わたしを愛してくれた人たち
ありがとう、さようなら
本当に多くの人たちに支えてもらった。エネルギーを与えてもらった。
その多くはもう二度と会うこともないだろう。ただわたしの心の中には常にその人たちからの光が届いて、くじけそうなときに力をくれる。
将来を約束した人、道を逸れようとしたときに連れ戻してくれた人、ともに夢を見て一緒に歩き続けてくれた人。その誰もがいい人だったわけではない。次第に鬱陶しく、関係は拗れ、擦り切れ、傷つけあうだけの関係になったとしても、その時を共にしたという事実は消えることなく存在し続ける。
どんな関係にも終わりはやってくる。そしてそれはたいてい望んだとおりの美しい結末を迎えることはない。わたしたちはどこまで行っても主観から逃れることのできない感情の乗り物であり、死ぬときは一人の個人でしかない。
誰かと心を交わしたとして、それが永遠にることはないのだとしたら、誰かと関係を持つことは余分だろうか。負担だと思うだろうか。
否、それは結果論でしかない。
もし互いに首を絞めあうことでしか生きられないとしても、わたしは誰の首をも絞めずして生きていくことはできない。
いつか結果に辿り着いてしまうとしても、それは今ではない。
だからいずれは殺しあうとしても、今は手を取り合って生きることしかわたしたちは選択することができない。
もしとか、例えばとか、そんな甘い言葉を自分に言い聞かせながら、誰かに自分の未来を重ねながら、来るべき結末から目を背けながら。
わたしを愛してくれた多くの人たちは、もうわたしのことを愛してはくれることはないだろう。愛してくれたという事実をもってして、それが再現されることはないだろう。それが虚しいものだとは思わない。
いずれ来る別れを内包しているからこそコミュニケーションは美しく、手を取り合えることを素直に喜び、斜陽の中をあえて共に歩む醍醐味が生まれる。それを幸せと呼ぶのだろう。いつか結果が訪れるという運命に逆らった甘い結末を本気で信じられることは、人間の強みであり強さである。
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