌日です。
メンバーは同じ大学の同期生で、10年以上ぶりの再会になった人もいて、なんだかくすぐったく、嬉しく、集まれただけでも楽しく感じていました。
この段階ではまだ真剣に(あるいは誠実に)文学フリマ出店について考えてはいませんでした。

私たちのサークルは月に一度オンラインで定例会を行うことになりました。
事前にテーマをふたつ決めて「短歌」と「詩」を創作し、Googleドキュメントにて提出。
定例会までに各自でそれを読んでおき、オンラインで批評しあい、最後に次回のテーマを決定して終了。
約2時間程度の会です。

これを令和5年8月から令和6年6月現在までコツコツと続けています。
その内8月から1月までのものをまとめた内容と、それぞれが2万字程度の小説を書き下ろし、おまけとしてリレー小説を2つ入れて、文学フリマ東京38出店用の冊子を作成しました。

サークル結成から約半年後の1月7日に初めてオフで集まりました。
見送ってきたサークル名と冊子名の決定が大きな目的でした。

サークル名「時々文芸部」
冊子名「部報」

に決定しました。
忙しい日々の中でも時々は文芸に立ち返ろう。そんなメッセージを込めたサークル名です。
という建前のもと、「ドキドキ文芸部」という恋愛シミュレーションゲーム(諸説あり)のタイトルをもじってつけました。

サークル名は気に入っていますが、「時々文芸部」で検索をかけても本家である「ドキドキ文芸部」しか出てこないのでそういう意味では違う選択肢もあったのかもしれません。
それ以上に実際に出店した際に「もっと工夫すれば良かった」と感じたのが冊子名「部報」です。理由は後述します。

サークル名と冊子名が決まり、文学フリマ出店に対して現実味が帯びてきたように思います。
ここから出店と冊子作りに向けて動き出します。

1月11日に文学フリマ東京38に応募。
文学フリマ東京38は参加希望者が多く、先着1200枠までは確定で、それ以降は抽選でした。
応募締め切りは3月5日。約二ヶ月前の応募でしたが先着枠はすでに埋まっており、抽選になるとのことでした。
「時々文芸部」は5人組のサークルなので2ブース(長机一つ+椅子4脚)の希望で応募しました。
抽選の結果ありえる可能性は3つ。

①希望通り2ブースでの参加
②1ブースでの参加
③参加できない

結論からいえば「時々文芸部」は②の長机半分+椅子2脚の1ブースでの参加になりました。
ちなみに1ブース6,500円、2ブース13,000円が出店費用です。

※文学フリマ東京39は12月1日開催、応募締め切りは8月27日のようです。私たち「時々文芸部」も応募しています。現地でお会いできたら嬉しいです。go for it!

応募と同時にXとホームページを作成しました。
集客までいかずとも、顔見知り、名前見知りくらいはできたら…と思っての作戦でしたが、これはうまくいきませんでした。

まずホームページに関しては、当然ですがアクセスされるわけもなく、アクセスしたところで何の記事があるわけでもなく、こちらはそもそも論外です。

悔いが残ったのはXの運用です。
一日一首の短歌を投稿しました。
が、数をこなすことに必死になりクオリティが担保できなかったこと、そもそものインプレッションがほとんどなかったことなどから効果はほぼ0でした。
X上でのコミュニケーションを大切にすることが重要だったのではないかと反省しています。(人見知りのため大きな課題)

このように、当日までの集客の工夫ははほとんど皆無の状態で当日を迎えることになってしまいました。

話は前後しますが、Xの運用に先立って、それぞれがペンネームを決めました。
本名でやっても構わないのですが、職業上別にしたかったり、別のペルソナで臨みたかったり、せっかくだからつくってみたりと様々な理由でしたが、ペンネームづくりは楽しかったです。
ゲームの主人公の名前を決めるときに近い感覚かもしれません。
かくして「綿谷衛(綿谷マモル)」(私のペンネームです。よろしくお願いします。)の名前が決まりました。

応募の結果は未定だったので出店できるかは分かりませんでしたが、出店できなかったとしても次回にまわせば良いという考えで冊子作りにとりかかりました。
掲載する内容は毎回の定例会の短歌と詩、あとは個人作品の小説5篇と決まっていたので、そこはスムーズでした。

問題は「本の形にすること」です。
短歌をつくるのはまあ誰でもできます。ただ、それをまとめて本の形にする、しかも何冊も。
それは簡単なことではありませんよね。(少なくとも私には大きな課題でした)

これも結論からいえば「外注」しました。
メンバーの一人のお友達にそういった作業に明るい(職業としてやっている?)方がいて、その方にお願いすることになりました。

2月3日に「部報」作成の見積もりをいただきました。
お願いする作業の分量によってプランが違っており、2万円〜3万円ほどの予算で可能と言うことでした。
印刷会社の選定だけこちらで行い、残りの作業はほとんどお願いしました。
例えば、表紙のデザイン、構成、校正、紙質の選定、見積もりの作成などなど…。
一番大変な部分を破格で引き受けていただいたので、作品を掲載したのは5人でも「部報」は6人で作ったものだという感覚が強くあります。

ちなみに表紙ですが、「時々文芸部」のメンバーがそれぞれ一枚絵を用意し、その中で多数決を行いました。素敵な表紙が選べたと思っています。

4月25日までの間に何度も校正と修正を繰り返して最終稿ができあがり入稿しました。
5月15日に冊子が手元にきて、いよいよあとは現地にもっていくだけの状態が整いました。

用意した冊数は50冊。

5人がそれぞれ自分の分や知人友人家族に渡す用に20冊程度ははけて、残りの30冊を当日販売することにしました。
どれだけ売れたのか、結果は後述します。

ちなみに費用は
印刷42,000円
校正作業等の外注23,000円
出店7,300円
その他雑費がかかって、結局ひとり2万円程度になりました。一人でやっていたら10万円です。費用を分散できるのもサークルの強みかと思います。
逆に一人で創作から販売まで行う方を尊敬します。

一冊の原価は約1,500円。
当日いくらで販売したかというと

なんと500円です。

一冊売っても1000円の赤字という強気の姿勢でした。
それほどに、まずは自分たちの作ったものを手に取ってほしい、読んでほしい、そういう思いが強かったためお金のことは考えずにこの金額で設定しました。
商業でやっているわけではないので、この感覚が分かってくださる方も多いのではないでしょうか。

冊子が完成し、値段も決定し、次に考えたのが販売スペースの装飾と店番のシフトです。

店番のシフトは12時〜17時までを5人で分けました。一度に2人ずつ店番をして、残りの3人はフリマを自由に見て回ることができました。

装飾に関してはエンジ色の布をテーブルにかけ、その上に立ち読み用の見本誌、表紙絵のポストカード、「時々文芸部」の簡単な紹介文、タブレットを使った作品抜粋の動画掲示を行うことにしました。

事前にネットで調べると、販売スペースの装飾は重要で、「大きな看板やタペストリーがあると良い」という情報も見かけましたが、あくまで謙虚に(そして少しケチに)シンプルなデザインで臨むことになりました。

いよいよ当日、「時々文芸部」の5人は東京流通センターに10時30分に集合します。

当日のあれこれと、実際に何冊買っていただくことができたのか、現地の様子と次回出店に向けてなどは

「文学フリマ東京38に出店するまでとしてみて②」

の記事に続きます。

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